<お盆の不思議な体験>祖母の介護で疲れ切った家族 帰ってきた祖父からのプレゼント

認知症の祖母の介護で気持ちの余裕がなくなっていた当時の私たち家族。イライラが募る日々で迎えたお盆に不思議な体験をしたことによって家族の絆を取り戻せたのです。

目次

祖母に現れた認知症の症状

写真AC

 畑仕事が得意だった祖父が倒れ、約10年の介護の後に亡くなったのは私が高校生の頃でした。そこから遺された祖母に少しずつ認知症の症状が現れ始めました。はじめは道具の場所を忘れたり、予定を忘れたりするだけでした。

 数年かけて症状は進行し、お風呂場で転倒したのをきっかけに介護が始まりました。
 「私の財布がない! 〇〇(母)が盗んでいったとや!」
 「ここにあった道具をどこやった? 〇〇(私の弟)が持っていったとやろう! 返さんね!」など、半年は来ていない私の弟が盗んだと思い込み罵倒することもありました。

 祖母は長女である母を厳しく育てていたため、特に母に辛辣で遠慮がなく、介護に行くたびに母は喧嘩して帰ってきました。

 叔母家族や福祉士さんなどとも話し合いながら介護を続けていましたが、母が疲弊していくのを目の当たりにして私も介護への参加を決めたのです。それから高速道路で4時間の距離を3歳の長女を連れて、一週間泊りがけでの介護生活が始まりました。

祖母の介護と暴言で疲れていく

写真AC

 祖母は孫の私が子育てをしながら自分の介護に来ることに困惑しました。
 「旦那さんはどうしたんね? 私のことはいいから」と祖母らしい性格ではじめはとても気遣ってくれていました。
 「自分でするからいいよ」と言いながらできないことに苦悩する祖母。同時に自分の世話を孫にさせることにとても抵抗感を感じていたようです。

 私が一週間泊って介護をし、その間、叔母と母にはリフレッシュしてもらう。次の週はどちらかがきて介護をするという具合に数週間に一度の介護生活は数年続きました。

 祖母はその間に寝たきりになりました。最初の気遣いもなくなり、
 「孫じゃ何にもできないね!」と私に暴言を吐くことも増え距離感が近づいたと感じましたが、同時にストレスも増えました。

お盆の時期に不思議なことが

写真AC

 ある年、お盆の季節に私が介護の担当になりました。長女は小学一年生になったため、長期休みのタイミングで私たち家族が担当するように変更したのです。
 
 その日は祖母が長女に気に入らないことがあって
 「バカ!」と暴言を吐いてきたため私と喧嘩をしました。気分転換に子どもを公園に連れていき、お盆用の買い物をして帰宅し玄関前を通りかかった時です。

 懐かしい祖父の匂いがしました。まだつけていないはずの線香の匂いと、畑仕事を終えて帰ってきた当時の祖父の匂いが一緒にしたのです。懐かしい気持ちでいっぱいになりました。

 私はこの不思議な体験を祖母に話しました。すると祖母は穏やかな顔で
 「じいさんはあんこ餅が好きじゃったね~」などと話しながら一緒にお供えをし、その夜はいつもよりもずっと楽しく介護を終えることができました。

急な夜中の電話

写真AC

 その夜、夜中に私の携帯電話が鳴りました。出ると母からの電話で、祖父が叔母の夢に出てきて「母に連絡を取るように」言ったというのです。胸騒ぎを覚えた母から「祖母の様子を見てきてくれ」と頼まれ祖母の部屋へ行くと、なんと祖母がベッドから落ちてたのです。

 「ばあちゃん大丈夫!?」急いで駆けつけると
 「ごめんね。ティッシュ箱が落ちて取ろうとしたらずり落ちて… 起こしたら悪いと思って呼ばなかったのに… なんでわかったんね?」と祖母は申し訳なさそうに話すのです。

 驚きつつも抱き起してベッドに寝てもらい、母に連絡を入れました。亡き祖父の匂いがした夜、不思議な体験の連続で祖母のアクシデントを解決することができて、心がほっこりしました。

 それからは祖母と祖父の話や昔の暮らしぶりの話、子ども時代の話など祖母とたくさんの話ができました。なくしていた余裕を少しずつ取り戻し、穏やかな気持ちになれたのです。

 この不思議な体験ができたのはこの夏だけでした。
 亡くなって何年経っていてもお盆にそっと見守ってくれている家族がいる体験は、今回とても心強く感じました。お盆には不思議な体験をすることがあります。亡くなった誰かのために静かに祈っている私たちの姿を、彼らはちゃんと見てくれているのだと思います。

(ファンファン福岡公式ライター/musukari)

※この記事内容は公開日時点での情報です。

著者情報

ファンファン福岡(fanfunfukuoka)は、街ネタやグルメ、コラム、イベント等、地元福岡・博多・天神の情報が満載の街メディア。「福岡の、人が動き、人を動かし、街を動かす」メディアを目指しています。

目次