出産間近に起きたトラブルで娘を生んだ後、寝たきりになりました。そんな私に代わり、全力で育児する頼れる存在であった母。しかし、娘の面倒をみるうちに母性が爆発した母は、とんでもない行動に!
想像とは全く違った子育ての幕開け
初めての出産を控え、夫と娘の3人で始まる新しい生活に心躍らせていた私。しかし、出産間近に、恥骨結合離解という、恥骨の結合部分が離れることで激しい痛みが生じ、歩行困難となる疾患を患ったのです。こうして、想像とは全く違った子育てが、両親が暮らす実家の介護ベッド上で始まりました。
隣で娘が泣いていても、立ち上がろうとすると恥骨に激痛が走ります。ベビーベッドまでたどり着くことも、娘を抱き上げることもできません。情けなくて悲しくて、先が見えない不安でいっぱいでした。
そんな私のそばで、24時間娘の育児を支えてくれたのは母でした。娘が泣くと母が娘を抱き上げ、私の元に運びます。元幼稚園教諭で大の子ども好きな母は、とても頑張り屋な性格です。娘の育児も、張り切って引き受けてくれました。
そんな中、父は、いつも通りの生活を送っていました。根は優しいが口下手で不器用な父は、突然の育児に奮闘する母や、思いがけない状況で苦しむ私、そして小さな孫に、どう接していいか分からなかったのでしょう。
母の母性が爆発 我慢の限界に達した私
娘は、よく泣く子でした。座ったままの私の抱っこでは泣き止まないことも多く、いつしか母は、抱き上げた娘を、私に渡すことなくそのまま抱っこしてあやすようになりました。
母は、娘を世話するうちに、母性本能がくすぐられたのでしょう。ある日、
「おばあちゃんのおっぱいでも吸うかなぁ?」と娘におっぱいを咥えさせたのです。私は、突然の出来事に呆気にとられました。しかし、何もできない私に代わり、大変な育児を担ってもらっているのです。ただ笑って見ていることしかできませんでした。
そして、ついに事件が起こったのです。母が、娘をあやしながら、自分の布団の中で添い寝させ、泣き止んで寝た娘を見て、こんな言葉を口にしたのです。
「やっぱりおばあちゃんの匂いが安心するのかなぁ」
娘を奪われたような気持ちになった私は、せきを切ったかのように感情があふれ出ました。そして、矛先はまさかの娘に。私は、
「もう! そんなにおばあちゃんがいいのなら、おばあちゃんの子になりな!」と、娘に向かって叫び、泣き崩れたのです。母はきょとんとした表情を浮かべていました。
救世主はまさかの人
そのとき、隣部屋にいた父が、突然私たちの部屋に入ってきて、母に優しい口調で諭すように言いました。
「この子は誰の子や? A(私)の布団で寝かせなあかんやろ。思い描いてた育児ができずにつらい思いしとるんや。できることはさせてあげなあかん」と、父が私の思いを代弁してくれたのです。
はっと我に返ったような表情をした母の目からも涙がポロリ。
「ごめん、Aちゃん。Aちゃんを早く回復させてあげたくて、なるべく休ませてあげなきゃ、おばあちゃんがやらなきゃって…。Aちゃんの気持ち、考えられてなかった」泣いてばかりの娘の育児に、母も一生懸命になりすぎていたのでしょう。
この出来事以降、娘が泣くと、必ず娘を私のところへ運ぶようになった母。私のサポート役に徹してくれました。そして父は、母の負担を減らすため、得意の料理を振る舞ったり、時には泣き止まない娘を抱っこしたりするようになりました。
娘は、父の大きなお腹に支えられる抱っこも気に入ったようで、私があやしても母があやしても泣き止まない時でも、父の抱っこにだけ泣き止むこともありました。
こうして家族一丸となった育児で、すくすく元気に成長した娘は、今では3歳。全力で育ててくれた母の苦労を知ってか知らずか、母のことが大好きな「おばあちゃんっ子」です。
父は、よく娘に
「赤ちゃんの時、じいちゃんの抱っこにだけ泣き止んだんやぞ」と自慢げに話しています。当時は大変だった育児も、今となっては良い思い出。母はよく
「私みたいに頑張りすぎたらあかんよ!」と、母に似て頑張り屋なところがある私の育児を、今でもそっとサポートしてくれます。きっと娘は、私たち家族の絆を強めるために産まれてきてくれたのだと感じています。
(ファンファン福岡公式ライター/yutaka)