「食べるなんてかわいそう!」妹が鮮魚コーナーで懇願した初めてのペットとは…

小学校4年生の頃、ペットNGだったわが家で唯一飼わせてもらえたのが、近所のお祭りで捕まえた金魚でした。私はその金魚たちを大事に育てていましたが、3歳下の妹は金魚にあまり関心を示さずにいました。そんなある日、妹はスーパーで運命的な出会いをしたのでした。

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鮮魚コーナーで出会った初めての…

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 私が小学生の頃の夏休みの話。当時母が仕事をしていたため、夏休み等の長期休暇になると、妹と一緒に近くに住む祖父母の家によく遊びに行っていました。ある日、仕事が休みだった母と妹と一緒に祖父母の家に遊びに行こうとすると、祖母から買い出しを頼まれスーパーに寄って行くことになりました。

 祖母から頼まれたもというのは「どじょう」。柳川焼きが大好物の祖母が私たちに振る舞おうと、買い出しを頼んだのでした。スーパーに到着し鮮魚コーナーに向かうと、そこには元気よく泳ぎ回るどじょうの姿が。つるっとした体につぶらな目のどじょうを見て
 「可愛いね~」と妹は嬉しそうにその姿を眺めていました。

ショックを受けた妹の衝撃発言

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 母がどじょうを注文をし、妹が不思議そうな顔で
 「そのどじょうどうするの?」と尋ねると、
 「おばあちゃんが柳川焼きにするんだって。おばあちゃん、本当好きだよね~」と答えたその瞬間、妹の表情が一気に曇りだしたのです。

 それもそのはず。祖母の家でよく手伝いをしていた私は、柳川焼きの材料としてどじょうが使われているのを知っていたのですが、妹はそこで初めてその事実を知ることになったのです。すると、ショックを受けた妹が
 「こんなに可愛いどじょうを食べちゃうなんて可哀想! うちで飼いたい!」と衝撃のセリフを放ち、まさかの大号泣。

悩みに悩んだ母の決断

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 確かにあのつぶらな目は可愛かったけど、まさか飼いたいと言い出すなんて思いもせず、母も私も驚きを隠せませんでした。その当時はスマホもなく、その場でどじょうについて調べることも、ましてや買い方を調べることもできず、ただただその場を収めようと必死な母。

 「家にお姉ちゃんが夏祭りの金魚すくいで捕った金魚もいるし、どじょうはやめとこうよ。飼い方も分からないしさ。」となだめると
 「でも飼いたいの! 絶対食べないで!」の一点張り。私は子どもながらに「一緒に水槽に入れたら、金魚たちが食べられちゃう!」と不安になり
 「うちで飼うなんてだめだよ! そのどじょうはおばあちゃんが食べるんだから!」とせめてもの抵抗をしたのでした。

 しばらくその攻防戦が続き、埒が明かないと悟った母は
 「よし分かった。飼ってもいいけどちゃんと世話するんだよ」とどじょうを飼う決断を下したのです。するとさっきまで号泣していた妹はすっと泣き止み大喜び。「まさか本当に飼うことになるなんて…」金魚のことを心配している私をよそに、母は柳川焼き用とペット用のどじょうを数匹ずつ購入しました。

どじょうとのひと夏の思い出

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 自宅に帰宅後、PCでどじょうの飼い方について調べ、金魚とどじょうが一緒に住める環境に整えると、母と妹はそうっとどじょうを水槽に入れてあげました。「せっかく私の金魚だけの場所だったのに…」まだどじょうを飼うことに乗り気ではなかった私は、元気に泳ぎ回るどじょうを嬉しそうに眺める妹に対して、嫌悪感すら抱いていました。

 その日から妹は毎日登校前にどじょうたちに朝ご飯をやり、週末には水槽の掃除をすすんで行い、甲斐甲斐しくお世話をしていました。最初こそどじょうを飼うことに否定的だった私もどじょうがだんだん可愛く思えてきて、
 「どじょうに名前をつけたい!」という妹と一緒に名前を考えたり、ネームプレートを作ったりして、いつの間にか家族の一員として受け入れていたのでした。

 しかしそんな生活は長くは続かず…。ある日学校から帰宅すると、先に帰宅していた妹が水槽の前でしくしくと泣いていました。「まさか…」と水槽を覗くと朝まで元気に泳ぎ回っていたどじょうが全て死んでしまっていたのです。

 悲しみに暮れながらどじょうたちを2人で土に埋めて、妹と一緒に作ったネームプレートを立ててお墓を作りました。それからというもの、妹は
 「またどじょうを飼いたい!」と言い出すことはありませんでした。命の儚さを知った、忘れもしない夏の思い出となったのでした。

(ファンファン公式ライター/Lealea)

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