総合飲食企業へと進化を続ける博多一幸舎、その狙いを創業者吉村幸助氏に独占インタビュー<PR>

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飲食業界に興味を持ったのは、とある餃子専門店で食べた餃子がきっかけ

福岡市南区で生まれ育ち中学校からモトクロスにハマり、その後は競艇選手を目指すも道は険しく、高校卒業後は建築業界で働いていました。両親が飲食店を営んでおり、飲食店家系だった為、いろんな苦労を見てきました。その影響か飲食店には当時全く興味を持っていませんでした。ただ、母の紹介で訪れた餃子専門店で食べた餃子に衝撃を受けたことがきっかけで飲食業界に足を踏み入れました。

昼は建築業、夜は餃子屋の見習いという二足のわらじ

どうしても餃子の作り方を教わりたくて、頼み込んで昼の仕事が終わった後に修行させてもらうことになりました。こちらから頼んで修行させてもらっていますから、もちろんお給料はありませんでした。それでも2年間必死に修行して、ようやく餃子を作らせてもらうことができました。初めて自分が作った餃子をお客様に振る舞った時に言って頂いた「美味しい!」という言葉は今でも忘れないくらい嬉しい一言でした。

突然、豚骨ラーメン店をやってみないかと誘われて店長に

20歳で始めた餃子屋の修行も22歳で一旦卒業し、その後は母親の小料理屋を手伝っていました。突然、師匠から豚骨ラーメン店の店長をやらないかと連絡が来たんです。飲食業の勉強をもっとしたいと思っていたので迷わず承諾し、2000年8月にオープンしました。徐々に軌道に乗り、店舗展開していくなか3年を過ぎた頃から、自分の店を持ちたいと強く思うようになり独立を決意しました。

現会長との出会いで再度ラーメン屋をやることに

再び母親の小料理屋を手伝いながら独立に向けた準備を進める中、高校時代の友達の紹介で現会長の入沢と出会いました。当時の入沢も長年やっていた建築業界から一旦離れ、飲食店を開業したいと模索していたタイミングでした。自分の思いの丈を入沢にぶつけたところ、「一緒に大きくしよう」と言われ、この瞬間『博多一幸舎』が誕生したんです。

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2004年3月 博多一幸舎 一号店が大名にオープン

入沢と出会って約半年で一号店がオープンしました。店舗の物件探しから始まり、価格決めなど何度も入沢とぶつかりながらも、自分の味に絶対の自信を持っていましたので、譲らず当時では割高な1杯600円で、かつ家賃の高い大名エリアでスタートすることにしました。当時ラーメンの相場が350円〜500円くらいだったので、割高な価格設定で家賃も高い大名エリアということで、オーナーの入沢はオープンまで相当不安だったと思います。

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オープン当日は開店前から長蛇の列

どこからか噂を聞きつけたラーメン好きの方々が、オープン当日の開店前から長蛇の列を作っていたんです。「どこにも無い、どこにも属さない味を作ること」「100人中100人が美味いというラーメンを作ること」「福岡で一番美味いラーメンを作ること」この3つの思いを大事に店作りをしてきて本当に良かったなと思いました。当時から今でも決して変わることのない私のラーメン作りに対する信念です。

キャナルシティのラーメンスタジアムへの出店で一気に加速した

昔からのご縁が繋がって、まだ1店舗しか出店していないなか2005年2月にキャナルシティのラーメンスタジアムに出店する事ができました。当時は空前のラーメンブームでラーメンスタジアムに年間100万人訪れており、出店している店舗も全国的にも有名な店ばかりで、ありがたいことにそんな有名店に肩を並べる事ができました。その後2006年に京都拉麺小路店、2008年に総本店の出店に続き、つけ麺ブームの火付け役となった「博多元助」をオープンさせるなど新店舗・新業態にチャレンジしました。

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年間190日は海外で過ごした約8年間

2011年から海外進出を始めました。日本に訪れた現地パートナーが自国でも博多一幸舎のラーメンが食べたいと言ってきたことから海外展開の話がスタートしました。あれよあれよという間にインドネシア出店が決まり、立て続けにシンガポール、中国と本当に良い現地の日本人パートナーと出会い、一気に海外の店舗を増やしていきました。多い年で年間190日は海外にいました。大体2018年11月ごろまで海外を飛び回っていましたね。

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実は2017年5月に博多一幸舎を退社していた

業界の人たちの間ではちょっと話題になったんですが、一度博多一幸舎を辞めてるんです。理由は「イチから経営の勉強がしたかった」からです。博多一幸舎とは良い関係を保ちながら業務委託契約という形で現場に携わっていました。(株)吉村商店という法人を作って飲食店のプロデュース業や知り合いの店のコンサルティングなど様々なことに挑戦しました。その時の経験が今の(株)ウインズジャパンホールディングスでの事業展開に活きていると思っています。

2021年6月にホールディングスの社長として戻ってきた

実は2017年に辞める時も分社化の話は出ていました。コロナなどの外部要因で延期となりましたが、2021年に正式にホールディングス化しました。この案は元々私が言い出しっぺだったので、実際にホールディングス化する時に現会長から呼ばれ、代表取締役の打診を受けました。私自身も博多一幸舎を離れたことで俯瞰した立場で自社を見る事ができましたし、次の目指すべき姿も見えてましたので、経営者という立場で戻ってくることにしました。

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総合飲食企業として生まれ変わろうとしている

これからラーメン以外の飲食事業にも挑戦しようと思っています。分社化することで、現在の店舗をそれぞれの小会社に任せて、より一層突き詰めていける環境が整いました。そして、今までの店舗展開のノウハウやマーケティング力を活かして博多のご当地グルメの店舗を作っていきたいと思います。既に2つの業態で店舗出店に向けて話が進んでいますので、近日中にはご報告できると思います。豚骨ラーメンだけでなく博多の食文化を全世界に展開していきたいと思っています。

ラーメン屋のプロデュース事業にも力を入れていく

2019年には直営ではなくプロデュースという形で「幸ちゃんラーメン」のオープンに携わりました。この店のコンセプトは「毎日でも食べられる生活に溶け込んだラーメン」を提供する事です。これは、私が幼稚園の時に初めて食べたラーメンを思い出しながら開発しました。コロナ真っ只中でのオープンでしたが、おかげさまでご好評いただき現在3店舗まで展開する事ができています。今後は全国・全世界で幸ちゃんラーメンをやりたいオーナーさんを募ってフランチャイズ展開していきたいと思っています。

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色んな人が集まってくる会社にしたい

ラーメンのみならず総合飲食企業として生まれ変わろうとする背景として、もっともっと雇用の受け皿を作りたいという想いがあります。弊社は地球全土がビジネスチャンスの場だと捉え、新たに「発想は地球規模に、理想を実現に」という社是を作りました。世界を見渡せば色んな可能性を持った人たちがいます。弊社も気付けば世界10カ国に展開しており、もっともっとビジネスの場を拡げていきたいですし、それを一緒に実現してくれる仲間にも集まって来てほしいと思っています。少しでも興味がある人は、弊社のホームページを覗いてみてください。

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著者情報

福岡のベンチャー企業「ラシン株式会社」が運営しています。福岡の中小企業、個人事業主さんの紹介を行なっています。

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