<夫の行動に衝撃>必死に看病した恩を仇で返すとはこのことか!

夫から子ども、そして私へとインフルエンザに感染し一家全滅を体験しました。夫が寝込んでいた時は献身的に看病をしたのに、いざ私が寝込んだ時の忘れもしない夫の行動に愕然とすることになったのです。

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夫から始まったインフルエンザ

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 新年を迎え、お正月も終わり普通の日常に戻った1月上旬。夫が
 「なんか、寒いな…」と言ったので
 「熱を測ってみたら?」と体温計を渡しました。

 「38.5℃」の熱が出ていました。すぐに隔離し、翌日病院へ行くとインフルエンザ陽性との連絡がありました。夫は幸いなことに、有給休暇を取っていたため会社に迷惑をかけることなく、自宅で安静にしていました。しかし熱は39℃まで上がりとても辛そうでした。

 夫はインフルエンザで隔離しているので、私は2歳と4歳のワンオペ育児がスタート。育児をしながら夫にメールで「何を食べたい?」「買ってきてほしいものある?」と様子をうかがいながら子どもの育児と夫の看病をしていました。

続々と家族が感染

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 2日ほど経った日、一番恐れていた2人の子どもも高熱が出てしまったのです。すぐにインフルエンザだとわかりました。

 幸い子どもたちの症状は軽く、食欲もあり元気でしたが心配は尽きません。子どもたちの看病と夫の食事とで、私の睡眠時間は2時間ほどに。ふらふらになりながらも、子どもたちが心配だったので1日でも早く治るようにと夜通しで看病をしていました。

 発症から4日後、夫は熱も下がり完全に復活していました。子どもたちは熱がありましたが、とても元気で一安心していたとき最後に私がインフルエンザになってしまったのです。

 私はここ10年ほど熱を出していなかったので、久しぶりに体調を崩しました。夫が
 「完全に復活したからママは休んでなよ!」と言ってくれました。実家の母に助けてもらい果物やごはんを買ってきてもらいました。

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 私は寝込んでいましたが、夫からは「何食べたい?」「何かほしいものある?」など聞いてくれることもなく… 自分でキッチンに行き、母が買ってきてくれたお惣菜を食べていました。なんだか悲しくなりつつも「子どもたちを1人で見ていて余裕ないのかな」と思い、寝ていました。

 夫は、自身が寝込んでいる間に処方された子どもたちのお薬事情を知りませんでした。「間違えて与えてしまったら大変」と心配だったので、薬をあげる時間になったら、倒れそうになりながらも私が子どもたちに薬をあげていました。

 夫はわたしの体調がそこまで悪いと思っていないのか「休んでて」という言葉もなくなりました。夫が子どもをお風呂で洗ったあと
 「ママが待ってるよ!」と言うので、熱がありきつい状況でしたが、私が子どもを拭いて着替えさせていました。

今までの気持ちが爆発!「実家に帰る!」

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 翌日、体調が優れないなか子どもたちの薬を飲ませにリビングに行くと、子どもと夫は朝食を食べていました。夫に
 「ママのご飯もそこにあるよ!」と言われて見てみると…

 小さいお皿に、卵焼きがひとかけらだけ置いてありました。夫がインフルエンザのときは何が食べたいかを聞いて、体に優しいものを作って、2人の子どもの育児や看病もすべて1人でこなしてきました。

 しかし、私が体調崩したときはどうでしょう。ご飯を作ってくれたわけでもない。子どもの育児も一緒に行い、しまいには朝食に「卵焼き1かけら」。とても悲しい気持ちになり、我慢の限界でした。

 「もういい! こんな扱いされるくらいなら実家に帰る」私は荷物を詰めて、子どもたちを連れて家を出ようとしました。夫はさすがにまずいと思ったか、すぐに駆け寄りとても焦った表情で
 「落ち着いて、話そう」と言いソファーへと誘導しました。

 少し冷静になった私は、夫が体調崩したときと私に対する扱いの違いについて話しました。夫も反省をしたようです。
 「そうだよね。申し訳なかった…」と謝ってくれました。普段は子どもたちの面倒もよく見てくれて、本当に良いパパであり夫なのです。

 しかし、今回はお互いに心の余裕がなくなっていたように思います。これを機に、夫は毎朝
 「よく寝れた? 今日の体調は?」と私の体調をより気にかけてくれるようになりました。改めて心身ともに健康が第一だと再確認できるできごとでした。

(ファンファン福岡公式ライター/mii24)

※この記事内容は公開日時点での情報です。

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