福岡市美術館(福岡市中央区)で7月18日(日)まで開催中の「高畑勲展 日本のアニメーションに遺したもの」の事前内覧会へ行ってきました。高畑勲さん(1935~2018)は「アルプスの少女ハイジ」「火垂(ほた)るの墓」「かぐや姫の物語」などの名作をはじめ数多くの作品に関わってきたアニメーション映画監督です。歴史に残る高畑監督の作品世界に浸ってきました。
絵コンテ、原画、背景画など未公開資料を含め1,000点以上
絵コンテ、原画、背景画など未公開資料も含めて1,000点以上が展示されています。 展覧会の企画構成を担当したスタジオジブリスタジオ学芸室制作プロデューサー、田中千義(かずよし)さんの制作秘話や解説を聞くことができました。
1960年代から半世紀にわたって日本のアニメーション界を引っ張ってきた高畑監督。「高畑監督は『風の谷のナウシカ』でプロデューサーとして宮崎駿監督からストーリーなどの相談を受けていたり、『ドラえもん』のテレビアニメーション化のときに企画書を作ってプロジェクト起ち上げの手助けをしていたりします。『ルパン三世』にも関わっていたのですよ」。貴重な関連資料は見逃せません。
展示は4つの章で紹介されています。 1.出発点 アニメーション映画への情熱 2.日常生活のよろこび アニメーションの新たな表現領域を開拓 3.日本文化への眼差(まなざ)し 過去と現在の対話 4.スケッチの躍動 新たなアニメーションへの挑戦
「狼少年ケン」(1963~65年)や「太陽の王子 ホルスの大冒険」(1968年)を制作後、子ども向けの楽しい作品を作るため、宮崎駿さんたちとともに東映動画を去った高畑監督は、「アルプスの少女ハイジ」(1974年)などを手掛けていきました。ハイジの絵コンテも展示されています。田中さんは「高畑さんや宮崎さんの作品は制作スタッフが勉強のために持ち帰るんです。背景やセル画などがきれいな状態で保存されていたようです」と言います。
高畑監督は“レイアウト” という制作工程をシステム化しました。レイアウトは絵コンテの次に各カットの画面を設計する、実写映画の演出家とカメラマンの役割を合わせたような作業。緻密なレイアウトを基に、アニメーターはキャラクターの芝居を、美術スタッフは背景を描くことになります。「アルプスの少女ハイジ」「母をたずねて三千里」(1976年)は全話、全カットの膨大なレイアウトを宮崎さんが描いていたそうです。
「宮崎駿さんなど優れたアニメーターを引き付ける能力があった」
「名が知れていないころの宮崎駿さんを抜てきしたように、高畑監督は優れたアニメーターを引き付ける能力がありました」(田中さん)。
高畑監督は、物語の舞台を日本に移し「じゃりン子チエ」(1981年)を制作。その後の「火垂るの墓」(1988年)は、これまでになかった中間色を加えて描かれたのが特徴で、独自に調合された中間色はその後のジブリ作品でも使われていったそうです。「平成狸合戦ぽんぽこ」(1994年)などでは風土描写にかつてないレベルの写実性を求めていきました。
偶然見たカナダのアニメーション作家フレデリック・バックさんの作品に高畑監督は衝撃を受けたといいます。「木を植えた男」などスケッチのような絵全体が動く作風で「背景を描き込まなくても、人間は脳の中で補っていくものなんだと確信していったんですね」と田中さん。
その思いが「ホーホケキョ となりの山田くん」(1999年)を生み出しました。「シンプルに見えて、通常の3倍もの手間をかけて制作されています。興行収入は振るわなかったのですが(笑)、ジブリ作品の中でニューヨーク現代美術館に唯一収蔵されています」(田中さん)。
遺作となった「かぐや姫の物語」(2013年)は絵の力が見どころ。「原画で描いたざくっとした線をそのまま作品に昇華させました。絵描きの絵がそのまま動くようなアニメーションを実現させたのです。高畑監督が初めて満足した作品です」(田中さん)。
最後の展示品は高畑監督の仕事道具の一つ、ストップウォッチでした。緻密な作業の積み重ねから数々の作品が生み出されてきたことを実感できる構成で、ファンの人もそうでない人も必見の世界が広がっていました。
高畑勲展 日本のアニメーションに遺したもの
日時:~7月18日(日)9:30~17:30(7月の金・土曜は20:00まで。入館は閉館30分前まで)※月曜休館 場所:福岡市美術館(福岡市中央区大濠公園1-6) 料金:一般1,500円、高大生1,000円、小中生600円 ※税込み、未就学児は無料 問い合わせ:高畑勲展 福岡展実行委員会(西日本新聞イベントサービス内) 電話:092-711-5491(平日9:30~17:30)