前回は、昔間違えて来店された松鶴家千とせさんを偲びました。
当時の両親のラーメン屋の状況は、千とせさんに「イェーイ」とVサインしてもらうようなのん気なものではありませんでした。お客さんが減ってしまい、いわゆる商売上がったりのどん底。
商売不振に至った原因とは
要因はいくつかあったと思います。
①世の中全体の不況・・高度成長も一服、石油ショックや狂乱物価などがあり、庶民の台所事情が厳しくなった
②立地の悪さ・・当時の国道(後に格下げ)沿いにあるものの、道からの入口が狭くわかりにくい一番奥にあった
③競争の激化・・周囲に段々と飲食店が増えていき、客の取り合いになった。うちの味に飽きたり、元々合わなかったお客さんは当然他に行きます
大きく言えば、以上3つでしょうか。あくまで推測です。前回少し書いた父親の怒りっぽさは普段は表に出るわけじゃないので、それほど響いてはいないかと思います。味も落ちたわけではないし、最初の頃のわずかな値段の高さもいつのまにか他が追いつくか抜かれたりしてたので、影響はなかったはずです。
どっちにしても、開店した当初の面白いように客が来て飛ぶように売れた夢んごたる状況は幻と消えました。
やむにやまれず毎日営業
夏のある日、皿洗いの手伝いに店に行くと、夕方以降全然客が来ません。夜の8時過ぎくらいに、父に「もうからんけん、こげん遅くまでしよるん?」と訊くと、「クーラー代やら考えると、開けとけば開けとくほど損するっちゃけどね」と力なく答えました。まったく理屈の通らない話ですが、要するに早じまいしたいけど、もしかしたら客が来るかもしれんとあきらめきれず、はっきり言えばダラダラ遅くまでやってたわけです。
流行らない小さなお店の経験が無い方には理解しがたいと思いますが、定休日を設けて店を休むのも勇気が要るものです。うちのラーメン屋も当初、火曜を定休にしてきっちり休んでましたが、いつしか毎日営業するようになりました。毎日入ってくる現金が少ないので、心配で心配で休めないのです。さらに、決めた曜日を休みにしていても、お客さんの方は店の都合などいちいち覚えてられません。その方の行動パターンで店に来られてそれがたまたま何回か店休日に当たると、「あんたんとこの店はいつ来てもやっちょらん」となるのです。
ちなみに、郊外には火曜定休という飲食店がわりと多いと思いますが、うちの場合、書き入れ時の土日を外し、かつ不動産関係や流通業の方が休みが多い水曜を外し、という感じで火曜に決めたんじゃなかったでしょうか。もっとも、不動産の営業マンの方はよくお仕事の途中で車で食べに来られてましたから休日は関係なかったかもです。
それで、当時は午後いったん父は店を母などに任せて仮眠を取りに家に戻ってました。週何回かは、朝早く「ガラ揚げ」という豚骨を引き上げる作業で店に出てましたから。うちは住居と店舗は別で、車で5分の団地に住んでました。「家で店やってたら、一年中落ち着かん」というのが父の言い分です。そりゃそうですよね。昔の商売人の方は職住一体が多かったでしょうが、今はほとんど職住別なのでは。
で、部屋で寝ているときの父の顔のきつそうなことったら。
見てるだけで気の毒になりました。熟睡できないけど、夜の仕事のために無理やり目をつぶってる感じです。
で、結局父はどこかしこ身体が悪くなって、病院に通わざるを得なくなりました。美食が過ぎたのか、元々糖尿病や高血圧の持病があり、過労により、それらが高じたようです。
怖ろしかったのは、何の治療か忘れましたが、何度か目玉(眼球)の白目の部分に直接注射を打たれていたことです。「痛くないと?」ときくと、「そりゃ痛いけど、仕方ないやんね」と平気な顔でした。こういうところは尊敬に値します。その意志の強さがあったから、43年も店を続けられたことは間違いないです。同じ敷地内で同時に店を始めた他の5軒の人は大方早々にいなくなってしまいましたから、飲食店の営業は心底難しい。博多弁でいう「やおいかん」です。
プロっぽい「平ざる」とアマっぽい「てぼ」
さて、健康を損ねながらもうまくいってない店を切り盛りする父は、母とともに日々ラーメンを作り続けました。他に生きる道はありません。
またしても、私の下手な絵が登場するのは昔の写真が残ってないからです。これは麺を上げる「平ざる」という道具です。
↑こちらが同じく麺を上げる道具、「てぼ」です。うなぎを取る仕掛けもてぼと言いますが、形が似ています。
うちのラーメン屋では平ざるしか使いませんでした。ラーメンづくりの師匠がそれを使っており、「麺の湯の切れ方が全然違う」とのことです。今はどうか知りませんが、昔のラーメン店ではほとんど平ざるで湯切りしてたんじゃないでしょうか。
ネットで検索すると、ラーメン通の人が「てぼだと麺にぬめりが残る」理由など動画まで入れて詳しく説明されているサイトがあります。
で、この平ざるで麺を上げる(つまり湯切りする)作業というのが一定の熟練を要します。私は結局出来ずじまい、弟は出来るようにがんばって、店でバリバリ手伝ってました。↑の絵は何かというと、湯切りの練習は最初タオルを使ってするわけです。煮えたぎったお湯の中でバラける麺を手際よくまとめる練習、最初から麺を使ってやってたら、いったい何玉ムダにすんだよ、って話です。お湯にタオルを投げ込み広がったところを一つにまとめる練習を繰り返し、出来るようになったら初めて本物の麺でそれを応用してみる、という寸法です。
カウンターでの小気味よい平ざるを使っての湯切り、いかにもプロっぽい仕事です。小さいお店では、厨房の中の仕事ぶりを観察するのも食べるたのしみの一つだと思います。
まあ、父は来る日も来る日も平ざるを振って、腕を腱鞘炎で傷めることにもなりました。耐え忍んだ日々です。しかし、良い方に無理やり考えれば、お客さんが少なかったから腱鞘炎は軽くて済んだともいえます。
【つづく】