子どもの何気ないひと言ってほっこりすることもあれば、時としてママにグサッと刺さることもありますよね。これは息子が小学校低学年の頃の話。「ママ、顔が汚れてるよ!」と不意に指摘されたそのひと言にどんな気持ちが湧いてきたかちょっと聞いてくれませんか?
ある日突然の「顔が汚れてるよ!」
ある朝、いつものように朝ご飯の準備をしていると、息子が私の顔をじーっと見つめて言いました。
「ママ、顔が汚れてるよ!」と、まるで小さな探偵のように自信満々に指摘してきたのです。
突然の発言にドキッとしましたが、すぐに察しがつきました。息子が気にしているのは「汚れ」ではなく、私の頬にある小さなシミだったのです。普段、そこまで気にしていないつもりでも、改めて子どもに指摘されると意外とショックなものでした。
「ああ、そうか、これが“汚れている”と見えるのか」と苦笑いしながらも、少しだけ切ない気持ちになりました。
子どもはストレート… だけど悪気はない
子どもって、本当に言葉がストレートですよね。「顔が汚れてる」なんて言われると、大人からすれば「もしかして老けて見えている?」なんて余計なことまで考えてしまいます。
でも、そこに悪気がないのが子どもの純粋さ。息子にとっては、目に映るままを素直に口にしただけで、それが相手にどんなふうに響くかなんて考えてもいない歳頃です。それでも、やはり大人にとっては一瞬ハッとさせられる瞬間。子どもから無邪気な視線で突き刺されるような感覚を味わったのは、実はこれが初めてではありませんでした。
以前も
「ママ、目の下が青いよ」と言われ、寝不足をズバリ指摘されたことが…。純粋すぎる言葉が持つ破壊力、ママならではの“子育てあるある”かもしれません。
シミを隠そうか、堂々と向き合うか?
息子にシミを指摘されてから、それまでもシミの存在には気づいていたものの、さらに気になるようになってしまいました。
「化粧で隠そうか? それとも、堂々と受け入れてしまうべきか?」プチプラコンシーラーを片っ端から試したこともありました。
ある時、テレビで笑う演技について話す女優さんが
「笑い皺ができてこそ、ホンモノ!」と話しているのを目にしました。皺の話ではあったものの、ふと自分のシミと重なり「これは自然な歳月の証なんだな」と思えるようになりました。
もちろん、シミをなくすためのスキンケアを頑張る気持ちも捨てたわけではありませんが、私が堂々と自分らしさを受け入れる姿を見せることも、子どもにとって良いお手本になるのかもしれないなと。
そう思うと、息子の言葉も私にとって大事な“気づき”のひとつです。自分の外見に対してポジティブに向き合うことが、私にとっても、そして将来の息子にとっても大切な姿勢になるはず。息子が成長して大人になったとき、このシミもまた懐かしい思い出として語れる時がくるかもしれませんね。
ママの顔は人生の地図
顔のシミがそんなに気にならなくなったある日、息子から
「このシミっていうの、なんか地図みたいだね!」と言われ、ハッとしました。
私の顔にできたシミや笑いジワは、単に「汚れ」ではなく、育児や生活の証。地図のように、これまでの思い出や道のりが刻まれている人生の証なのかもしれません。
息子にとっても、これから成長していく中で、私の顔がずっと変わらずにいられるわけではありません。その変化も含めて、家族の“歴史”として受け入れてもらえたらと思いました。そんな風にポジティブに考えられるようになってからは、鏡に映る自分の姿にも愛着が湧いてきて、シミのことが気にならなくなってきました。
息子の何気ないひと言から、改めて今この瞬間瞬間がとても大事な時間だということに気づけて、今あるかけがえのない子育ての時間を大切にしていきたいなと思える出来事のひとつでした。
(ファンファン福岡公式ライター/Happymam)