​​【ヒーローに憧れていた息子】反抗期を迎え、悩み、最終的にたどり着いた職業は

息子の保育園時代のヒーローは仮面ライダーディケイド。毎朝、起きるとすぐに変身ベルトを装着し、2階から「おはよう。お前たち!」とディケイドになりきって降りてくるほど、大好きでした。ヒーローに憧れていた息子もあっという間に大きくなり、この夏、晴れて社会人に。20歳になった息子は、どんなヒーローになったと思いますか?

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仮面ライダー大好きな息子

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 あの頃、毎週日曜の朝はテレビの前でディケイドに夢中だった息子。そんな彼に感化され、私たち親もディケイドにハマり始めたある日、主人がイベントチラシを持って帰宅しました。                                
 「今度の休みに仮面ライダーショーがあるって」息子は大喜び。

 イベント当日は大張り切りで最前列をキープしましたが、早朝から並んだため、かなりの時間待つ羽目になってしまいました。息子が退屈し、
 「まだー?」とぐずり始めた頃、ついに
 「やあ! お前たち!」とディケイドの声が!
 「ディケイドーー!!」と、数分前までぐずっていた息子のテンションもV字回復です。

 この日は、挙手した人がステージ上に上れる設定でしたが、みんな初めて生でみるショッカーに怯え、立候補者はゼロ…。そんな中、最前列で
 「ディケイドー!!!」と叫んでいた息子が、
 「お前! 元気いいな!」とショッカーの目に止まり、抱っこでステージに上げられたのです。

 至近距離で見る生ショッカーに号泣する息子。あまりの泣き声に、ショッカーの皆さんが
 「ごめんね」と小声で囁きながら、慌てて客席に送り届けてくれました。

反抗期突入!

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 そんな息子も小学生になると、次第にディケイドへの熱が冷め、中学生になる頃には反抗期に突入し、絵に描いたような厨二病ティーンエイジャーに。そしてこの頃から、学校からの呼び出し電話に怯える私の日々が始まります。

 自分から売ることは無くても、売られたケンカはスルー出来ない性格。無駄に正義感に溢れているため、受け流せず友達との衝突が増えてきました。

 「有り余るエネルギーをどうにかしなくては」と悩んでいた時に、後に息子がディケイドと同じくらいの熱量で夢中になる、あるスポーツに出会ったのです。

アイスホッケーから得たもの

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 それは「氷上の格闘技」と言われるアイスホッケー。                  

 「オレ何でも出来るし」が口癖で、一匹狼のビックマウス。友達はいるもののトラブル続きだった息子に、コーチが与えたポジションはディフェンダー(守備)。

 シュートを放ち得点を狙う攻撃の中心、フォワードが希望だった息子は、最初こそ納得出来ない様子でした。しかし、練習を重ねる度にどんどんディフェンダーとしての自分の役割を自覚する様になり、仲間を引き立て、支える存在へと変化していきました。

 アイスホッケーはプレーの展開が早く、チームワークがとても重要です。
 激しい接触も多く、仲間への信頼や連帯感があって、初めて安心してプレーできるのです。「全員が一つとなり、共にゴールを目指す」。息子がアイスホッケーから学んだ協調性や利他の精神、忍耐力と強いメンタルは、彼を成長させ、その後の仕事に活かされています。

ハタチになった今

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 15 年前の七夕に
 「みんなをたすける でぃけいどみたいなひーろーになりたいです」と短冊に書いた息子。15年後の今年7月、憧れだった職業、「消防士」になりました。

 「将来の夢は?」と聞かれ
 「ビッグになる!」と真顔で答え、思わず先生と顔を見合わせた、中学の三者面談。高校の三者面談では
「ホッケーで怪我して、救急搬送で救急隊の人にお世話になった時、こんな風に人の為になる仕事に就きたいと思いました。消防士目指します!」と答えました。

 その時々で息子が描くヒーロー像は違っていましたが、「誰かのために」という根底の部分は変わらない、と感じます。そんな彼は私のヒーローです。

(ファンファン福岡公式ライター/さくらえ)

※この記事内容は公開日時点での情報です。

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