私が小さい頃、明治生まれの祖母がちょっと怖くて不思議な話をたくさん聞かせてくれました。少しずつアップしていきます。
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大学に入った夏、特別講座「民俗調査」が行われると知った。
独自の風習と伝承の残る長崎県の壱岐を対象に、数日に渡り調査を行うもので毎年実施しているという。
子どもの頃から民話や伝説が好きだったし、文化人類学を専攻しようと思っていたのですぐに参加希望を出した。
電話で祖母にこの話をすると、こう注意された。
「壱岐にはこっちとは違う激しい神さんがようけおるから…地元のしきたりを守らないかんよ」
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一緒に参加を決めた友人たちと集合場所の渡船場に行くと、すでにほとんどのメンバーが待機している。
教授たちと学生、サポートスタッフで構成された調査チームは50人を超える大所帯だった。
初日の夕方、宿に入り対象地域の割り振りを終え、翌日から本格的にフィールドワークをスタートした。
スマートフォンがなかった当時、地図のコピーとコンパスを頼りに歩きながら写真を撮り絵を描き、各戸を訪ねて話を聞く。
炎天下を一日中歩き回るハードなものだった。
数日間、かなりの距離を歩き回ったが、貴重な話が聞けたので疲れも吹き飛んだ。
まるで大物を釣り上げたような充実感だった。
全員が公民館に集合し行われる夜の報告会で発表すると、あちこちから「おぉ!」という声が上がった。
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翌日が調査最終日だったので、エリアの方向が同じメンバーたちと漏れがないように調整を行った。
これまでの調査で少し離れたところに子どもを祀った祠(ほこら)があると聞いたのでそこにも寄ろうと思うと告げた。
打ち合わせが終わり宿泊施設に帰ろうとすると、他のグループの女性メンバーKさんが手招きをする。
何だろうと近づくと
「さっき聞こえちゃったんだけど…その祠、行かない方がいいよ。私のおばあちゃんが住んでいたので子どもの頃この辺りにはよく来たんだけど、あの祠だけは行っちゃダメって厳しく言われてた。実際に変な事件もあったみたいだし…」
そこまで話すとKさんは教授に呼ばれ小走りに立ち去って行った。
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翌朝早くから10数人で出発、途中で一人二人と分かれていき、同学年の女生徒Sさんと二人になった。
「夕べ言ってた祠ってどの辺り?」
「あの集落から山手に500mくらいの所って聞いたよ。でも行かないよ」
「えっ? なぜ?」
「この辺りに詳しいKさんから行かないほうがいいって止められたんだ」
「そう…ちょっと惜しいね」
そんなやりとりをし、次の四辻で分かれた。
その夜。
Sさんは急に体調を崩し、その晩の報告会に出席しなかった。
教授に聞くとたぶん軽い熱射病だろうとのことだった。
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最終日の朝、食事が用意されている大広間に行くとSさんがいた。
大丈夫? と声をかけると
「ありがとう。ちょっと疲れが出たみたい。それより、あの祠行ってみたよ。すごく興味深いものだったから、まとめたら見せるね」
と笑顔を見せた。
朝食を終えた後、各人が今回の民俗調査についてひと言ずつ感想を述べることになった。
簡潔で的を射たもの、ちょっと笑えるもの、暑かったという感想に終始するもの…いろんなスピーチがある中、Sさんに順番が回り立ち上がった。
手には数枚のリポート用紙を持っていた。
「今回の調査で一番心に残ったのは…ある…祠です…」
ここまで話すと言葉が止まった。
どうしたんだろうと見ると目をつぶってうつむいている。
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「Sくん、大丈夫か?」
しばらく待っても反応がないので教授の一人がそう言った瞬間、独り言のようにぶつぶつと話し始めた。
目をつぶったまま誰かに話しかけているような感じだったが、博多弁でも標準語でもなく意味が分からない。
異様な出来事に驚いていると宿の人たちがやって来てSさんを担架に乗せた。
私を含む男子生徒四人でそれを担ぎ、離れまで運んだ。
布団にSさんを寝かせ戻ろうとすると小柄なおばあさんに声をかけられた。
先々代の女将だった。
「この娘さんな壱岐ん人? おばあさんがこちらにおらるうとか?」
そのどちらでもないと答えると、怪訝そうにこう言った。
「さっきん言葉は古か壱州弁で、壱岐んもんでも分かる人はもう少なかろうなあ」
「どういうことを話していたか分かりますか?」
「次に生まるぅときゃ男ん子で間違いなかね? すらごつ(嘘)やなかろうね?…そげなこつしゃべっちょったよ」
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その日の午後、Sさんを残し船は島を離れた。
それから4年間、キャンパスで彼女の姿を見る事はなかった。
…今でも時々、Sさんから祠に関するリポートが送られて来る夢を見る。
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