義母は車で8時間以上かかる他県に住んでいるにもかかわらず、毎回「今日帰る」と突撃訪問。義母なりの言い分はあるのでしょうが、突撃訪問以外にも勝手な行動が目立つため、私は頭を抱えています。
突然の電話

今、私が暮らしている家は、義母の実家です。義母は結婚と同時に義父の仕事の都合で他県に引っ越し、子どもを産み、引っ越し先に家を建てました。
夫が大学4年生の時に義母の父親が他界。年老いた義祖母が1人暮らしになること、広くて立派な家がゆくゆくは空き家になることを懸念し、夫は義祖母宅から通える範囲で職を探し、家を継ぐことを決意。そこに私が嫁ぎ、私たち夫婦と義祖母で暮らしていました。
義母は義祖母の様子を見るため、毎回
「今日そっち(実家)に帰るから!」と朝の5時前に電話をかけてきます。電話をかけてくる時間も、こちらの都合を考えない勝手な行動も、帰るという言葉も。何もかもに腹が立ちます。
義母との生活

結婚当初、義母は半年に1回ほど、義祖母の様子を見にやってきて、2~3日滞在していました。
「今日帰る!」に思うところはあるものの、義母にとっては実家だし仕方ないのかと、半ば諦めていました。滞在日数も短かったため、この頃は大きなトラブルはありませんでした。
ただ、数年が経ち、義祖母が介護を必要とし始めた頃から、義母の滞在は1週間、2週間と徐々に伸びるように。ついには、他県の自宅に義父を残し、自分は介護のために実家で暮らすと言い出します。相談ではなく、決定事項として言われたことに戸惑いを隠しきれませんでしたが、私もフルタイムで働いていたので義母の協力は必要でした。こうして、義祖母、義母、主人と私と子どもの3世帯同居が始まりました。
この同居期間は、想像を絶するストレスの日々でした。遠慮を知らない義母の言動に不満は募り、別居を考えたことは1度や2度ではありません。
例えば、子どもに
「たくさん遊びな~」と車のおもちゃを買い与えておきながら、
「床が傷つくから、やっぱり遊ぶな!」と急におもちゃを取り上げることも。
長女が小学校に上がるタイミングで部屋を明け渡す約束が、
「机は置いても良いが、クローゼットは自分が使う」と、とにかく言っていることが二転三転します。
私が2階にエアコンを付けたいと言ったときは
「壁に穴があくから駄目だ」と却下したにもかかわらず、自分の部屋にはエアコンを付けていたのです。義母の傍若無人なふるまいに私たち家族は振り回されていました。
年に数回、義祖母をショートステイに預け、義父の住む自宅へと義母が帰る時だけが、心休まる時でした。しかし、この移動日に関しても、行きも帰りも当日連絡が当たり前。義祖母がまだ自宅にいるのに、自分だけ外出していたり、義祖母が自宅に帰ってきたのに、まだ義父の元に居たこともありました。もう、ここまでくれば報連相のできない、予定の立てられない人と哀れにも思えました。
義父の近くに住んでいる4つ上の義姉は
「いつも母が迷惑をかけてごめんね」
「いずれ母はこっちで引き取るから」と、いつも気にかけてくれるので、まだ救われています。
そんな生活が10年近く続き、義祖母は94歳になった翌月、静かに息を引き取りました。病気で苦しむこともなく、娘、孫、ひ孫に囲まれ穏やかな最期でした。一周忌まで無事に済ませ、義母は自宅へと帰りました。これで気ままな核家族生活を満喫できるとホッとしたのが正直なところです。
戦いはまだ続く…

しかし、今でも義母の突撃訪問は続いています。それのみならず、私たちが買った本を勝手に捨てたり、逆に花瓶や置物など不要なものを買ってきたりと、わが物顔でのふるまいも続いています。
1つ1つは小さなことですが、相談もせず勝手に決めるなんて、我慢できません。それならば、自分がこちらに引っ越し、私たちは他に家を探せばいいのではないかと、何度も持ちかけました。
しかし義母自身も70を過ぎた身。後のことも考え、私たちに住んでほしいというのです。そう思うなら、勝手な行動は控えてほしい。ここは義母の実家かもしれないが、今は私たちの家なのだと訴えています。
主人と義姉は、私の意見を理解し、尊重してくれる強い味方です。2人と協力しながら、これからも義母と戦い続けます。
(ファンファン福岡公式ライター/橋本)


