私が小さい頃、明治生まれの祖母がちょっと怖くて不思議な話をたくさん聞かせてくれました。少しずつアップしていきます。
「これは私のお父さんが旅先で一緒になった杣人(そまびと。きこり)から聞いた話だよ」
祖母はそう言って語り始めた。
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杣人のNさんは木々の伐採の仕事を受け、H山に入った。
依頼された範囲はかなり広く、初日は切る予定の木に目印の白い紐を結んで回るだけで終わった。
月のない夜、山の小屋で寝ていると外からざわざわと草を踏む音がし、妙な気配が伝わってきた。
窓から覗いたが、暗くてよく見えない。
カンテラに火を入れ外に出て暗闇に向かって照らすと幾つもの目が光った。
いたち、狸、狐、山犬、ふくろう… 木々の間から何匹もの獣や鳥がじっとNさんを見ていたが一斉に闇の中へ消えていった。
あまりに異様な光景に冷水を浴びたような気がしたNさんは、小屋に戻ってからもなかなか寝付けなかった。
とはいえ仕事はやらなけばならない。
「山ん中じゃあいろんなことがあるもんだ」
そう気を取り直したNさんは朝早く小屋を出て伐採に向かった。
「あれ? 印が無いぞ…」
昨日結んだはずの紐が一本も残っておらず、どの木を切るのかが分からない。
仕方なくもう一度印を付けるために紐を取りに小屋まで戻ると、入口に奇妙な物が置いてある。
印に使った紐がそこに山積みにされている。
どうやったのかは分からないが、紐は真っ赤に染められていた。
「この山には絶対に手を出してはだめだ」
それを見た瞬間、全身がそう告げた。
Nさんはそのまま小屋にも入らず山を下り、仕事を断った。
山の持ち主は理由も聞かずに「そうか」とひと言。
帰ろうとしていると庭師が近寄って来て小さな声で言った。
「H山だろ? あんた無事で良かったな。何人も大けがしとるのよ、あそこ」
Nさんは二度とH山に入らなかったそうだ。