追憶の天神ランチ 二度と行けない天神のあの店で

「僕を作ったあの店は、もうない。」

 福岡で暮らすようになって、18年ほどが経ちます。福岡は本当に美味しいお店、いい雰囲気のお店が多く、多くの飲食店にお世話になってきました。様々な飲食店の、様々な味が、今の自分を構成しているとさえ思っています。

 ただ特にここ数年は天神エリアの再開発、後はコロナ禍というアゲインストな環境も影響しているでしょう、昔ながらのお店の閉店が増えてきました。

 「あ~。あの店の、あのメニューもう一回食べてみたいな~」そんな「もう一度行ってみたいけど、もう行くことができない店」に思いを馳せる時間も多くなってきたように思います。今回は(ごく個人的な追憶になりますが)「天神周辺のランチ」に絞って、自分にとっての「あの店」をいくつか紹介します。

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あじよし(渡辺通り)

 自分がスマホを使いだしたのは、たぶん2009年頃で、それ以降にスマホで撮った写真はちょいちょい整理はしつつも、基本的にはクラウドに残しており、今でも手元に35,000点くらいの写真が存在します。

 そんなカメラロールを見直してみると、2009年ごろに頻繁に登場するのが渡辺通りにあった「あじよし」です。高齢のご夫婦で切り盛りされていたお店で、結構お二人が喧嘩されてた印象はあるのですが(笑)、なんとも味のある雰囲気が大好きでした。

 レトロというか「マジ昭和」な空間。店内の写真がなかったのですが、いかにも「昭和食堂」で、私の記憶ではお店とご夫婦の居住スペース(居間)がつながっていたのでは・・・(客が多いときはそこで食べれた気もする)。

 ちゃんぽんやオムライスなんかが定番メニューだったはずですが、私がいつも食べていたのが「たらこ焼き飯」(500円!)。これにハムエッグとお味噌汁を加えて、いただいていました。

 良い意味で素朴で、安心できる味。お味噌汁が結構、煮干しが効いていた記憶あり。しかし改めて考えると「たらこ焼き飯」というメニュー自体なかなか斬新ですよね。他であまり食べたことがない。

 ご高齢だったこともあってか、お店を締められる日が徐々に増えて行って、気づけばひっそりと閉店されていました。しかし、もう一度あの「たらこ焼き飯」を食べてみたい。

中華しんちゃん(今泉)

 天神界隈にはいくつか街中華の名店がありましたが、その中でもよく通っていたのが今泉の「中華しんちゃん」でした。

 何を食べても美味しかったですが、特筆すべきはこの界隈ではめずらしい「味噌ラーメン」。まろやかな味噌に、確か生姜だったと思うのですがピリッとした風味が加わったスープ。ストレート麺の相性が抜群で、野菜やひき肉の具材もたっぷり。大満足の一杯でした。

 またランチだけでなく、夜の宴会でもしょっちゅう利用していて、低予算で美味しい中華を、がっつり食べ飲みさせてもらっていました。自分が社会人なりたての頃はまだ現在のようにコンプライアンスという概念が成熟しておらず、めちゃくちゃにお酒を飲まされたり飲ませたりした記憶(お店に迷惑をかけたことがあったかもしれませんが)。そこで過ごした時間も含めて、よき思い出です。

 閉店後、同じく今泉で娘さんがやられていたカフェに大将が入って、ランチ時間帯に味噌ラーメンが提供されるようになって、その復活に熱狂したのですが、その後大将が他界され、そちらのカフェも閉店になりました。今でもあの味噌ラーメンが無性に懐かしくなる瞬間が、度々訪れます。もう一回やってくれないかな~。

グラタンハウス アントン(天神・西日本ビル)

 「グラタンハウス アントン」は、天神の西日本ビルの地下にあったグラタンとドリアの専門店です。自分がグラタン好きということも前提としてありますが、その中でも専門店だけあって非常に本格的なグラタンを提供するお店でした。ただこちらの店も再開発により数年前に閉店しています。

 グラタン・ドリアともに、確か栗が入っていた記憶があるのですが、甘めのホワイトソースが非常に美味で、あっつあつに仕上がったものをはふはふ言いながら食べるのが至福でした。写真は「ハンバーグドリア」。ハンバーグも美味しかったんですよね!

 アントン以外にもグラタン美味しいお店には出会っているはずですが、どこのグラタンを食べても結果アントンのことを思い出す・・・といった引きずりようです。かつて一世を風靡したジュディオングの名曲「魅せられて」の中に「好きな男の胸の中でも、違う男の夢を見る」という歌詞がありますが、どこのグラタン食べても結局はアントンの面影を探してしまうのです。

 閉店が決まった際、新聞の取材で「他の場所で再会することを検討している」ということを確かおっしゃっていて、それから数年たった今でも私は時々「アントン 移転」といったキーワードで検索するほどには恋しい。いつかもう一度食べてみたい味です。

喫茶プリンス(天神2丁目)

 天神・新天町近くにあった喫茶プリンス。いわゆる「純喫茶」のお店で、地上3階建て、地下もあって、縦に長い建物。ただどのフロアもランチ時は満員に近い人気店。私にとってもランチローテーションの定番でした。
 
 確か当時は全席喫煙OKだったはずで、若かれしころは自分もヘビースモーカーだったので(今は非喫煙者)そういった意味でも重宝していました。実際、喫煙者の客がとても多かった印象で、休憩中のサラリーマンや、たぶん近隣の百貨店などの販売員の方が、スパスパと美味しそうに食後の一服をしていた光景も懐かしい。

 私のこちらのお店でのファーストチョイスは「鉄板ナポリタン」。メニューの中でも一番人気だったのではないでしょうか?これぞ喫茶店のナポリタンという完璧な形状と味。ウインナーの存在感がGoogでした。

 またステーキピラフやポークソテーピラフ(正式名じゃないかもですが)も、がっつりしていて最高。天神で働くビジネスマンの味方!という店でした。

 閉店後、現在は焼肉の慶州さんのグループになり天神の別の場所で「焼肉プリンス」という屋号で営まれています。鉄板ナポリタンなど当時のメニューも楽しめるそうです。

焼き鳥 ながた(天神1丁目)

 再開発に伴い大きく街並みが変わりつつある天神。近隣で勤めるビジネスマンとしては中でも「旧ジュンク堂周辺」の飲食店がのきなみ閉店・移転したことはダメージがありました。

 最近まで営業されていた「新生飯店」さんがよくクローズアップされていましたし、「かつ丼の友楽」さんなんかももう一度食べたいと切に願っています。が、今回はその2店と比べるとあまり話題になる機会が少ないのでは・・・ということで「焼き鳥 ながた」さんを紹介したいと思います。

 屋号は「焼き鳥ながた」で夜はその名の通り焼き鳥屋さんなのですが、ながたのランチと言えば「カレー」。メニューは「カレー」と「カツカレー」の2種で、これにお好みで生卵をトッピングすることができました。カツは揚げたてで非常に美味しいのですが、カレー自体はいたって素朴な「家のカレー」。褒めてます。ただ何とも言えぬ安心感があり、定期的に食べたくなる中毒性もあって、しょっちゅう通っていました。

 福岡はここ10年ほどでスパイスカレー激戦区といっても良いほど、本格的なスパイスカレー屋が増え、カレー狂の私としては最高の環境になってはきましたが、それでもながたの「普通のカレー」が恋しくなります。

 と思っていた矢先・・・先月、所用で箱崎に行った際、近隣を散歩していると・・・「焼き鳥ながた」という屋号のお店を発見。え?違うよな?と思いのぞいてみると、どうやら天神から移転していた模様。調べる限りカレーも出していそうです。これは近々訪問してみようと思います!

中華そば 郷家(天神南)

 小さな恋の歌という曲で、「あぁ、あなたにとって、大事な人ほど、すぐそばにいるの ♪」とモンゴル800が歌っていましたが、中華そばの名店「郷家」は、私にとってそんな身近で大切な存在でした。

 私が勤める会社から非常に近くにあったので、日常的に通ってたし、ゆっくりランチする時間が取れないときにも「郷家でぱっと食べよう」と駆けつけていたという。今改めてなんちゅう贅沢な環境だったのか、と思います。

 いつも頼んでいたのは「辛ネギそば」に「煮卵」トッピング、それに「鶏飯(のおにぎり)」を2つ。ベースは豚骨だけど、魚介がしっかり効いているスープは、福岡では他に食べられないオリジナリティ。

 当たり前にしょっちゅう食べていたので、近くにこの店があるありがたさを忘れていました。2021年のある日前を通りかかったら閉店しているのを発見して、その喪失感たるや・・・同棲中の彼女と暮らすアパートに帰ったら、荷物ごと彼女が出ていったのを発見したかの心境でした。

 救いとしては、南区寺塚にある本店は営業されているので、その気になれば遠征して食べれるということ。天神では食べることができないけれども、いつか伺いたいなと思っています。

ZHANG’Z(チャンズ)

 福新楼が現在の今泉に移転する前、天神の「福新楼ビル」の1階にあった麺とお粥の専門店。こちらも非常にお世話になったお店でした。

 私、坂本裕二さんが脚本を描いた「カルテット」というドラマが好きなんですが、その中で松たか子さん演じるまきさんというキャラクターのセリフが非常に心に刺さっておりまして。

「泣きながらご飯を食べたことがある人は、生きていけます」

 私がこちらのお店でいつも食べていたのは、お粥でした。というかお粥しか食べれないコンディションの時に、よくこちらに伺っていました。

 若手営業マンだった当時、仕事の夜の付き合いが多くて(そうじゃなくても誰かと飲んでいて)年間360日は誰かとどこかで飲んでいたような時代。若いとはいえ、身体がボロボロになるときがあり、二日酔いの半端ない辛さと、あー自分は何をやっているんだろうという不安や情けなさなどが入り混じり。そんな時に食べるこちらのお粥がとてもとても優しくて、なんだか泣けていた。

 閉店してからだいぶ時間が経ち、私も40代になって、飲みにいくのも週に2回程度になりましたが、今でもふとあの時のお粥が食べたくなります。あの時があって、今何とかやれてるなーなどと思う一杯でした。

いつか思い出になる前に

「もう行けない店紹介すんなや、このセンチメンタルおじさん!」との非難があれば、甘んじて受け止めたいと思います。

 ただ、今回ご紹介した店は、一部ご高齢の方がやられてた店はそういう時が来るかもなぁとは思っていたけれども、基本的には「まさかなくなるなんて」と、以前は想像だにしなかった「そこにあって当たり前」の店でした。

 ここ数年、都市開発であったり、コロナ禍であったり、環境の変化により、街が大きく変遷するのを嫌というほど実感しました。今回書いてない店で思い入れがある店もたくさんあります。だからこそ、好きな店にはできる限り通おうと思います。そして残念ながら「二度と行けない店」となってしまった飲食店のことも、時々思いを馳せようと思います。

 最後に、本記事のタイトルは編集者である都築響一さんの「Neveland Dinner 二度と行けないあの店で」という書籍へのオマージュです。名著なのでぜひ手に取ってみてください!

※この記事内容は公開日時点での情報です。

著者情報

惑える40代。飲み歩き・食べ歩きをこよなく愛し「酒ダルマ」と呼ばれるも、40代にして守りに入りやや健康志向。基本ミーハー、浅く広くカルチャー全般に興味。

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