【不思議な体験】大好きなおばあちゃんから最後の贈り物とは?

大好きだったおばあちゃん。ひ孫を見せることができないまま、おばあちゃんは病気で帰らぬ人に…。私たち夫婦は2年ほど妊活をしていたのですが、なかなか授かることができませんでした。しかし、おばあちゃんが亡くなった翌月に妊娠が発覚! 少し不思議な体験を聞いてください。

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幼いころから大好きだったおばあちゃん

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 私が大好きな母方のおばあちゃん。おばあちゃんは近くに住んでいたので、学校帰りに寄ったり、週末も遊びに行ったり、私はおばあちゃん子でした。

 おばあちゃんが作る料理も大好きで、特に泊まったときに朝ごはんで出してくれる「オムレツ」が大好物でした。私が東京に出た後も、帰省したときには私の大好きな料理をたくさん用意してくれて、本当に優しいおばあちゃんでした。

 その後私は結婚して、生まれ育った地元に戻ってきました。おばあちゃんも大喜び。
 結婚したとき、もう30代に突入していた私たちは、すぐに妊活を始めます。夫の仕事は、不規則でなかなかタイミングを合わせることが難しい状況でしたが、最初は「そのうちできるだろう」くらいの感覚でした。

 しかし1年ほど経った頃、「あれ? 私って妊娠できないのかな?」と焦るように。それからは、さらに妊活がうまくいかなくなり、精神的に落ち込むことが多くなったのです。

おばあちゃんの病気が発覚

 私が妊活で悩み始めた頃。いつものように、おばあちゃんに会いに行くと、なんだか具合が悪そうな様子。当時おばあちゃんは80歳でしたが、いつも元気で、風邪もめったにひかないような人なのに。
 「この前まで元気だったのに、急にどうしたの?」と胸騒ぎがして、母と一緒に病院へ連れて行くと、即入院となってしまったのです。

 その後、様々な検査をして、診断されたのは「悪性リンパ腫」でした。
 「治療しなければ、余命3カ月」だと。おばあちゃんは、治療することを選びました。

 入院中、おばあちゃんが私に
 「子どもほしいんでしょう? 本当に楽しみ! それまでは頑張らなくちゃね!」と笑顔で言ってくれたことがあります。おばあちゃんには心配かけたくなくて、妊活のことも言ってなかったのに、何でもお見通しで、本当に驚きました。

 頑張って治療をしていたおばあちゃんでしたが、病気がわかってから約1年で亡くなってしまいました。 おばあちゃんとのお別れは、すごく悲しくて、たくさん泣きました。棺には、「ひ孫を見せてあげられなくてごめんね」と手紙も入れました。 

亡くなった翌月に起きた不思議な体験

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 お葬式が終わり、しばらくすると、私に不思議なことが起こったのです。
 ある日、おばあちゃんが夢に出てきて、穏やかな表情で「大丈夫よ」と私に言ったのです。

 そのときは、「寂しすぎて、夢見ちゃったのかな…」とあまり深く考えませんでした。

 しかし、おばあちゃんが亡くなった翌月。生理が遅れていることに気づき、妊娠検査薬をすると、くっきりと陽性が! 「おばあちゃんが私たちに授けてくれたんだ!」と直感的に思いました。もう嬉しくて、泣いて喜びました。

 夢で会ったときの「大丈夫よ」の意味もそのときわかったような気がします。おばあちゃんは今までと変わらず私を優しく見守ってくれていたのです。
 おばあちゃんにはもう会えないけれど、おばあちゃんを身近に感じることができた体験で、本当に嬉しかったのを覚えています。

不思議なことがもう1つ

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 その後の妊娠生活は、何ひとつトラブルもなく、幸せな妊婦ライフを満喫。おばあちゃんの月命日には、お墓参りを欠かさず、感謝を伝えに行きました。 

 不思議なことがもうひとつ。実は出産予定日は酉年だったのですが、8日も遅れて、おばあちゃんと一緒の戌年で長男が生まれてきてくれました! おばあちゃんを感じることができる不思議な出来事でした。

 初めて長男を連れてお墓参りに行ったときは、胸がいっぱいになりました。「おばあちゃん、最高にすてきな贈り物をありがとう」と伝えることができました。

 おばあちゃんと同じで、元気いっぱいで優しい長男。長男を見ると大好きだったおばあちゃんを思い出し、温かい気持ちになります。

(ファンファン福岡公式ライター / マッシュ2ママ)

※この記事内容は公開日時点での情報です。

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