東京出身の私、地方都市の嫁になり、20年以上です。子どもがいない時期が12年と、長かったため、義両親から私にだけ、「孫コール」と合わせて、「嫁いじめ」としか思えない言葉が繰り返されました。それは、今でも思い出すとお腹がずきんと痛むほどです。
義母の失礼な一言「もしかして、あなた男なの?」
GWやお盆の連休になると、夫と私は必ず、義両親のところへ帰省し、数日滞在するスタイルでした。その滞在日が近づくにつれて、私は「また何か言われるんだろうな」と、気持ちが沈み、腹痛になっていました。
子離れしていない義両親と、親離れしていない夫は超仲良し。まめに連絡を取り合って
「今度の連休はいつ帰ってくるの?」と義母のメールに、
「いつにしようか♪」と、夫は嬉しそう。その様子を見て、ひとり疎外感を感じ、私は、ますます帰省したくなくなりました。
帰省恐怖症は、結婚後3年経ったあたりから強くなりました。というのも、義理両親の露骨な「孫コール」が理由です。はじめのうちは義母から私にでした。
「お向かいの○○さんの娘さん、去年結婚したのに、もうお孫さん生れたそうよ。うちはいつになったら孫の顔を見せてもらえるのかしら?」と、義母の細い目がいつも以上に細く、視線が鋭くなります。でも笑顔…。
義両親宅に滞在中、食事の支度の手伝いのために、台所に入ると、義母と二人になり、夫がいないところで、チクチクと小言を聞かされました。毎年、小言がエスカレートして私の育った環境否定になり、女性否定にまでなりました。
「都会で育った子は、すでに遊んでいるから、いろいろ楽しいことを知っていて、子どもを面倒で邪魔だと思っているのよ、あなたもそうでしょ」
「あなた、大学出て立派にお仕事しているみたいだけど、子どもの一人も産めないんじゃ、女性としては問題よね」
最終的に、こんな発言になり、唖然としたのは言うまでもありません。
「もしかして、あなた男なの? うちの息子、だまされていたりして!?」義母は、私に皮肉を言うときは決まって私の背中越しに言うのがお決まりで、それがずっと私の中で後を引くものになるでした。
義父からありえない提案
嫁ぎ先は武士の家柄でしたので親族は武士の家系であることを誇りに思っていて、血族のつながりは強く、親戚づきあいも頻繁でした。結婚して5年過ぎたころに、義祖父の法事が料亭貸し切りで行われました。法事はもっと厳かなものだと思っていた私、あまりに派手な酒盛りで驚くばかりでした。嫁の私は義父や親戚の男の人たちにお酌をする係をさせられ、まさにホステス。夫は遠く離れたところで従妹と盛り上がっていました。
お酒の席ではありますが、親戚男衆が大勢いる前で、酔った義父は私を指して
「この嫁は、子ども一人も産めない出来損ないなんだよ」と大声で笑いながら馬鹿にしました。下を向いて耐えていると、さらに
「何なら、ワシが種付けしてやろうか。遺伝子は同じじゃないか! あははは!」と。私は怒りと悲しみで震えながらお酌し、後で泣きながら友達に話して慰めてもらいました。今もこの話は夫に話していません。
その後、私は必死に妊活し、自然妊娠を果たし、男の子を出産しました。結婚12年目のことです。その時の義理両親の一言は
「あんたの古い身体でよく男の子が産めたね」です。横でへらへら笑って助けてくれなかった夫に対しても失望し、「絶対同じ墓には入らない!」と、心に決め「私は息子を、絶対人の心の痛みが分かる子に育てる」と、強く決心した瞬間です。
(ファンファン福岡公式ライター/松永つむじ)