目指すは、福岡の『よろず相談』!不滅の信用金庫への、新たな一歩。 ひびしん会長 野村廣美氏インタビュー。【後編:今こそ日本を、社会を支える信用金庫へ】<PR>

2024年、100周年を迎える福岡ひびき信用金庫。
新人時代から独自の手法でその成長に貢献してきた野村廣美会長に、その半生と仕事への向き合い方を伺ったインタビュー。
最後は、信用金庫ならではの
<今こそ日本を、社会を支える信用金庫へ>。
変わりなき信念と、変わりゆくわが町・福岡への挑戦を伺いました。

いつも朗らかな野村会長。気さくな雰囲気で話しが弾む
目次

江戸時代から続く、社会を支えるという理念

前回は、仕事の開拓手法と、受け継がれていくひびしんについて伺いました。
今回、改めて、銀行と信用金庫の違いから教えてください。

信用金庫が相互扶助の組織というのは、お話ししました。とことんお客様に付き合って、最後の最後まで面倒を見るというのは、銀行ではできません。しようと思っても、できないんです。信用金庫というのは、もともと、ずっとそういう風に教育も受けてきています。発祥の理念が違いますから。

もともとのスキームが、違ったんですか?

いわゆる株主に利益を配分する、配当… つまり株主支援を大事にするというのが、通常の資本主義ですよね、初期の大銀行の考えが元になってます。
それだけでは庶民は辛いので、産業組合などができていく中で新しい法律ができ、我々のような形が今日に至っているわけです。

だから、信用金庫は、地域繁栄が第一義。
そして中小零細企業を発展させる、そういうのが我々の仕事なので、いろいろ違ってきて当然です。そこを間違うと、信用金庫は銀行員になってしまいます。

それはどこからきた考え方ですか?

信用金庫の使命や目的というのは、遡れば、江戸時代、二宮金次郎(後の二宮尊徳)の考えに行き着きます。
渋沢栄一から昭和の経営者たち、松下幸之助や稲盛和夫などの経営者たちにまでが影響を受けたと言われる、社会のために働くという哲学です。

産業組合の発足と先人たちの奮闘

産業組合というのはどのようにして興ったのですか?

明治維新後、渋沢栄一とか立派な方が多く居られて、国立銀行を作ったころ、三井や三菱とかの財閥も大企業や大銀行を作ったんです。

一方で、ちょっとした商工業や商売をしている人はお金を借りられなかった。それで、ヨーロッパでも同じようなことが起きて信用組合ができているから見てこいと、政府の命で、品川弥二郎と平田東助という人物がヨーロッパ視察に飛ぶわけです。

ヨーロッパのどこで学んできたんですか?

それぞれ視察して、最終的にはドイツ方式がいいということで合流して持ち帰り、1900年にできたのが産業組合法と言われています。
そこから発展して、農協とか信用組合とか後の信用金庫ができていくわけです。

お話上手な会長はいろんなメディアに引っ張りだこ(Jcom:「北九州人図鑑」第20回放送)

<column 産業組合設立までの長い道のり>

【二宮尊徳】
薪を背負って野山を歩きながら本を読む少年の姿が有名な、二宮金次郎(後の二宮尊徳)。彼が唱えた「報徳思想」は、全国600を超える再興事業に生かされ、後世に大きな影響を残したと言われる独自の哲学。

【道徳と社会】
二宮尊徳は、人生、働き方、経済など道徳心をもとに社会の発展のヒントとなる4つの理念を生み出した。その1つが、倹約と儲蓄に励み、他人や社会のために生かすべきというもの。こうした考えが、明治期の産業組合設立時にも礎になったとも言われている。

【ヨーロッパ視察】
明治維新を迎え、農民や中小商工業者が貧窮に陥ったことから、金融の円滑を図るため、産業組合法と信用組合が誕生。山形出身の武士であった平田東助と、松下村塾出身の品川弥二郎が政府の命を受け、イギリスやドイツに派遣された。

【難産だった組合たち】
この時生まれた産業組合法は、現在の農業協同組合、信用金庫、信用協同組合、生活協同組合の母体となったが、問題も多く設立には二転三転したという。そのため、現在に至る「信用金庫」が成立するのは、1951年(昭和26年)と、実に半世紀を費やしている。

【非営利性の名前】
 設立時、名称を決めるにあたり「銀行」という言葉は使わないこととなり、紛糾。非営利性の金融機関として機能していた当時の政府系金融機関が、「〇〇金庫」といった名称であったことから、最終的に「信用金庫」となったという。

参考:◎報徳博物館ホームページ
https://www.hotoku.or.jp/sontoku/
◎nippon.com ホームページ ニッポン偉人伝〜二宮金次郎:よみがえる日本資本主義の「祖父」  https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b07209/?pnum=3
◎JA.com ホームページ
https://www.jacom.or.jp/noukyo/rensai/2013/04/130427-20697.php
◎全国信用金庫協会ホームページ「信用金庫の生い立ち」 https://www.shinkin.org/shinkin/ayumi/ 

まずは福岡!金融の社会インフラ整備へ 

信用金庫は、全国にいくつあるんですか?

信用金庫は254金庫現存しています。内、九州管内には26金庫です。

長い歴史の中で、たった1金庫だけ、東京にあった信用金庫が銀行※1になりました。今は合併して、もうわからなくなってますが。逆にいうと、なぜたった1金庫だけだったかというと、やっぱり信用金庫がいいからだと思います。

私は、北九州でこういうことをやっていますけれども、福岡にももっと伸ばしたいと思っています。

福岡市に? それは、なぜですか?

今、福岡市の推計人口は163万人で、北九州市が91万人。政令指定都市になった頃※2は、北九州が104万人で、福岡はまだ89万人でした。残念なことに、人、モノ、金、情報が北九州からのみならず、九州全域から福岡に一極集中になっていますよね。
これが進めば、ドーナツ化現象も起きたりして、都心部は空洞化、郊外は無秩序な開発が進むなど、少子高齢化が進む日本で、住みにくい町にもなっていきます。

それはいけませんね

はい、だから今いろいろ調べています。
そうしたら、驚いたことに、日本に今ある20の政令指定都市の中で、福岡の信用金庫のシェアが一番低かったんです。
京都が最も高く、47%もあります。その他、浜松、静岡、東京などもありますけど、とにかく福岡が一番低い。これはなんとかしなければなりません。要するに、信用金庫の良さを、もっと福岡市民にも知ってほしいんです。今あちこちの信用金庫に呼びかけて、福岡に支店や営業所を出してくれるよう言ってるんです。

※1:19244年(大正13年)に信用金庫として設立した八千代銀行は、1991年、信用金庫から普通銀行(第二地方銀行)に転身した唯一の金融機関。2014年には3行合併によりきらぼし銀行となっている。
※2:1972年(昭和47年)時点

少子高齢化対策に、出会いの場まで企画することも。町の隅々、将来までを見据えて

信用金庫のある町が、庶民が暮らしやすい町だからですね? インフラのように広めたいと

そうです。
以前、呉服町に信金中央金庫の福岡支店があったんです。夜になると高速道路からネオンがよく見える、大きなビル。あれを再現してほしい。
博多駅の方に移ってしまったんですが、現在の場所はテナントなので、名前も何も掲げていません。ATMもないんです。163万の市民に信用金庫のよさを知ってもらいたいのに、そんなことではできるわけありません。

だから、もう一度、元の場所に建ててもらって、九州管内の信用金庫がみんなであそこに事務所や支店を出して、そこから信用金庫の名を広めていく。福岡全域に広める。それが今の私の夢です。大事な最後の仕事だと思っていますね。

強くて優しい、よろず相談窓口を未来まで

では、今後の日本にとって信用金庫はどう関わっていくことが大切だとお考えですか?

信用金庫は、非力で弱い人の味方というイメージがあるかもしれません。そういった資金が足りない人の味方はもちろんですけれども、もっといろんな形でのなんでも相談、「よろず相談」みたいなことを広げていきたいですね。

本当の意味で地域に密着して、信用金庫に聞いたら町のことはだいたいわかるよと言われるような窓口。実際、全国の信用金庫は、そんな風に頑張っていると思います。

この地で、強くて優しい信用金庫を目指していきたい。強くて優しいというのは、理事長時代から言ってるキャッチフレーズですけれど、それを持ち続けていくことが大事だと思っています。

お客様に優しく、そして地域にはしっかりと強い経営体制を作ること。そうやっていつまでも愛される信用金庫を目指して、次の100年も、もっともっと切磋琢磨していきたいです。

そのためにも、まずは福岡でシェアを伸ばしていくことが大切だと。

やっぱり、1.4%ってシェアは問題なんですよ。京都なんか40数%って、半分近くの取引先が信用金庫を使っているということですからね?
それに比べると、どこにあるかもわからないような状態ですから。100個の石を投げて1個当たるかどうかという状態です。

とりあえず今の10倍が当面の目標です。

相当な努力がいると思います。地道にやらないと、一気にはできません。
福岡市民にもしっかり信用金庫のよさを伝えたいので、当然です。

歴史から未来予測まで博識な会長。勉強ぶりが伺える

よくなるという、確信があるんですね?

私は、若手経営者を育てるお手伝いをするために、ニューリーダー会という活動をやっています。
そして、取引先企業の「ひびしん同友会」というのも組織化して、もう50年経ちました。同友会のお客様は皆さん経営者。

特に福岡の同友会の方々が「本当に福岡ひびきと取引できてよかった」とおっしゃってくださるんです。
なぜですか?とお伺いすると、「いろんな銀行と取引しているけれども、こんなに客のために汗水垂らして一生懸命やってくれるんですね、知らなかった」と言ってくださるんです。

「今までお金を借りたいときはわざわざ銀行にお願いに出向いていたけれども、こんなに皆さんがやってくれるんなら、早くメインバンクにすればよかった」と。
こういう方がたくさんいたことは私も驚きましたし、本当にありがたいと思いました。

結局、知らなかったということなんです。知ってもらうことが大事なんですね。

あと10年は辞められそうにないですね。

いやいや、10年はできないでしょう。
私は個人的な夢というのはほとんどないんです。仮に引退したとして、桜前線を追って全国を旅して、ついでに城巡りでもしたいなというくらい。

ですから、まずは信用金庫のよろず相談を福岡に広めてからでなければ、気持ちよく旅立てませんよね。
もうひと踏ん張り、みんなの力を借りて、頑張ります。

著者情報

福岡のベンチャー企業「ラシン株式会社」が運営しています。福岡の中小企業、個人事業主さんの紹介を行なっています。

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