暑いなんてもんじゃないですね。子どもの頃は「暑い夏が好き」と心底思ったもんですが、今は「早う秋になってくれ」と願うばかりです。30年前にはこんな死の危険を感じさせるような気候はなかったはずです。
最近はあんまり話題に上らない気がしますが、昔は夏といえば、ちょいちょい冷やし中華を食べたものです。
山下洋輔、赤塚不二夫、タモリ各氏などそうそうたるメンバーが、「全国冷し中華愛好会(全冷中)」を立ち上げたりもしました。
うちの両親の営むラーメン屋でも、いつからか夏場はメニューに加えていました。
この写真は、「フリー素材.com」という無料で画像を使えるサイトから拝借したものですが、記憶をたどると、見た目はこんな感じにかなり近かったと思います。
今から考えると、よくこんなめんどくさいことやれてたな、と思います。当たり前ですが、ラーメンとは作り方が全然違います。共通するのは同じ麺を使っていることと、うちの場合ラーメン用のチャーシューものせてたことでしょうか。卵焼き作ったり、それと野菜を千切りに刻んだり、と手がかかります。しばらく続いた業績不振を脱した頃にやってたんだと思います。余裕がないとやれてないはずです。
家で冷やし中華作る人ってあんましいないでしょ。
私も時々はうちの店の冷やし中華食べてましたが、就職してからは行く回数も減るので、ついついラーメンの方を頼んでました。
逆に、故人となられた会社の先輩は家が近いということもあって、店によく来て下さってましたが、冷やし中華をアテにお酒を召し上がることが多かったようです。お酒(焼酎ですね)が大好きな方でした。おそらくラーメンはそんなに好きじゃないのに常連のようになってくださったことに感謝です。
うちのラーメン屋でやりたくても出来なかったメニューがぎょうざです。やってないので、当然写真ありませんし、やってたにしても残ってないでしょうが、上の写真は私が家で包んだきたなく盛りつけたぎょうざです。
1980年代終わりごろ、昭和から平成に代わる頃、バブルの時代、色んな業種、商売の方々が信じられないくらい儲かっていました。飲食業もそうです。うちもそこそこ繁盛はしたんですが、ラーメン各種とめし、飲みものだけじゃ限界があります。
後年、父親が語ったところによると、「ぎょうざは売れるけん、出したくてしょうがなかったけど出来んやった」とのことでした。
みなさん、「そんなんやりゃあいいじゃん」と思われるでしょうが、ちゃんと理由がありました。
1. 厨房にぎょうざを焼く鉄板を入れなければならない・・・なにせ中では背中を平べったくしなければすれ違えないくらいの小さい場所で、スペースを作るためには少々大がかりな工事も必要。その資金も足りないし、店を休むことが何より痛い
2. 手作りのぎょうざを出すには、夫婦ふたりでは忙しくて大変・・・多くの店は業務用のぎょうざを供してました。とくに飲み屋を兼ねているような大型のお店では、それでも「〆のラーメン」で寄ったお客さんが気前よく「ぎょうざ5人前」とかジャンジャン頼んだようです。でも、うちは6、7割が常連で遠慮がないので、「大将んとこの餃子は業者が作っとんやろ」と言われるのが嫌でやめた
まあ、そんな感じです。結果的に大した稼ぎにならず、財産も作れんやったけど、身の丈で良かったんじゃないですか。
ところで、うちはとんこつラーメンでしたが、私はみそラーメンもけっこう好きです。
福岡周辺では一番旨い(個人の感想です)と思うお店を紹介して終わりにします。
札幌ラーメン えぞっ子の宇美店です。昼どきに行けば、だいたい車が満杯で駐車するまでしばし待ちます。
みそラーメンに卵とバターを足しました。これに小ごはん付けてちょうど千円。
うまく食レポできませんが、「シンプルイズベスト」がぴったりの味でしょうか。余計なものは何も足さない何も引かない、だしにコクと旨みがあり、味噌の濃さが最適なバランス。めしもイケる。
私はもともと、箱崎ふ頭にあった「えぞっ子ラーメン本部」というトラックの運転手さんがこぞって通うえぞっ子が大好きだったんですが、立ち退きか何かでだいぶ前に閉店しました。そのえぞっ子の味を受け継いでるなあ、と思ったひとときでした。
ただでさえ混雑のお店に人が増えてもまずいので、お店情報詳しくは書きません。行きにくい場所ではありますが、太宰府天満宮とか近いので、ご興味のある方は調べて行かれてみて下さい。