明治生まれの祖母のちょっと怖くて不思議な思い出をまとめた連載「祖母が語った不思議な話」正続編終了時に、多くの方から続編を望まれる声をいただきました。御期待に応えた第3シリーズ、今回は似非祓い師・井笠磨太呂のお話です!

文月(七月)の太陽が灼く田舎道をふうふう汗をかきかき行く男が一人…似非(えせ。にせもの)祓い師・井笠磨太呂である。
〝叩かなくても鳴る邪を払う太鼓〟を売った帰りだった。
「竹で枠を組んで紙を貼り、中に飛蝗(バッタ)を入れただけだが良く売れたわい。見本一つしか残らんかったわ」
相変わらずのいんちき商売である。

「しかしこの暑さはたまらんな」
井笠が茶店で休んでいると、隣りに座っていた男二人の話が聞こえた。
「あ〜あ、いい地獄だった」
「うん。気持ちの良い地獄だったな」
…気持ちの良い…地獄?
井笠が首を傾げているうちに二人は出発してしまった。

奥から茶を運んできた娘に尋ねると娘は笑いながら言った。
「あんれぬしゃあはそったらこつも知らねえのけ? 地獄ゆうたらこん先の山ん中さある湯ぅのこった」
「なに、温泉? それは行かねば!」
喜んだ井笠は娘に道を教わった。
「あん山道さ登ってずんずん行ぐと峠を越し、煙のもぐもぐ出とる谷へ出っぺ。そこが地獄さ。地獄さついだら一番手前の湯壷に入るだぞ! それより奥に行ぐと湯ぅはぐらぐら煮えたっとるし煙と瘴気でやられっちまうかんな」
「かたじけない! 善は急げ!」
井笠は軽い足取りで山道を登り始めた。

峠に差し掛かると道の傍らに若い娘が座っていた。
「どうなさいました?」
「温泉に行こうとここまで来たところ、急に癪(しゃく)が起こりまして」
「温泉ならあと少し、ほらあんなに湯気が。私が連れて行ってあげましょう」
「かたじけのう存じます。あなた様は…」
「旅の陰陽師・井笠磨太呂という者です。邪を祓うありがたい太鼓を里に届けた帰りです」
「まあ、あの名高い井笠様でしたか」
「まだまだ修行が至りませんが…ささ、お手を!」
二人は手を繋いで谷を下った。

もうもうと立ち上がる煙にあちこちの奇岩がまるで人のように浮かび、強烈な硫黄の匂い。
周囲には鳥の死骸がいくつも転がっている。
「これは! 地獄とは良く言ったもんですな」
「いえいえ、まだ足りないものがありますよ…地獄には」
「それは?」
「これですよ」
女が笑ったかと思うと背丈が倍ほどに伸び、頭からは二本の角が、手足からは鉄のような爪が生えてきた。

「うわぁ〜」
思わず逃げ出した井笠だが、あまりの湯気と煙に視界を失いすぐに岩につまづいて転んだ。
しかしそのおかげで女鬼は井笠を見失い、すぐ横を通り過ぎて行った。
「どこだどこだ? お前にやられた仲間の恨みを晴らしてやろうぞ」
井笠はそろそろと背中の荷物から例の太鼓を取り出すと、地獄の奥に向かって渾身の力で投げた。
ポンポポンポン ポンポポンポン
運良く湯壷を外れて落ちた太鼓は中の飛蝗が暴れ出し鳴り始めた。
「ははあ、そこか!」
喜悦の声を上げながら女鬼は太鼓の音のする方に進んで行く。
音を立てないように井笠がそろそろと山道を戻りかけたとき、背後でもの凄い声が聞こえた。
「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁあおぉぉぉぉぅぅぅう」
煮えたぎる湯に落ちた女鬼の断末魔だった。

「あんれぇ、こんなに汗かいで…主ゃあ地獄さ行ったのではなかったけ?」
「行った、行った! もう少しで、べ、別の地獄にも行くところだった」
駆け戻った茶屋でそう言うと井笠は気を失った。
翌朝は久しぶりの雨。
地獄も落ち着いているだろうと村人総出で出かけると、井笠の言った通り女鬼が湯壷にはまって息絶えていた。
女鬼退治の井笠磨太呂としてその名はさらに高まった。
そして妖(あやかし)達の間でもまた。




チョコ太郎より
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