福岡市博物館「戦国時代の博多展9」筑前表錯乱―1550年代の動乱

 「戦国時代の博多展9」筑前表錯乱(おもてさくらん)―1550年代の動乱が9月13日(日)まで、福岡市博物館(早良区)で開催中です。桶狭間の戦いで織田信長が今川義元を討ち取る前の1550年代は、北部九州も大転換期でした。大内氏と大友氏の2勢力が争う状況が崩れ、戦乱の中で新たな体制に変わっていく様子を、博物館蔵の古文書をひも解きながら時代のうねりを紹介します。

目次

1550年以前の政治状況~大友氏と大内氏の対立

 応仁(おうにん)・文明(ぶんめい)の乱(1467~77年)以降の約100年間を戦国時代と呼びますが、九州では室町幕府の威令がおよびにくく、南北朝の動乱から断続的に戦乱が続いていました。  幕府が九州統治のために設置した九州探題は、15世紀前半に少弐(しょうに)氏との抗争で力を失い、探題渋川(しぶかわ)氏を支援して周防山口を本拠地とする大内氏が九州に進出。北部九州の政情は大内・渋川氏と大友・少弐氏との二大勢力が対立する状況で推移します。

出典:福岡市博物館

大内氏の内紛と筑前国内の混乱~義隆の自害と義長の擁立

長らく続いた両勢力が争う状況は、1550年代を経て新たな体制に変化を遂げます。  そのきっかけは、大内氏の内紛でした。天文20(1551)年、重臣の陶晴賢(すえはるかた)が謀反を起こして大内義隆を自害に追い込み、大友義鎮(よししげ または宗麟)の実弟・晴英(はるふさ 後に義長)を新当主に迎え入れます。  晴賢は高鳥居城(現在の福岡県篠栗町・須恵町)の筑前守護代である杉興運(おきかず)を討ち、自身が筑前守護代となり、家来の毛利房広(ふさひろ)を筑前小守護代として送り込みますが、早くも天文22年に筑前国内の政情は悪化します。  怡土郡代(いとぐんだい)が城督を務め、大内氏の筑前支配の一翼を担ってきた高祖城(現在の糸島市、福岡市西区)において、原田隆種(たかたね)の高祖里城が房広を主将とする大内軍に攻め落とされています。  同23年には高鳥居城が陥落し、大内氏の筑前支配は混乱をきたします。

出典:福岡市博物館

大友氏の勢力拡大

大友氏は、少弐氏または大内氏が筑前国を支配した時代から、博多湾沿岸に3つの拠点を有していました。博多の海側に位置する息浜(おきのはま)(陸側は大内氏もしくは少弐氏が支配)に加え、東の粕屋郡、香椎郷(福岡市東区)、西の志摩郡(福岡市西区、糸島市)と、博多湾の両翼を領有しました。それぞれに立花城と柑子岳(こうじだけ)城を築き、大内氏の筑前支配をけん制しました。  義長が大内家の家督を継承すると、大友・大内両氏の関係は対立から融和に転じ、筑前における大友氏の権限は、旧来の三拠点を越えて大内氏の支配領域に拡大していきました。単純に大内氏から大友氏への交代ではなく、大内氏の支配が継続する中で、大友氏の権限は大内氏の支配領域である那珂、席田(むしろだ)、早良・怡土郡等におよび、大内氏家臣が保有する所領でさえ大友氏が保障する事例が見られるようになります。

大内氏の滅亡~厳島の戦いから義長の自害

 天文24(1555)年10月、義長を擁立した陶晴賢が毛利元就(もとなり)との厳島の戦いで敗死すると、大内氏の分国各地で戦乱が起こり、大内氏の支配は急速に危機に陥りました。  筑前においても「筑前表錯乱」という状況になります。

出典:福岡市博物館

 2年後の弘治3(1557)年4月には、義長も元就に攻められ、自害しました。  義長が死のわずか4日前に最後まで付き従った家臣に対し、その忠功をねぎらうために与えた知行充行状(ちぎょうあてがいじょう)です。  通常、主従制の根幹となる土地の給与は大振りの竪紙に右筆書で書かれますが、本文書では、小さな料紙に直筆で書かれています。義長の切羽詰まった状況がうかがえます。

大友氏による北部九州平定~博多の焼き打ちと復興

 大内義長が治世わずか5年で倒れ、大内氏が名実ともに滅びると、大友義鎮は即座に挙兵し、大内氏が治めていた筑前、豊前の接収に乗り出しました。この時、秋月氏や筑紫氏等、大友氏に抵抗する勢力が挙兵し、筑前、豊前、肥前3カ国では戦乱が激化します。  この過程においてすでに弱体化していた少弐・渋川両氏は歴史の表舞台から姿を消します。永禄2(1559)年には、肥前勝尾(かつのお)城(佐賀県鳥栖市)の筑紫惟門(これかど)が大友氏の支配下にあった博多を襲撃し、焼き打ちを行います。  しかし、大友義鎮は同年末までに敵対する勢力を圧倒し、以前から治めていた豊後、筑後、肥後に加え北部九州6カ国を支配下に収めました。  戦後、大友氏による博多復興が行われ、御笠川の流路を変更し南側に房州堀が築かれ、博多は北を海、東西を川、南を堀に囲まれた防御性を高めた都市に変貌しました。  大友氏が北部九州を一元的に支配する体制は、一時、毛利氏の九州進出や国衆の蜂起が見られますが、天正6(1578)年末まで続いていきます。 (福岡市博物館/堀本一繁)

「戦国時代の博多展9」筑前表錯乱―1550年代の動乱

日時:開催中〜9月13日(日)9:30〜17:30(最終入場17:00) ※8月23日(日)までの金~日曜は20:00まで開館(最終入場19:30) 場所:福岡市博物館 企画展示室1(福岡市早良区百道浜3-1-1) 料金:一般200円(150円)、高・大生150円(100円)、中学生以下無料 ※( )内は20人以上の団体料金 月曜休 ※休日の場合は翌平日休 電話:092-845-5011

福岡市博物館公式ホームページ

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