【慣らし保育で大号泣】息子が笑顔で通えるようになった“おまじない”とは?

私は病院で医療職をしています。2人目を出産後は、のんびりと育児休暇を過ごそうと決めていました。ところが職場から突然の連絡が。コロナ禍による人手不足で早期復帰できないか、という相談でした。やるしかないと決め、私は1年の育児休暇を半年に繰り上げて復帰。生活が激変した私と長男、次男の怒涛の毎日がスタートしたのです。

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突然の仕事復帰

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 当時長男は3歳、次男は0歳。長男は、ママが大好きな甘えん坊、次男はまだ生後8カ月でした。人見知りも激しく、やっとつかまり立ちができるようになったばかり。
 しかし当時はコロナ禍。「少しでも役に立つため、頑張ろう!」と覚悟を決めました。

 2人とも「保育園」という場所、加えて「家族以外との集団生活」も初めてです。いざ登園が始まると想像をはるかに超えた忙しい日々でした。

 毎朝2人でのけぞりながら泣きわめき、先生たちも必死で保育室へ連れて行く…。その一方、私も復帰後の激務についていけず、仕事で疲労困憊です。

保育園入園を後悔して涙

 1カ月過ぎて、次男は登園ができるようになりました。しかし長男は
 「ママいかないで!」と泣き叫び、私は「いつまでこの生活が続くの…」と絶望的な気持ちに。

 ある日友人に相談をしたところ、子どもの手にニコちゃんマークのイラストを描く「ママからのおまじない」の話を聞きました。それからは毎日、長男の手の甲に油性ペンでニコちゃんマークのイラストを書き続けることに。
 「ママがいなくて悲しくなったら、これを見てママを思い出してね!」そう伝えました。初めは長男もその意味がわからなかったのか、じーっと見ているだけでしたが、次第に書くことに意味があることに気づいたのでしょう
 「ママー、おてて書いて」と言えるようになりました。

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 それでも変わらない毎日。私も心が折れてしまいました。毎晩子どもを寝かせた後、寝顔を見ていると自然に涙がこぼれるのです。「いつもそばにいてあげられなくてごめん。辛い思いをさせてごめん…」
 私は仕事復帰したことを後悔していました。「せめてあと半年、一緒にいてあげる選択をすればよかった」。毎晩のように私も泣きながら子どもに寄り添い眠る日々が続きました。

その日は突然やってきた! 笑顔で保育園に行く長男

 いつもは、朝起きた時から
 「今日もほいくえん?」のセリフから始まり、じわじわ涙が溢れていた長男。それがある日の朝、いつもより表情が明るいのです! そして自分から
 「おきがえする」と言い出しました。私は喜びよりも驚きの気持ちでした。

 そして手を繋ぎ、保育園へ。いつもなら泣きわめく長男が、先生と手を繋ぎニコニコした笑顔で私とハイタッチをし、保育室へと自分から向かって行ったのです! 入園から1カ月と16日目のことでした。

笑顔には先生と息子のメッセージが隠されていた

 その日のお迎えに行った際、先生から
 「お母さん、ちょっとよろしいですか?」と声を掛けられました。
 「お母さん、お家でも頑張ってらっしゃるんですね! 息子くんがお話ししてくれましたよ」と。

 その内容は
 「ぼくのママは、おうちで泣いているの。ママが泣かなくなるおまじないをかけたいんだけど、先生しらない?」と話したそう。

 あんなに朝から泣いていた長男が、まさかそんなことを考えていたなんて…。話を聞いた瞬間から私は涙が止まらなくなりました。先生は
 「ママが泣かないおまじないは、保育園に来た時にママとニコニコ笑顔でハイタッチをすることだよ!」と伝えてくれていたのです。

子どもは大人をよく見ている

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 その後、長男は泣かずに登園するようになり、いつの日からかママのおまじないも必要なくなりました。

 「まだ3歳だから」と、何もかも私は子ども扱いをしていました。小さな子どもであっても、一人の人間。環境の変化が訪れたときこそ、しっかりコミュニケーションをとるようにしよう、とこの時気づかせてくれました。

 現在、長男は5歳、次男は3歳です。今思えば懐かしい思い出ですが、子どもの成長は本当に早いです。新生活がはじまると親子で辛くなる時もあるかもしれませんが、一瞬一瞬を大切に、自分を責めず親子の絆を深める大切さを感じて欲しいです。

(ファンファン福岡公式ライター / niko mama)

※この記事内容は公開日時点での情報です。

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