会社のお荷物扱い!? 「もっと働けるんじゃないの?」に燃えた時短勤務ママの逆襲劇

息子たちが保育園に通っていた頃、私は時短勤務をしていました。勤務先では上司との定期的なキャリア面談があり、その場で自分が“会社のお荷物”のように扱われている印象を受け、悲しみと怒りが込み上げてきたのです。「こうなったら、仕事で成果を出して見返してやる!」と奮闘した結果…。

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時短勤務だった私

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 息子たちが保育園に通っていた頃、私は時短勤務をしていました。平日の夕方は家事や育児の余裕を持ちたかったのと、子どもの発熱による急な呼び出しや保護者会などの予定が日中に入ることも多かったため、時短勤務制度に大変助けられていました。

 私の会社では、子どもが小学校3年生になるまでは時短勤務が可能で、実際にその制度を活用している先輩社員もいたので、職場環境としては恵まれているほうだと感じていました。

時短勤務は会社のお荷物?

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 勤務先では、四半期に一度、上司とのキャリア面談がありました。これは今後どのような立場でどのような仕事をしていきたいかを話し合う場です。ですが私の場合、時短勤務をしていたこともあり、面談の話題は働き方に関することが中心でした。

 ある日の面談で、上司から
 「時短勤務はいつまで続ける予定?」と聞かれたので、
 「息子たちがまだ小さいので、もうしばらく続けたいです」と答えました。すると上司は、
 「お子さん、いくつになったんだっけ?  確かご実家は近かったよね?」と質問してきたのです。

 「年長と年少です。実家も近いですが…」と答えると、それ以上の追及はありませんでした。ただ、上司の少し棘のある言い方が気になって仕方がありませんでした。表向きは時短勤務を認めてくれていても、心の中では
 「赤ちゃんでもないし、実家も近いなら、もっと働けるんじゃないの?」と思っているように感じたのです。

 実際、当時は私が参画していたプロジェクトが非常に忙しく、人手不足の状態でした。
 「時短勤務の私は、会社の戦力になれていないのかな…」と悲しくなる一方で、
 「人手が足りないからって、時短勤務中の従業員をもっと働かせようとしないで欲しい!」という怒りもこみ上げてきました。

仕事で成果を出すぞ!

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 私は、制度として認められている範囲で時短勤務を続けたかったのです。でも、上司にあまり良く思われていないと感じる環境では、働きにくさを感じるのも事実でした。

 「それなら、もう仕事で成果を出すしかない!  “時短勤務を快く認めてもらえる環境”を自分の力でを勝ち取ろうじゃないか!」そう奮起した私は、プロジェクトの繁忙期の数カ月間、とにかくがむしゃらに働きました。

 保育園からの当日連絡先を夫に変更し、保育園からの急な呼び出しを気にせず仕事に集中できるようにしたり、テレワークを活用して出社を控え、通勤時間をそのまま勤務時間に充てたりしました。同僚とのランチも控えて、とにかく時間を効率よく使える環境を整えました。

 「時短勤務を会社に申請しているのに、実際は時短勤務になって無いじゃん…」と最初は面白くない気持ちでいました。ただ、続けていくうちに「忙しいと言いつつ楽しそうだね」と同僚から言われるほど、仕事に熱中し、楽しくなってきました。こうして無事にプロジェクトの繁忙期を乗り越え、プロジェクト終了時には、取引先から高評価をゲットしたのでした。

上司を黙らせろ!

 取引先から高評価をいただき、上司も私もプロジェクトメンバーも、大喜び。それ以来、上司から時短勤務についてあれこれ言われることはなくなりました。むしろ、以前よりお休みの調整をしやすくなったり、  
 「会社にどういう制度があったられしい?」と聞かれたり、会社に必要とされていると感じることが増えました。

 「時短勤務は当たり前の制度だと思っていたけれど、希望する働き方を認めてもらうためにも、良い人材になろう!」と次第に思うようになりました。今では、フルフレックスができたり、子どもの夏休みに長期休暇をもらえたりと、より柔軟な働き方ができるように。育休から復職する後輩社員も、私の働き方を知って「こんな自由に働いて良いんですね!」と、復職に前向きになってくれたりすることもありました。結果的に、上司を黙らせる以上のご褒美をゲットしたのでした。

(ファンファン福岡公式ライター/繊細なずんだもち)

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