ネタも尽きたような気もしていた、この「ラーメン屋のせがれ」、あらためて思い出したことがあるので、ちょいと書いてみる気になりました。
うちの父は39歳で会社を辞め、40歳でラーメン屋を開きました。そう、脱サラです。1975年、元号で言えば昭和50年、「脱サラブーム」真っ盛りでした。
父は少ない退職金の一部を授業料に、プロのラーメン職人に短期間弟子入り、持ってなかった自動車免許も取って、格安で町はずれの店舗を借りてスタートしました。当初から味のバラつきを無くすよう心掛けるなど”素人くささ”を拭い去ろうと努力しているように見えました。
が、”氏より育ち”というか、どこまで行ってもなんとも言えない「勤め人色」は消えなかったように私は思います。
本文と関係ないんですが、きょうも適当な画像がないので、福岡の有名ラーメン店の写真を随時ちりばめていきます。
さて、「脱サララーメン屋」を長年見聞きしてきた私は、ラーメン屋に限らず、元勤め人の飲食店主はだいたい見破れる、と自負しています。
統計を取ったわけじゃないので、「お前の思い込みだ」と言われればそれまでですが、これまで「そうじゃないか」と思って確かめてきた経験では、ほぼ外れ無しです。一度も間違ってないかもしれません。
言葉では説明しにくいんですが、生粋の商売人でない店主には、なにか共通の「サラリーマンぽさ」が漂うんです。ただそこにいるたたずまいでもわかるんですが、お話をされると、よりわかる気がします。よく言えば理路整然、悪く言えば理屈っぽい感じがちょっとします。ある種歯切れが良すぎるというか。
最近は、ある種野心的な若者が学校出たてで、直接ラーメン業界に入ってくることも多いので、見分けがつきにくいんですが、昔は飲食店は「家業」であり、代々世襲的なところがあったので、元々そこに居る人と途中から参入した人の色合いが区別しやすかった気がします。
飲食店に限らず、商売人のおうちの子とサラリーマンの子では色々と様子が違っていた。この話、主に日銭の小規模店の話と思って下さい。
商売人の家庭は毎日現金を扱うから、ある意味お金に慣れていた。正月のお年玉とかビックリするような金額もらってる友だちもいました。その点、毎月決まった日に給料をいただくおうちは、金銭面は締めがちになるのは当然かもしれません。
前に書きましたが、一風堂の出現以来、ラーメン屋は稼業から事業に発展した部分もあり、勤め人としてラーメン店で働くサラリーマン大将も増えているかもしれません。
コロナ禍以降、ラーメン屋の倒産、廃業が空前の数字で増えていると聞きます。小麦、野菜などの材料費、ガス、電気などの光熱費の高騰もさることながら、人件費も上げざるを得ず、それ以前にきついイメージのラーメン店に働き手が来ないと聞きます。身近な例も知っています。
今苦しんでいる同業の方々には申し訳ない話ですが、うちの親の店がやめた5年前は潮時だったように思います。
物価全般上がっていますが、両親が開業した約50年前は200万円もあれば、店を始められたと思います。今は確実にヒトケタ違うはずです。
もしも脱サラでラーメン屋を考えている方がいらしたら、相当周到な計画と覚悟が必要な時代になっていることを老婆心ながらお伝えいたします。