旅先でマンホールの蓋を見つけてはSNSにアップ。「マンホーラー」「蓋女」と呼ばれるマニア、周りにいませんか? 全国約1500万枚のマンホールの蓋、実はその6割が福岡市の日之出水道機器の製品です。鋳物一筋100年。暮らしの足元を支え続けてきた会社が、ハイセンスなインテリア商品で暮らしの表舞台に飛び出し、注目されています。今回は、フリーライターの永島 順子さんが取材しにいきました。
「足元の芸術」。マンホールの蓋の6割は、福岡に本社がある日之出水道機器の製品
旅の途中、「あ、ちょっと待って!」と立ち止まってはスマホでパチリ。彼女が写しているのは、地域ごとにデザインの違うマンホールの蓋。 山口・下関を歩いていると名物のフグ、佐賀では有明海の珍魚ムツゴロウ、大分・杵築では豊後牛にちなみ愛くるしい牛が描かれたマンホールに出合える。松本零士ゆかりの街・北九州では「銀河鉄道999」のメーテルが微笑む。
地域の名所や名産品、ゆかりの人物やイメージキャラクターなどをデザインした「ご当地マンホール」。だが、愛好家たちの間でも、全国のマンホール蓋の6割が福岡の企業で製造されていることは、あまり知られていないのではないだろうか。 1919年創業、福岡が誇るトップメーカー日之出水道機器を広く知って欲しい!……そう思っていたところ、なんとマンホール蓋を中心に鋳物一筋、まさに私たちの足元でインフラを支え続けてきた企業が、インテリア製品の製造販売に乗り出しているという。
日常生活から遠のいた鋳物。「砂のテクスチャー」で再び暮らしを彩る
訪ねたのは、福岡市東区の工房「HinoLab M(ヒノラボエム)」。螺旋階段を配した広々とした空間は、かつて取材で訪れた本社や工場とはまったく雰囲気が違う。ここは、従来のビジネスと切り離した“新たな実験場”か――。
⬆︎「HinoLab M」は、職人の技量の蓄積(Meister)をもとに鋳鉄のディティールにこだわった精緻な(Micro)ものづくりを追求するラボ。既にここから既存取引先とのコラボによる新規事業も始まっている
デザインプロダクツグループリーダーの花田匡謙さんによると、「HinoLab M」はブランド名であり、工房の名前でもあるという。
花田さん 「一時期流行した「ファブラボ」的なイメージで、取引先の人たちと一緒に自由にモノづくりに挑戦できる場を目指しているんです。」 ーー立ち上げは2017年。既にトレー、メモホルダー、ブックエンド、ランプシェードなど約30アイテムを発表している。 なぜ、マンホール蓋をはじめ街のインフラを支えてきた鋳物メーカーがインテリア、ステーショナリーを? 花田さん 「マンホールは鋳物。100年手掛けてきた鋳物の特徴を生かした商品化を考えたのです。」 ーー鋳物は、製品の形状をした「母型」を砂で覆い「砂型」を作ることから始まる。この砂型に加熱して溶かした金属を流し込み、冷えて固まった後、型から取り出す。このため、鋳物の精度や風合いは、砂型の質に大きく左右される。 「ちょっと触ってみてください」。促されてトレーに伸ばした指先にはザラリとした感触が。しかし、なぜか肌になじみ、不思議な懐かしさと温かみが伝わってくる。
花田さん 「この風合いが鋳物ならでは。砂型によるザラザラっとした手触りを「砂のテクスチャー」として表現、提案したいと思っています。」 ーー古代の容器にも使われていたという鋳物の技術は、自動車や航空機、機械の部品などさまざまな場で、今でも私たちの生活を支えている。しかし、より軽くて丈夫な素材に取って代わられ、日常生活で目にし、手にとって使うシーンはほぼ失われてしまった。 鋳物のよさを知ってもらい、暮らしの中で使ってもらいたい――。そうして生まれたブランド第1号はトレーだった。 花田さん 「トレーって、ペンやメガネ、車のカギなどを入れて玄関先やリビングに置いておくものでしょう。1日に何回も手で触れるのはコレだ、と。」 マンホールの会社が立ち上げたブランドは、暮らしの中に生きる鋳物の復権ののろしでもあった。
時代を見据えた研究開発で業界を牽引。「ご当地マンホール」ブームも追い風に
そもそも、なぜ福岡の企業がマンホールの蓋で圧倒的なシェアを誇り続けてきたのか。きっかけとなったのは1960年代の下水道整備普及、そしてモータリゼーションの進展だった。 経営本部の吉原正敏さんによると、当時のマンホールの蓋は100キロ近く。1人では持ち上げることさえできない重量にもかかわらず、大変もろい製品だったという。 マンホールの穴については厳密な規格が定められていたものの、蓋については「穴を塞いでおけばいい」「1メートル上から50キロのおもりを落として割れなきゃいい」というくらいの認識で、十分な規格が決められていなかった。その現状に、問題提起したのが日之出水道機器だった。 下水道整備が進む時期、「良質の蓋を提供すれば当たる」との狙いもあったのだろう。同社は、軽量化を図るとともに割れにくく、耐久性がある材質の開発に取り組んだ。 50キロに軽減され維持管理の効率は上昇。どれだけ車の走行量が増えても割れにくくなった。さらに、蓋と枠の構造を改善して車両通過時のガタツキ騒音を解決。改良を重ねるとともに同社の製品は普及、その基準を後追いするように規格が定められていった。 もう一つの要因は全国展開。早くから関東に物流拠点、営業所、さらには工場を構えて全国対応を図ってきた。良質の砂がとれる地域の「地場産業」として発展してきた鋳物業界にとっては、これも異例のことだった。「マンホールの蓋に特化し、かつ全国対応できる体制をいち早くとった当社が、リーディングカンパニーとして業界で認められることになったわけです」(吉原さん)。 さらに、「マンホールを下水道の顔に」という当時の建設省の提案から始まった「ご当地マンホール」も追い風に。 地域ごとに異なるデザインは当然、少量多品種生産となり、小規模メーカーでは対応できない。 研究開発に力を注ぎ、専門メーカーとして全国展開に対応できる製造設備を早くから導入していた日之出水道機器は、こうして他の追随を許さぬ日本一企業となったのだ。
専門メーカーゆえのジレンマから発想転換。「新たな業態」を模索
しかし、専門メーカーはそれゆえのジレンマに直面する。下水道整備が全国に行き渡り、需要増が見込めなくなってきたのだ。 創業90周年を迎えた2009年、長年培った鋳物技術の「マンホール以外の分野」への活用、新たな業態の可能性の模索へと踏み出した。 道路と橋の間のジョイントをはじめ、産業機械や特殊車両の中の部品、新素材……社名が表には出ないものを含め、マンホール蓋で培ってきた技術を応用した新規事業はいくつも生まれている。 「HinoLab M」も、実はそのカテゴリーの一つ。ただし大きく違ったのは、一般消費者を対象とした初めての「B to C」だったことだ。
海外からも注目。初めての「B to C」に戸惑いながらも果敢にチャレンジ
どんな企画が世に求められるのか。販売先はどう開拓していけばよいのか。初めての「B to C」はわからないことだらけだったという。 アルミ鋳物を扱うプロダクトデザイナーの協力を得て、商品開発からプロモーション方法、店舗開拓にいたるまで一つ一つアドバイスをもらいながら模索。飛び込みも含めた営業、展示会出展等を通じて、各地のステーショナリー専門店や家具店のほか美術館のミュージアムショップ、空間演出の中での取引も生まれた。
⬆︎轍を二本彫り込んだ木製ペンレストの下は重量感のある鋳物製の小箱。木と鋳物-ともに経年変化を楽しめる異素材を組み合わせながら、重厚かつ繊細なデザイン性の高いアイテムを次々と発表している
今はコロナの影響で減っているが、インバウンドからのニーズが増えた時期もあり、その流れで台湾の書店との取引も始まった。 鉄が醸し出す重厚感、存在感などから当初は男性向けブランドとして立ち上げたが、ギフトニーズもあってか、実際の購入者は男女半々だという。 花田さん 「私たちの提案がマッチしているのかどうか、トライアンドエラーの繰り返しです。メガネハンガーをネックレスかけにしたり、トレーをアクセサリー入れに使われたり、と購入者の思わぬ反応もあって面白いですね。」 鋳物は型さえつくれば複雑な形状のものでも一体的に成型できる。武骨なようでいて繊細で柔らかな表情をたたえた「HinoLab M」のアイテムは、じわじわとファンを広げている。 花田さん 「「HinoLab M」を通じてもっと鋳物について知ってもらい、「HinoLab M」ブランドを普及させていきたい。そう思っています。 」 研究開発、商品開発に力を入れ、開発型メーカーとして100年。柔軟な発想、進取の気性、イノベーションの感覚は、会社の中に確かに息づいている。時代の空気をとらえた「ヒット商品」が生まれる日が楽しみだ。 文=永島 順子
HinoLab M
http://hinolab-m.com/index.html ■住所/福岡市東区社領1-4-5 ■電話/092-627-3557
日之出水道機器株式会社
https://hinodesuido.co.jp/ ■創業/1919年 ■住所/福岡市博多区堅粕5-8-18