私が小さい頃、明治生まれの祖母がちょっと怖くて不思議な話をたくさん聞かせてくれました。少しずつアップしていきます。
小学三年生の夏、祖母の実家に泊まりに行った。
蝉時雨の中、近くの山で虫を獲りながら祖母と歩いていると小川に丸木の橋がかかっていた。
「面白いね! こんな橋があるんだ」
「丸木の一本橋だね…そうだ思い出した。父さんから聞いたこんな話があったよ」
そう言うと祖母は傍らの岩に腰掛け、話し始めた。
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夏の真っ盛り、杣人(そまびと)のNさんはいつもの山道を抜け、峠を越したところで一休みしていた。
煙管(キセル)を取り出し一服しながら周りを見渡すと、普段気にも留めていなかった脇道が目に入った。
興味が湧いたNさんは、まだ陽も高かったので脇道に入ってみた。
少し進むと崖に出た。
そこにかかっていた丸木の一本橋を渡り、さらに進むとなかば崩れかけた古い石碑が道を塞ぐように立っていた。
「コレ…リ先…ルコ…ナラズ」
そこは“入らずの山”だった。
慌てて道を戻ったが来る時に渡った一本橋に行き着かない。
一刻(約二時間)の間、ぐるぐると走り回ったが向こう岸に渡る道もない。
仕方がないので元の石碑のところに戻ると、少し先に家が見えた。
「さっきは気がつかなかったが…行ってみるか」
家は思っていたより大きかった。
Nさんが戸を叩くと中から十五、六くらいの田舎には珍しい雪のように白い娘が顔を出した。
「道に迷ってしまって…O村に帰りたいのですが…」
「O村への道ならご案内いたします。それよりお疲れのようですので少し休まれてはいかがですか」
娘に促されるまま草鞋(わらじ)を脱ぎ、廊下を進むと座敷に通された。
主(あるじ)の老夫婦と、案内してくれた娘によく似た母親が昼食をとっていた。
Nさんは挨拶をしたが、誰も目も上げない。
不思議に思っていると先ほどの娘が膳を運んできた。
見ると箸が一本だけしかない。
娘に告げようとして気がついた。
皆、一本箸で食べている。
そして…着物の合わせも逆だった。
Nさんはこけつまろびつ家を飛び出すと崖に向かって走った。
不思議なことにあれほど探しても見つからなかった一本橋がかかっていた。
なんとか元の山道に戻るとふもとまで駆け下りたが、ずっと何かがついて来ているような気がしてならなかった。
家にたどり着いてみて見ると、体中傷だらけだった。
それからしばらくNさんは山に入るのをよした。
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「なぜNさんは逃げ出したのかな?」
「着物を逆に着るのは死装束、一本箸とともに縁起が悪いと言われているんだよ」
「その家…何だったんだろうね?」
「Nさんは『死人(しびと)の家だ』って言ったそうだよ。さあそろそろ戻ろうか」
語り終えた祖母が立ち上がった。
いつの間にか蝉の声も消えていた。