体外受精は治療スケジュールも過酷な上、費用も高額。特に女性の心や体には大きな負担がかかります。卵巣年齢が高く残り時間の少なかった私は、地方から新幹線で東京の病院へ通って治療しました。遠距離通院は交通費や宿泊費もかさみ、ゴールも見えず、まさに綱渡りをしている気持ちでした。
妊娠のタイムリミットが迫り、遠距離通院を決意
結婚が30代後半と遅かった私。
近所のクリニックに通いながらの妊活がなかなか実を結ばず、検査したところ「卵巣年齢が実年齢より10歳ほど上で、卵子が残り少ない」と告げられました。一刻も早く体外受精へステップアップするよう勧められたのですが、当時住んでいた地域には、治療を受けたいと思えるクリニックがありませんでした。
残された時間はわずか。夫婦で相談し、高度不妊治療に定評のある都市圏のクリニックへ遠距離通院することにしたのです。
遠距離通院は、覚悟はしていたものの、経済的にも身体的にも大変でした。
自宅の最寄り駅から都市圏までは、新幹線で約2時間。駅やクリニックでの待ち時間も加えると、数分で終わる検査や診察のために丸1日つぶれてしまいます。通院日や回数は内診の結果で変動するため、交通機関や宿の予約もままなりません。
通院当初は、新幹線で日帰りしていたのですが、そのうち運賃の安い高速バスを使うようになり、「明日も来てください」と言われれば、慌ててビジネスホテルを探して泊まることもありました。
長距離往復や進まない治療に疲れ、ウイークリーマンションを契約
私は卵巣年齢が高かったため、注射や服薬で刺激しても、1度に採れる卵は1つか2つ。希少な卵も途中で成長がストップしたりと、思うように治療が進まないまま、9カ月が過ぎました。
通っていたクリニックでは、朝一番に採卵が行われていました。前日に上京、ビジネスホテルに宿泊して「さあ、これから採卵!」という時になって、すでに排卵済みであることが分かった時には、がっくり落ち込みました。
そんな状況に疲れ果てた私は、思い切ってクリニック近くのウイークリーマンションを3カ月間契約して、治療に集中することにしました。
ぐんぐん減っていく預貯金が心配ではありましたが、ストレスは妊活の大敵。3カ月間だけと割り切り、規則正しい生活を送るよう努めました。
採卵日の前日には、夫にも仕事を終えた後で泊まりに来てもらいました。精液の採取は、採卵日当日の朝。駅のトイレで採取してもらった精液入りのカップを改札越しに受け取り、始発の新幹線で出勤する夫を見送ります。
季節は真冬。カフェやビルもまだ閉まっている早朝です。駅地下のベンチで寒さに震えながら、クリニックが開くのを待ちました。
必死の治療で息子を授かり、今思うことは…
こうしてチャレンジした体外受精。1回目は卵が成長せず、移植できませんでした。しかし、その翌月に採れたたった1つの卵が無事に成長・着床し、陽性反応が出ました。
初期流産の経験もあるため、すぐに安心はできません。医師も「陽性です」とは言いましたが、「おめでとうございます」の言葉はなく…。
胎児の心拍がしっかり確認できる8週目まで続いたところで、不妊治療クリニックへの通院は卒業となりました。ウイークリーマンションの契約期間は、あと数日で終わろうとしていました。
不妊治療が実を結び、産まれた息子は現在4歳。
治療したからといって必ずうまくいくとは限りません。それでも、息子が元気に遊んでいる姿や寝顔を眺めながら、
「あの時、必死で治療しなければ、この子はいなかったかもしれないね」と夫婦で話すこともあります。
不妊治療の保険適用拡大が検討され、通院にかかる交通費を助成する自治体も出てきました。経済的な理由でためらっていたり、近くにクリニックがないからと諦めたりしている夫婦が、より納得のいく治療を受けられるようになることを願っています。
(ファンファン福岡公式ライター/桐谷きこり)