生まれ育った町と人に寄り添うと、そこはいつも最前線だった。未来に続く地元愛、江口和規氏インタビュー。<PR>

金融業とはなにか。無知のまま飛び込んだ、信用金庫への就職。
劣等感の中から腕を磨いていったその人は、生まれも育ちも筑後という、生粋の地元っ子。
町、人に揉まれ、新しい時代の節目にも最前線で汗をかいて働いてきた。
みんなが「おかえり」と言ってくれる、人情派リーダー、江口和規氏にその半生を伺ってきました。

筑後信用金庫本店でお話を伺った、江口和規理事長
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コンプレックスを抱いてスタートした新人時代

筑後信用金庫に入庫された経緯についてお聞かせください。

江口:生まれも育ちもうきは市。そこから出たこともなかったし、特に興味のある仕事もなかったんです。それで高校の時、学校から信用金庫の求人に応募してみないかと紹介されたのがきっかけです。

 3月になって研修に行くと、男性同期の中で高卒は私含めて2人。あとは全員大卒でした。さらに当時は電卓ではなく、そろばんでの作業だったんです。高卒で肩身が狭い中、そろばんの段や級を持っている人たちに混じってのスタートは冷や汗ものでした。なかなか神経をつかいましたね。

 周りに迷惑をかけない程度になるために、そろばんだけで半年はかかりました。

それは大変でしたね。新人時代はどのような業務を任されていたのですか。

江口:入庫して半年ほど経過してから、渉外を任されていました。とりあえず外回りはしますが、訪問先では何も話せず、門前払いがほとんど。

 しばらくして、年末の資金繰り相談をいただいたんですけど、受付の仕方もわからず、右往左往してばかり。やっとの思いで申し込みを済ませたのに、12月中旬ごろにもどってきた審査の返事は「年内には間に合いません」。

 先方には非常に怒られましたが、新人ということで甘んじて受け入れていただき、「遅くなってもいいからちゃんとしましょう」と言ってくださったんです。これをきっかけに、ことあるごとに先輩たちの事例や稟議書の書き方を読み漁りました。

今みたいにマニュアルは準備されていない時代ですよね。

江口:そうです。だから一つひとつの案件をみて、自分で工夫して学ぶしかありません。

 入庫して5年目。支店長とご一緒することがあって、その時に「本部の審査担当役員がお前の稟議書はよくできていると言ってたぞ」と言っていただいたんです。そこから少し自信ができ、「稟議書は江口が一番だ」と言われるようになろうと、そんな気持ちで取り組んでいました。

組子の木箱や久留米絣の敷物など、さりげなく地域の名品がそこかしこに

苦しかった時代に見出した、金融業の本質

それからいろいろな支店をご経験されたのですか?

江口:最初に配属されたのが吉井支店、そこから甘木支店、千本杉支店へ異動し、そしてまた吉井支店、白山支店、花畑支店と経験してきました。
 甘木支店では、当時5千万くらいの大きな案件を初めて一人で担当したことが、大きな自信になりました。地元のうきはと土地柄が似ているからか、お客さまにも可愛がっていただきましたね。
 最初の配属先だった吉井支店は、後に支店長代理や支店長になって戻ると「大きくなって戻ってきたな、がんばれ」と声をかけていただくことも多く、ありがたかったですね。

一番大変だったのはどんな業務でしたか?

江口:花畑支店の後、本店営業部で貸付課長をやっていた頃ですかね。融資をお断りすると、地域の小さな事業所は途端に資金繰りが行き詰まり、事業を畳むことに直結する場合が多いので、大変なことも多かったです。

 その中でも印象深いのは、事業が行き詰まった事業所を担当した時でしょうか。私たちは回収したい債権者側でありながら、破産したくない事業所・そのご家族の思いも感じ、現実と感情の狭間にいました。最終的に廃業は避けられないとしても、将来どこかで再起を図って、幸せに人生を送ってもらいたいという想いで、弁護士を手配して不動産や保険の整理までお手伝いすることもありました。

 そこでお手伝いさせていただいた事業者の方とは、転居されて以来連絡が途絶えていましたが、3年ほど前に私が理事長になったことを小耳に挟んで、10数年ぶりにわざわざ挨拶にきてくださいました。

 「当時は頼れる人がいない中で、唯一の味方で、救われた」という言葉をいただいて、誠実に相手と向き合ってやってきたことが報われたというか。忘れずにいてくださったのが嬉しかったですね。

思わぬ苦労を秘めつつも、この屈託のない笑顔が愛される所以

そういう事業者の方の言葉を聞けると、励みになりますよね。

江口:45歳で支店長の話をもらったときも、思い出深いできごとがありました。

 当初の話では、初めて支店長をやるということで、久留米の小型店舗をうけもつ予定だったんです。ですが、吉井にある九州でも斯業界トップクラスの事業所で吉井支店の大口融資先が、事業承継後1年足らずで経営が傾いていると。「吉井エリアは江口の地元だから担当しろ」ということで、急遽、吉井支店の支店長になりました。それ以来しばらくは、ほぼ不動産業者のような立ち回りが続きましたね。

 結末としては、傾いた事業を立て直すことはできず、無力感を味わいました。ただ、そうした中で、事業者さまの土地が運よくいい条件で売れ、その売買代金の一部を事業者さまにお渡しすることができたんです。それから7年ほど経ったころでしょうか。その方が、「〇〇で再起しています、その節はありがとうございました」と訪ねてきてくださったんです。

 その言葉を聞いて、やっぱり気持ちは通じていたんだな、一生懸命誠実に向き合ってよかったなと思いましたね。

仕事冥利に尽きますね。

江口:事業を看取る時は、最後まで一生懸命やる。そういうことが大事だと、その時につくづく思いました。

 そして、これが金融業なんだと。

 実はその時、某地銀の支店長さんに、「決済資金が足りない時は、銀行みんなでやりましょう!」と駆け込んだことがあるんです。

 私も本部に駆け込んで理事長に直談判しました。失敗するかもしれないけど、どうしてもやりたいんだと言うと、理事長は「そこまで一生懸命になれる、お世話になったお客さんだったら、やってみろ」と言ってくださいました。  結果、うちとその地銀だけでしたけど、そんなご縁もあり、今でもその元支店長さんとは年賀状のやり取りをさせていただいています。いわゆる、戦友ですかね。

持ち上げられるのは実は苦手。役職も渋々引き受けてきた

エリアに生きる、ちくしんの強みを探せ!

江口理事長は、新しい業務に多く立ち会っていらっしゃるイメージがあります。

江口:そうですね。初めて内務役席(支店内の窓口の責任者)をやれと言われた時は、ちょうど融資業務のオンライン化がはじまるタイミングで、現場代表として研修に行かされました。

 その後は、本部のシステム担当と一緒になって全支店の指導や問い合わせ対応を行い、大変でした。

窓口の責任者もしながらだと大変でしたね。

江口:平成18年には本部に法務部というのができ、個人情報保護法制定に向け、準備をする専門部隊を作るというので、それの視察研修にも行きましたね。51、2歳ごろでしょうか。

 規定や運用ルールを一から作って、反社対策ルールやコンプライアンスの部署の立ち上げもやりました。大変ですけど、新しいものを作るのは面白いですね。

 その後、審査部に異動し、不動産担保をシステム化する作業の立ち上げに携わりました。さらにその後、業務部と企業サポート部の担当役員を兼務している時に大学連携の地方創生事業をスタート。

 前任の理事長からバトンをという話があったのもその頃ですね。

ほぼ、今の筑後信用金庫さんの原型を整えられた印象です。理事長になって、感じられていることはありますか?

江口:新しい筑後信用金庫を作っていかなければ、変わっていかなければいけないと感じています。

 当庫の強みって何だろうと考えた時に、融資の相談などの決済が早いことと、小回りが利くというか、痒いところに手が届くような営業力があることかなと。じゃあ、それをもっとスピーディに、もっと柔軟に、を徹底してどこにも負けない武器にしようと。

 そして、久留米地区の中小零細事業所を対象にした金融機関という原点を大切にしようと思っています。

風景に溶け込む筑後信用金庫のビル。いつも町と共に歩んできた

地域と未来のための、大学連携の取り組み

現在、大学と面白い取り組みをされていると伺っています。

江口:久留米工業大学と「社長のかばん持ち体験」、そして久留米大学とは『ここんにき』という地域経済情報誌の発行を行っています。

 「社長のかばん持ち体験」活動は、文字通り大学生が地元企業の社長の鞄を持って同行する取り組みです。

  「ここんにき」は「この辺り」という方言なんですが、地域の事業所やスタートアップ企業の紹介などを学生さんに取材、執筆してもらって、地域経済情報誌を共同で作っています。表紙の絵も学生さんの作品です。

 どちらも私が企業サポート部にいた頃、大学連携、地方創生の一環としてスタートしました。

この活動は何のために取り組まれているのでしょうか?

江口:地元の大学で、福岡県内で就職するのは、医学部など一部例外を除くと約2割。

 地元で人が足りないという課題を解決するために、まずは地域にどんな企業があるかを学生の子たちに知って欲しいんです。

 地域の中小事業所と学生さんを引き合わせて、そのご縁で就職してもらえれば一番いいんですけどね。たとえ一度都会に出ていったとしても、帰ってきた時、地元の企業を思い出して欲しい。もしくは志があるなら、自分で起業して、地元で事業者となるのも嬉しい未来ですよね。

 地元で働く選択肢を与えることで、人口減少のカバーや地域が元気になるお手伝いができたらと思っています。

このような大学と連携するプロジェクトを、信用金庫で取り組まれているんですね。

江口:「ここんにき」は独自企画ですが、「社長のかばん持ち体験」は、元々鹿児島相互信用金庫さんが実施されていたのを、真似させてもらったんです。すると、今度は遠賀信用金庫さんや福岡信用金庫さんが興味を持たれて…という風に広がっていきました。

 我々はどうしても小さいエリアでしかないので、情報を共有して業界全体でやって、大きなエリアになっていく。それが大事だと思っています。

筑後信用金庫ちくしん主催の野球大会。久留米市野球連盟の副会長にも就任

100周年をスピーディ&フレキシブルな対応で

100周年について、職員の皆さんにはどのように発信されたんですか?

江口:スピーディ&フレキシブルを代名詞にしていこうと発信しました。

 現場に浸透させて、見えるカタチにするって難しいんですよね。例えば、融資案件や相談事に対し、本部なら当日、渉外なら1週間、知っていることなら3日以内に​​返事することを指標にしようと。

 普段からどれだけお客さまに寄り添って、関心を持てるかが大事かと思います。

 同じ筑後地域でも、久留米と朝倉、八女も違う。地域地域の色を見極めながら、スピード感を持って、柔軟にやっていこうということです。

理事長になられて3期目。公私共に、あとやりたいことは?

江口:今年100周年を迎えますので、地域の皆さんにしっかりと感謝しつつ、この大切な一年をきちんとやり遂げようと奮起しています。今現在、100周年の事業の委員会を立ち上げて準備しているところです。

 ただ、100周年を喜んで終わりではなく、次の未来に向かって改善していきたいことがたくさんありますので、それもひとつずつ具体的にやっていくつもりです。

では最後に、個人としてやりとげたいことを教えてください。

江口:理事長になる前は山登りに熱中していたんですが、コロナもあって、全然行けていません。また体を鍛錬して、各地の山登りやスキーにもチャレンジしてみたいですね。

◾️profile:江口和規/1956年生69歳。うきは市吉井町出身。浮羽高校を卒業後、筑後信用金庫入庫、各支店及び本部でシステム化の立ち上げまで、ひと通りの部署と業務を経験。IT導入や個人情報保護法制定等の時代背景に伴い、現在の筑後信用金庫の原型を整える役割に貢献。2019年に現職就任。

著者情報

福岡のベンチャー企業「ラシン株式会社」が運営しています。福岡の中小企業、個人事業主さんの紹介を行なっています。

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