「初孫はうちの子」初節句のお祝いで義両親と夫のトラブルが勃発!

初孫の誕生をとても喜んでくれた義両親。しかし義両親から「この子はうちの子だ」と言われたら、みなさんはどう思いますか? 私は愛しいわが子を取られてしまった気がして、モヤモヤしました。そんなわが家では、初節句のお祝いについて、ある騒動が起きました。義両親がとった行動とは…?

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長男は、家を継ぐべき!?

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 私の旦那は長男で、実家は昔ながらの風習が残る、年配者の権力が強い家でした。そんな風習に嫌気がさしていた旦那は、結婚前から
 「実家は継がない」と話していました。

 結婚後私たちは子どもを授かったタイミングで、一戸建てを購入することに。義実家の敷地は広く、建てられるスペースもありましたが、隣町に自分たちのマイホームを購入することにしました。

 家購入の契約前に義両親に報告へ行きました。義両親は困った顔で
 「日本で長男に生まれたからには、代々家を継ぐ宿命なんだよ」と、なんとも時代錯誤なことを私たちに訴えました。

 旦那は
 「これから生まれてくる俺たちの子には、家に縛られることなく、やりたいことを好きな場所でやらせてあげたい」という思いを伝えました。義両親は、快くではなかったものの、しぶしぶ納得してくれました。

息子を出産

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 その後、私は元気な男の子を出産しました。私の両親と義両親は、初孫の誕生をとても喜んでくれました。義父にいたっては
 「わが家に八代目が誕生したぞ!」と、ご近所さんに言って回っていたそうです。「八代目」という言葉を聞いて私はなんだか息子を義実家に取られたような気がして、モヤモヤしてしまいました。

 5月の初節句の時期が近づくと、私の両親は息子の初節句のお祝いについて、どういうものにしようかと相談してくれました。私たち夫婦は出し入れが楽で、コンパクトに収納できる兜(かぶと)を買ってもらうことに。

 義両親も息子が誕生したとき
 「初節句のお祝いを買わなきゃな~」と言ってくれていたので、同じようにコンパクトな五月人形をリクエストしようと夫婦で話しました。

2時間にわたる家族会議

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 義両親の家へ泊りに行った日のこと。私は寝室で息子の寝かしつけをしている間に、旦那はリビングで義両親に初節句について話すことに。

 しかし1時間経っても、旦那は寝室に戻ってきません。義父の大きな声が聞こえてきたので、リビングへ様子を見に行ってみました。すると、なんだか旦那が困っている様子。話を聞くと、義父は初節句のお祝いとしてもうすでに大きな鯉のぼりを買ってあるというのです。

 「孫はうちの子だから、うちで鯉のぼりを毎年揚げるね!」と義母は笑顔で言いました。「うちの子」ってどういうこと? と私は思いました。

 義実家の地域では、男の子が生まれると名前入りの鯉のぼりを揚げる習慣があります。旦那の幼少期にも、同じように鯉のぼりを揚げていたそうです。旦那は
 「鯉のぼりの支柱立てるのに、少なくとも大人3人は欲しいよね?」と怒って言いました。

 「そうだよ。お前は親だから、毎年支柱立てに来いよ?」と義父は言いました。酔っぱらっていた義父は、段々と声を大きくして言いました。
 「もし俺たちがいなくなって、この家を取り壊して土地を売ったとしても、お前や孫の鯉のぼりを立てた場所だけは、残しておいてくれないか…」と泣きそうになりながら旦那に訴えています。

 旦那は、長男だけど実家を継がないことの後ろめたさをずっと感じていたので、父親の泣きの訴えを受け入れ、「毎年支柱を立てにいくこと」を覚悟しました。

義両親とはほどよい距離感で

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 どういう形であれ息子にお祝いをいただけるということに感謝して、何を買ってもらうかは義両親の意思を尊重することに。旦那は
 「そういえば俺も小さいころ、鯉のぼり揚げてもらえて毎年うれしかったし。息子もきっと喜ぶだろう」と言いました。

 そして今では息子が3歳になり、自分の鯉のぼりを揚げてもらうととても喜んでいます。私たち家族が遊びに行くと義両親は積極的に息子の子守りをしてくれたり、幼稚園の行事で旦那が仕事の日に手伝いに来てくれたりして、子育てを手伝ってくれています。

 昔ながらの考え方や発言に戸惑うこともありますが、息子に対してたくさんの愛情を注いでくれている義両親に感謝し、今では程よい距離感で関係を築けています。

(ファンファン福岡公式ライター/ミムラ)

※この記事内容は公開日時点での情報です。

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