森本夫妻の交換日記~難聴の息子と親子3人笑い絶えない家族に☆ vol.13

妻へ 

  あなたから、分娩室に入るとの電話があり、その数時間後、お義母さんから電話があったのは、バイト先の外にある喫煙所で、真冬の暗くなった夕方の、痺れる寒さに耐えながら、「今、妻は痛みと闘って、頑張っとんや。俺もこれ位の寒さには耐えないけんぞ。一緒に耐えるぞ。この寒さに俺が耐えたら、元気な赤ちゃんが産まれる!」そんな訳の分からない事を考えながら、新宿の冷たいビル風の中、ブルブル震える手で、休憩中のたばこを吸っている時でした。

「無事に産まれました。」

 待っていた言葉を聞いた時、私は、溢れ出る涙も拭わず、鼻をグスンと啜って、

「ありがとうございました。」と、泣きながら、震える声で、なぜか電話をくれたお義母さんに感謝の言葉を述べたのを覚えています。

 そんな私に、電話の向こうのお義母さんの声も震えていた様に感じました。

  本当に、嬉しかった。この事に嘘偽りはありません。

 でも、すいません、お義母さん。私が泣いたのは、お義母さんに電話を貰ったからではないんです。

 実は、その前から泣いていたんです。

 だって、想像以上にその日は、風が冷たかったんです。それが目に刺さって、寒さで、涙が勝手に溢れ出てくるんです。電話中、鼻を啜っていたのも、寒さのせいなんです。声が震えていたのも、寒さのせいなんです。全部寒さがいけないんです。

 後日、何度かあなたが、私に言いました。

「お母さんが言いよったよ。たけさん産まれて、私が電話した時、のりひささん泣きよったよって。私も感動して、涙が出たって。」

  今、白状します。それを言われる度に、私の目は泳いで、泳いで、泳ぎっぱなしで、曖昧な「うん」を繰り返していたのは…。

 つまりは、これが真実だからなのです。

 これは、墓場まで持って行くべき話であるとも思いましたが、何かの節目節目でまた、目を泳がせないといけないなら、言っとくべきか。言うならば、一生の中で、もうこのタイミングしかないと思い、告白した次第です。

 それから、数日後、産まれてから、ニ人とも元気だという報告を聞く為、いつもの通り、バイトの休憩中に、外にある喫煙所から、着信があったあなたの携帯に電話しました。

 電話に出たあなたは、もう涙声になっていました。

「赤ちゃんが、耳のスクリーニング検査に行って、全然帰ってこん。他の赤ちゃんはすぐ帰ってくるのに。帰って来ても、看護師さんがバタバタして、何回も何回も連れて行かれる。」

 耳のスクリーニング検査?スクリーニングと言う単語を初めて聞いた私には、何の事かさっぱり分かりません。スクリーニング?クリーニング?耳の掃除?

「何?スクリーニング検査って。」

「耳が聞こえるかどうかの検査。看護師さんに言われたんよ。検査費用はかかりますけど、聴覚の検査しときますかって。まっ大丈夫だと思いますんで、するかしないかは、お母さんに任せますって。だけん、念のためしてもらったら、全然帰って来んのよ。」

「それは、耳が聞こえんって事?」

「分からん。看護師さんは、羊水が耳に溜まっとう可能性があるけん、反応が出てないとかもしれん。大丈夫、聞こえる様になりますよって言いよった。」

 私は、何て言って電話を切ったかは覚えていません。「大丈夫よ。」とか、「まだ分からんよ。」とか言ったのでしょうか。

  ただ一つ覚えているのは、その時、すぐに確信し、覚悟しました。息子は耳が聞こえないと言う事を。

 これだけ発達した医療科学で、そういう結果が出たのだから。

 それから、バイトに戻って、どうやってその日の業務を終えたのかも覚えていません。

 ただ、私は、赤ちゃんが産まれてくる前から、色んな事を想定していました。

 五体満足で産まれて来るのが、当たり前じゃないと。もしかしたら、目が見えないかもしれない。耳が聞こえないかもしれないと、そういう事を、お医者さんに言われるかもという事を。でも、そんな事も含めて、自分の息子だと。そういう準備をしていたから、動揺は少しで抑えられたのかと思います。

  とは言っても、あなたが言う様に、なぜ、うちの息子が障がいをとか、この息子の将来はどうなるんだろうとか、難聴の子どものいる家族三人の生活ってどういうのだろうとか、あなたと、毎夜、電話が終わった後、東京の家で一人、考えていました。

 お腹の中にいる時に、あなたのお腹に、「おーい」だの、「おはよう!」だの、「お父さんは、仕事行って来るよ」だの、色んな事を話していたのも、全部、この子は何も聞こえていなかったんだと思うとたまらない気持ちになりました。

 電話であなたはいつも泣いていました。世の中には、色々な障がいを持って産まれてくる赤ちゃんがいます。

 これは、やっぱり実際に経験したからこそ思うのですが、そういう事を告げられたママやパパは、本当に辛いと思います。

 特にママなんかは、本当なら、赤ちゃんが産まれて、女性として、一番の幸せの筈なのに、突然、現実を突きつけられるのです。あなたも、辛かったと思います。

 産後、産婦人科にいて、他の周りの赤ちゃんやママの幸せそうな姿、そのママと赤ちゃんを訪問してくるパパ、おじいちゃん、おばあちゃん、みんなのニコニコ笑い声が聞こえてくる幸せの中、自分もそうなると思っていたのに、自分の子どもだけは、耳が聴こえていないと言われた現実。

 そりゃ、赤ちゃんが産まれても笑顔は出ないよね。そして、近くに居てあげる事も出来ない私。あなたは、いっぱい泣いて泣いて、よく頑張りました!

 「別に泣く必要ないでしょ。障がいがあったって自分の子どもでしょ。もし、私の赤ちゃんがそんな障がいを持って産まれてきたって、私は泣かないと思う。」

そうやって、私からすれば、訳の分からない事を、これが正論だとばかりに言う人もいるでしょう。(本当にそうやって強い人もいるのかもしれませんが。)

 でも、そんな人達より、「なんで私の赤ちゃんだけ」っていっぱい泣いたあなたの方が、素敵です。

 それが、我が子に対するママの愛だと思います。

 なんで自分の赤ちゃんだけ五体満足じゃないの?なんで自分の赤ちゃんだけ耳が聞こえないの?

 そう思っているというのは、産まれてきたばかりで、今、両手で大事に抱っこしている赤ちゃんがかわいくて、愛おしいからこそ出る、当たり前の親の愛情じゃないかと。そう思う事が、自分の子どもへの親の愛だと。

  数ヶ月前、

「頑張って産んで来るね。のりひさも一人で生活頑張って。」

 そうやって見送った羽田空港から、出産後、あなた達二人に会う為に、福岡へ向かいました。あなた達というより、いつも電話の向こうで泣いていた、あなたに会う為にでしょうか。(今では考えられない事です。)

 飛行機の中、何て声を掛けてやればいいのだろうか考えていました。でも分かりません。とりあえず、絶対に泣かない様に、笑顔で。それだけを心に決めて、空港を出ました。

  たけのりを抱いて、そして、色んな事をかかえて立っている、ママになったあなたを見つけた時、私は、飛行機の中で心に決めた約束を破りそうになりました。でも絶対に泣いたらいかん。そう思ってあなたの所へ近づきました。

 あなたは、私を見つけると、泣き出しました。

 「がんばったね。」

 もうこれ以上、喋ると泣きそうになるので、それだけを言って、ばあばの運転する車に乗ったのを覚えています。

  戻ったあなたの実家には、孫が産まれて来た時に、じいじが作ってくれる恒例の、ベッドの中の赤ちゃんに聞かせるCDがありました。

 几帳面なじいじらしく、綺麗にジャケットも手作りしてくれていました。

  それを見つけた私に、あなたは言いました。

「じいじが張り切って作ってくれたと。」

それから、じいじの方を振り向いて、そして、抱いているたけのりを笑顔で見つめて、

「でも、じいじ、残念やったね。ねえ、たけさんは聞こえんもんねー。」

 そう言って笑っているあなたの顔を見て、大丈夫、こんな事乗り越えられる、三人で楽しい家族になれる。あなたが妻で良かった。そう思いました。

 あなたに感謝、そして、こんな娘さんに育てた、じいじとばあばは、理想の両親です。

 夕食後、立ち会っていない為、産婦人科でプレゼントされた、たけさん誕生のDVDを見ました。

 最後に私が送ったパパからのメッセージが流れました。

「産まれて来てくれてありがとう。あなたが産まれた時、たくさんの人が喜んでくれたよ。これから辛い時、悲しい時もあるけど、大丈夫!あなたが産まれた時、喜んでくれた人は、みんな、みんな、どんなときも、いっつもあなたの味方です。」

私は、息子にそういうメッセージを送りました。ですから、皆さん、私がダメな親父でも息子だけはよろしくお願いしますね。

息子にウソつきと罵られたくないのです。

夫のりひさより

※情報は2015年時点のものです

※この記事内容は公開日時点での情報です。

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