<不妊治療>クセが強い先生! 体外受精に挑戦した私にかけてくれた言葉とは

結婚してちょうど10年目の年に、不妊治療で待望の娘を出産した私。不妊治療のクリニックを転々としてきた私が最後に出会ったドクターは、なかなかクセが強くおもしろい先生でした。初めての体外受精に挑戦し、結果を聞く日。緊張する私に、先生がかけてくれた言葉とは。

目次

不妊治療に至るまで

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 私は29歳のときに同い年の夫と結婚。「子どもは2年ぐらい経って産めたらいいか」と漠然と考えていました。

 私自身は4人姉弟で、うち3人がいわゆる“授かり婚”です。母親も妊娠しやすい体質だったらしく、私もすぐに妊娠できると思っていました。
 ところが、子どもがほしいと思い始めてから2年経ってもなかなか授からず…。授かりやすい家系だし、と自分に言い聞かせていましたが、年齢的にも焦りを感じ始め、結婚して4年が経ったころ、ようやく病院に行くことを決めたのでした。

 初めてかかったのは、当時住んでいた家の近くの産婦人科。妊婦さんが通っていることも多く、数回通ったものの焦りや嫉妬を感じてだんだんと足が遠のいてしまったのです。

 その後、夫の仕事の都合で2、3年ごとに引っ越しがあり、そのたびに近所の不妊治療クリニックを探して通っていました。いくつかの病院を転々とし、気づけばさらに4年が過ぎていました。

最後に通ったクリニックで出会った先生

 クセの強いT先生と出会ったのは、最後に通ったクリニックでした。産婦人科医のご夫婦が経営していて、産婦人科と、不妊専門のクリニックは別々に構えている病院。産婦人科は奥様、不妊治療クリニックはご主人が院長を務められていました。

 クセが強いのは、ご主人のほう。40代ぐらいで黒ぶちメガネに鼻ひげ、明るい雰囲気と軽めな口調で、初めて診察で会ったときは「ちょっとお調子者っぽいな」という印象で、あまり緊張せずに診察を受けることができました。

 口癖は「ベリグー(Very Good)!」。
 検査の結果がよかったとき、体の調子がよさそうなときなど、ことあるごとに
 「ベリグーベリグー!」と連呼され、なんだか面白い先生だな、と思ったことを覚えています。

 クリニックのブログには「犬の散歩に出るときに携帯で電話していたら、肝心の犬を忘れていた」、「散歩中に大声で講演会の練習をしていたら患者に見られた」など思わずクスリとするような先生のエピソードも書かれていました。

初めての体外受精に挑戦

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 タイミング法や人工授精を試しても結果にはつながらなかったのですが、T先生の明るさや
 「無理やりにでも笑顔でいると、よいホルモンが出るからね!」といった言葉で前向きになることができたのです。

 初めての体外受精を受けたのは、通い始めて2年ほど経った38歳のときでした。
 処置は痛みもありましたが、先生や看護師さんからの声かけもあり何とか乗り切ることができました。

 そしていよいよ妊娠判定日。ドキドキしながら診察室のドアを開けると… T先生が神妙な面持ちで立っていました。
 緊張して椅子に座って結果を待っていると、T先生が口を開き

 「〇〇さん……(数秒溜めて)、妊娠してた!」

 そう、結果はめでたく陽性!
 診察室に入ったときの、普段より暗いT先生の表情と低めの口調から、「やっぱりだめか…」と落胆しかけていたので、一気に力が抜けました。

 そんな私に、T先生は
 「よかったじゃん~!」といたずらっ子のような笑顔で握手をしてくれて、そこから診察室のなかは祝福ムード。嬉しくて思わず涙ぐんでしまったのでした。

治療の成功は主治医のキャラクターのおかげ?

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 治療自体は苦痛を伴うものもあり、「姉弟や友人はすんなり妊娠しているのに、なぜ自分はこんな思いをしなければいけないのか…」と落ち込んでつらい時期もありました。

 そんなときも、T先生のキャラクターのおかげで前向きな気持ちになれたり、気持ちをほぐしてもらえたりしたことがよい結果につながったのかもしれません。

 不安やつらさを感じることも多い不妊治療を乗り越えるためには、気持ちを楽にしてくれるような先生との出会いも大切なのかもしれないと今振り返ると思います。

 おかげでかわいい娘に会うことができ、今の幸せがあるのだと思うと感慨深くなります。「ベリグー!」と言いながら気持ちを上向かせてくれた先生には今も感謝しています。

(ファンファン福岡公式ライター / eminko)

※この記事内容は公開日時点での情報です。

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