奴国の丘歴史資料館見学【続き】その②「久留米譲二」

 だいぶ時間が経ちましたが、春日市の「奴国の丘歴史資料館」訪問時の続きです。

 その前に3回目のワクチン接種のその後ですが、もうなんともありません。まあ、十日経ちましたから。

 時間を追って状況を書くと、

 ①2月8日(火)15時半 接種・・・当日変化無し

 ②9日(水)午後 注射を打った左腕上部、とくに腋の下が痛くなる 夜23時頃 体温37度1分 

 ③10日(木)早朝4時半 体温37度9分(だいたい体温が36度行くか行かないかで低いので久しぶりに経験する高さ) この日終日腋の下中心に左上腕部の鈍い痛みが続くが、体温は夕方平熱に戻る 就寝後も腕の痛みのせいで寝つかれない 

 ④11日(金)起きると、痛みはかなり軽減 午後にはほとんど感じなくなった その後回復に向かい、今に至る・・・

 という具合で、およそ1日半から2日ほど「副反応」らしき症状が出ました。はっきり言って大したことない方でしょう。

 誰彼かまわず無責任なおすすめはできませんが、健康に自信のある方は、早めに3回目接種した方が安心した暮らしができるような気はします。接種会場ガラガラですぐ済みますし。いくらオミクロン株は重症化しないという(あくまで)話でも感染すると、しばらくの間大変な不自由を強いられますからね。

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 本題の奴国の丘歴史資料館(春日市)です。こんな本格的な銅矛(どうほこ)があります。古代の物だとあなどってはいけません。かなり精巧に形良く作られてます。いつの時代にも手先の器用な人はいるものですね。

 えらく形が整って揃ってるでしょ。

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 後ろの器とか、後で複製したようにきれいな形で保存状態が良いのが驚きです。

 このあたりになると、文字通り「断片的」にしか残ってないので、全体がどんなになっていたのかまではようわからん感じです。

 それにしても、これだけ沢山出てきたら、発掘してた人たちも楽しかったでしょう。青磁のお椀といえば、有田焼とか古伊万里のことを思い浮かべますが、こんな大昔からあったんですね。何をのせて食べてたんでしょうか。

 勾玉(まがたま)、日本史で習いましたが、実物をまじまじ見るのは初めてです。すごくちゃんとしたアクセサリー、ストーンマーケットとかに売ってそうです。この色、「ターコイズ」っていうんですか、すごく好きな色です。

 管玉(くだたま)もかすかに聞いた覚えがあります。なんか釣りの重りみたいです。

 耳飾りは今でいうピアスでしょうか。大昔からおしゃれな人はいたんでしょう。

 甕(かめ)もいろんな大きさがあります。大きいのは水とか入れてたんですかね。小さいのは一輪挿しのようにも見えますが、この時代にそんなことをする余裕はなかったのでは。

 木製の鋤(すき)です。材質は違えど、今の時代に使っている道具と形状は変わりません。当時の人の体格は今より小さかったことを考えると、かなり大型の仕様といえそうです。

 木製の舟の一部です。今は春日市は内陸部ですが、昔は那珂川の大橋あたりまで海が迫っていたと聞いたことがあります。こんな舟を使って海の幸を採取していたのかもしれません。

 モンゴルのゲルをでかくしたドームテントのような建物が外にあります。

 中には石棺です。ここにエライ人たちが葬られていた。つまり昔のお墓なんですね。

 保存状態がよく、石棺がいっぱいあります。

 これは実際のものではなく、再現したものです。外にありました。

 小高い丘になったドーム側から資料館を見下ろします。よくよく見たら、この前にある道は、太宰府方面から福岡市内に戻るとき渋滞を避けるための近道するときにいつも通ってました。意識しないと、何も気がつかんものです。

 まさか、こんなご近所に全国でも歴史好きには有名な遺跡展示館があったとは。他にもそんな所知らずにあるのかもしれません。

※この記事内容は公開日時点での情報です。

著者情報

米国の本家と同い年のシニアブロガー。毎晩長いときは30分に及ぶ歯磨きを欠かさない。最近覚えたメルカリへの出品にはまっている。
17年乗った作業用の軽トラックをカッコいいカーキ色の新車に買い替えた。

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