教習所マジックの悲しい結末… 自分勝手な元カレにドン引き!

「教習所マジック」というと教官に惹かれる場合が多いようですが、私の場合は合宿で出会ったある人に対してでした。意気投合し付き合うまでは良かったのですが、結末は最悪だったのです。

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合宿所で出会った彼

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 大学2年生の春休み、友人と車の運転免許を取得するために合宿へ行きました。ところが運転のコツを掴めず初回の教習をもう一度受けるなど、私は最初からつまずいてしまいます。

 対して順調だった友人は最短日数で卒業検定に受かり、先に帰宅していきました。合宿所に一人残り、私が心細さと自分の運転の下手さに落ち込んでいた時です。
 「一人になっちゃったの?」と明るく話しかけてきたのが、合宿所に私より4日遅く入ってきた同い年の彼(A)でした。

 人見知りをする私ですがお喋り好きで明るいAは話しやすく、Aと話す楽しみができたおかげで前向きになることができました。卒業検定ではAと同じ車に乗ることになったのですが、緊張する私を
 「大丈夫!」と余裕の表情で励ましてくれます。おかげで緊張がほぐれたのか無事に合格。

 Aも合格し、帰りの新幹線では
 「学科試験も頑張ろう!」と励まし合って帰宅しました。

お付き合いスタート

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 合宿から2カ月後、無事に運転免許を取得した私たちは居酒屋で再会。Aとのお喋りは変わらず楽しいな… と居心地の良さを感じていた時です。急に笑顔から真顔になり、まっすぐ私を見るAから
 「合宿所で話している時から好きだった。俺と付き合って」と告白されたのです。

 嬉しく思いながらも私は返事に一瞬迷います。Aが過去の恋愛について「あまり続いたことがない」と合宿所で言っていたのを思い出したからです。これにはAの熱しやすく冷めやすい性格が関係しているようでした。

 けれどこの時私は合宿所でたくさん励ましてくれたAへの感謝の気持ちが大きく、Aの良い部分がクローズアップされている状態。Aと付き合ったら楽しいかも! と、深く考えずにOKの返事をしました。

連絡が少しずつ減っていき…

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 お互いの自宅が電車で2時間の距離の私たちは、会えるのは月に1回程度。代わりにメールは毎日しており、「誕生日いつ?」と聞かれ、秋にある私の誕生日を伝えると「楽しみにしてて!」と返信が来るなど、やり取りを楽しんでいました。

 けれど付き合って3カ月目、夏休みのデートの予定を電話で決めていた時です。私が夏休みの後半は実習で埋まっていると伝えると、Aは
 「マジか…」とあきらかにがっかりした様子。この頃からAが急に素っ気なくなり始めるのです。

 夏休み中、唯一のデートの予定は前日にドタキャンされ、Aから毎日5通以上来ていたメールは0に。私からメールしてみても返信は「うん」だけなので、以降は連絡するのをやめてしまいました。

ドン引きな別れ

 もう少し様子を見るか別れを切り出すかを迷っていると、私の誕生日まであと3日に迫った日の夜、久しぶりにAからメールが届きました。メールには「俺たちもうダメだと思う」とだけ書いてあります。

 私も同じ気持ちだったので別れるのは賛成。けれどこの一言だけのメールに返信して終わるのはモヤモヤが残ります。最後に話した方がお互いスッキリするのでは、と思い私はAに電話をしますが、1分ほど待ってもAは出ません。

 メールが来た直後に電話をかけるといつもAはすぐに出るので、あえて出なかったんでしょう。Aの一方的な終わらせ方にイラっときた私は「もう!」と電話を切り、怒りに任せてAの連絡先を消去、初デートの時にお揃いで買ったストラップはゴミ箱へ捨てて、とすぐにAの痕跡を消し去りました。

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 以前Aが「楽しみにしてて」と言っていた誕生日はまだ怒りが継続中で、ヤケ酒を飲む日に。けれど友人たちが私の愚痴を聞き
 「それひどいね!」と一緒に怒ったり、サプライズでケーキを用意したりと気遣ってくれたおかげで、誕生日が終わる頃には気持ちがスッキリ。翌日には立ち直ることができていました。

 私はどちらかというと恋愛慎重派なので、出会った場所が違っていたら、長続きしなさそうなAと付き合うことはなかったと思います。けれど当時の私はAのことを救世主のように感じており、冷静な判断ができていませんでした。

 教習所マジック恐るべし… と痛感し、今も苦い思い出になっているできごとです。

(ファンファン福岡公式ライター/坂 真琴)

※この記事内容は公開日時点での情報です。

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