47年前、意気揚々と始めたラーメン屋が経営不振に陥って、両親が苦戦していた辛気くさい話を書いてきましたが、開店時までいったんさかのぼってみたいと思います。
いわゆる国道沿いの6軒並び(正確には3軒と3軒が向かい合わせ)の新築物件を借りて営業を始めたわけですが、大家さんは地元の地主さん。あたり一帯に土地をそこそこお持ちだったんでしょう。
店を閉めるだいぶ以前に売られたようで(相続税を払うためでしょうか)、家主は別の方になられましたが、長年まずまず安い賃料で貸してくださったおかげで、経営不振のときも何とか持ちこたえることができたんだと感謝してます。
さて、ラーメン屋には当然お店の名前、屋号があります。うちの父は当時占いに凝っていたという大家さんに命名していただきました。
名前は書きませんが、漢字2文字でタテに見ると、左右対称の屋号でした。
具体例を挙げると、「渡る世間は鬼ばかり」の「幸楽」が左右対称です。
こんな感じです。
うちはもちろん幸楽じゃありませんが、「〇〇(屋号)」と呼ばれたり、「〇〇ラーメン」と呼ばれたりしてました。個人事業主ですから保健所への届けだけで、登記とかしないので、そこらへんあいまいです。
で、左右対称の名前は屋号とか芸能人のとか縁起が良いという話は聞きます。芸能人でいえば、「田中圭」さんとか「本田翼」さんが左右対称に近いですかね。
ラーメン屋でいえば、「来来亭」みたいな感じです。あの世界一有名なラーメン屋であろう「一風堂」もほぼ左右対称だし、前に博多が付きますが、「一幸舎」もそうです。そうそう、「一蘭」も見事にあてはまります。今気づきましたが、博多発は3つとも「一」も付きますね。
うちの店はうまく行かなくなってから持ち直すまでに数年を要したのですが、それでも結果的に43年続いたのは幸せでした。うちと同じ屋号は時々あるようで、私の知る限り北九州市や岡山県にありました。
博多一幸舎の名前を出しましたが、そちらの幹部の方が若い頃、ちょいちょいうちの店に食べに来られてたそうです。親御さんも常連さんだったらしく、確か「今度うちの息子が●●(東南アジアの国名)に立ち上げに行くとよ」と言われてたという話を両親から聞きました。店のラーメンを好いてくれた方がラーメンで成功するのは、素直にうれしいものです。
それで言うと、最近東京にも進出した勢いのある博多発のラーメン店の社長さんが時々うちのラーメンを食べに来られていて、「おれはここのが一番好きやけん、たまに食べたくなるんよ」と言われてた話も聞きました。
一風堂をはじめとする「ラーメン実業家」の話もいずれ書きたいと思います。
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屋号の話だけじゃ持ちませんので、ちょいと違うことも書かせて下さい。
少し前、こんな記事を読みました。私はタバコをやめて十年以上経ち、吸いたいとも思わないし、興味もないんですが、どうしても喫煙をやめられない人というのは一定数いらっしゃいますね。
うちのラーメン屋では両親が引退する4年前まで灰皿を置き続けていました。それこそ70年代80年代までは店内がタバコの煙でもうもうとすることもあったと思います。ある時期まで大型の「徳用マッチ」も常備してました。
今はほとんどの飲食店でタバコはご法度でしょうから、マッチもライターも売れなくなったでしょうね。昔は「クラウンライターライオンズ」という球団があったくらいライターの会社にも勢いがありました。
先日テレビを見ていたら、「ブックマッチが生産終了」という話題を取り上げてました。「ブックマッチ」聞き慣れない言葉です。と思ったら、一本一本分かれている普通のマッチでなく、コンパクトに折りたたんだ紙にはさんだ形でまとまってくっついたタイプのマッチのことでした。わかりますか?。喫茶店とかでもらって私もちょいちょい使ってました。その火のつけ方が上手なことがひそかな自慢でした。
日東社さんという会社が6月受注分で、最後の生産を終えるという少し寂しいニュースでした。喫煙者の減少で広告媒体としてのブックマッチの役割が・・・、という理由のようです。
うちには、日東社さんのマッチが沢山あります。ブックでなく普通のタイプで、仏壇でろうそくに火を点けるのに毎朝使っています。この商品は黄色いパッケージですが、「THE PIPE」と書かれた赤いパッケージの商品もあります。ヒロシさんのひとりキャンプ番組にも登場していて、「おっ」と思いました。
これです。ジンプルながら味のある傑作デザインです。
ラーメンの話から離れてしまいましたが、昔は午後3時頃お客さんが一段落した頃、ラーメン屋の親父さんがスポーツ新聞読みながら耳にはさんでいたタバコを手に取り、ふかす場面にちょいちょい出くわしたような気がします。
「昭和」がどんどん遠ざかっていきますね。