中学生のときにカレーを一週間ぶっ続けで食べたくらいのカレー好き、久留仁譲二でございます。
そんな私が40年近い会社生活でよく通ったカレーのお店、ほとんど絶滅しちゃいました。
経営者の方が高齢になられ、やむなくというケースも多いと思われますが、私の思うカレー屋さんがなくなりがちな理由(仮説)はおいおい書いていきます。
ということで、ワンビル開業とかで新しくなっていく福岡ですが、一方の思い出の中にしか存在しない「古き良き」カレー店のことを何回かに分けて書きたいと思います。

最初に紹介したいのは、私感覚ではわりと最近、二、三年前に閉店した「河(かわ)」です。福岡歯科大の近く、福岡市早良区田村の静かな道沿い(東に進むと、有名なふくちゃんラーメンもあります)に建物は当時のまんま今も残っています。

これこれ、このボリューム感が河のカレーの神髄です。ああ、今夜中ですが、今すぐ食べたくなってきた。これはホタテ貝トッピングだったかなあ。ルーはあらゆる具が溶けてしまったてるタイプで非常にねっとりした粘り気のある感じです。辛さは無限に近いくらい何倍にも何十倍にもしてくれるんじゃなかったかと記憶しています。元々がそこそこの辛さなんですけど、20倍とかにしてもそんな食えないほど辛くなったような気がしませんでした。
で、ごはんは昨今のコメ騒動でちょいと注目を集めた「カリフォリニア米」だったはずです。店内にそう貼り紙してました。これがかために炊いてあって、私の好みにピッタリ、ここのルーにもピッタリ。
よく覚えてないけど、普通盛りも中盛りも大盛りもたしか値段変わらなかったはずです。その代わり残すと、お金を払わなければならないというシステム。
私はだいたい腹ペコで行って、中盛りを勢いよく平らげるというパターンでした。

対して変わりばえしませんが、もう一枚。なつかしいなあ。繰り返しますが、きょうは夕食で井手ちゃんぽんの大盛りいただきましたが、すぐペロリと食べられそうです。
この河は以前は六本松に近い中央区草香江にありました。私が行くきっかけになったのは、地元のグルメ本のカレー特集に載ってたからだと思います。プランニング秀巧社から出ていた「美味本(おいしんぼん)」だったかもしれないなあ。
マンションの一角的なわかりにくい車も停めにくい立地でした。安くてボリュームがあって、味も自分好みだったので、うちから遠いけどちょいちょい行くようになりました。
で、四半世紀前くらいですが、小学生だった子どものサッカーの試合が鳥飼あたりの小学校であったとき、昼どきに「よかカレー屋がある」と言って来ていた父兄さん数人を案内でして河を訪れました。みなさん「ウマイうまい」と召し上がっていたので、良いことをしたと満足していたら、妻から「あのカレーはあんまりいおいしくない。他の人たちも迷惑やったっちゃない」と驚くようなことを言われ、びっくりしました。「こんなウマイカレーが気に食わない人もいるのかあ」。好みの問題、見解の違いだから話し合ってなんとかなるものでもなし、しかたありません。

その後、立ち退きにあったのか理由はうかがっておりませんが、今の場所に移転されました。今の場所といっても営業してませんが。
草香江時代は近くに九州大学の教養部があったので、低料金でおなか一杯になる河には若い九大生も沢山通っていたようです。
私の知人のKさんも九大時代に河のとりこになった口で、私が閉店のことを知らせたらすさまじく落胆されていました。「おれのカレー人生、終わりだ」とでもいう空気感でした。
河、私はカレーばっかり食べてましたが、ハヤシライスとかハンバーグとか洋食メニューも色々充実していたんです。たしかご主人はフレンチレストランのシェフだったはず。それなのに、あのイメージの違う大衆的な趣のあるカレーライス。良い意味でこだわりのない柔軟な姿勢だと思います。
ご夫婦でされていましたが、奥様が天国に召され、ご主人も体調がすぐれないということで続けられなくなったそうです。
もう食べられないと思うと、先のKさん同様絶望的な気持ちになりますが、今は奥様のご冥福をお祈りし、ご主人のご体調回復を願うばかりです。


