「豆香洞コーヒー」の後藤直紀さんは、世界大会で優勝した焙煎士。TVバラエティー『マツコの知らない世界』出演で、その名は全国に知れ渡りました。各地の愛好家たちのもとへ豆を届け、「コーヒーの街・福岡」を支える後藤さんは今、世界の生産地と消費者をつなぐ新たな試みに取り組んでいます。今回は、そんな後藤さんをフリーライターの永島順子さんが取材しています。
「世界一の焙煎士」の店は、普通電車しか止まらない小さな街にあった
福岡市の中心部・天神から西鉄大牟田線の電車に揺られて20分ほど。特急・急行は通過する小さな駅・白木原に近づき電車が速度を落とし始めた頃、窓から外を眺めていると、線路沿いに「豆」と記されたのぼりが見えてくる。ここが世界一の焙煎士・後藤直紀さんが営む「豆香洞コーヒー」だ。 とはいえ、注意しないと見過ごしてしまいそうなこぢんまりとした店。春先までは、淹れたてのコーヒーを楽しむことが出来た数席のカウンターは、豆を買い求める人の「密」を避けるスペースに充てられ、喫茶営業は休止中だ(博多リバレインモール店では喫茶営業も再開している)
(ここが本当に世界一? ここから全国にコーヒー豆が送られているの?) 一瞬、脳裏をよぎった疑念は、店舗から一つ通りを隔てたビルに案内されて即、吹き飛んだ。グァーンという音を響かせて回転する存在感満点の焙煎機、無造作に積み上げられた生豆の麻袋、虫食いやカビのある豆を手作業で取り除く「ハンドピック」に余念のないスタッフたち。焙煎する量は、夏場で月に2トン、冬場になると2.5トンにものぼるという。ここが彼らの主戦場。まさに“豆屋”なのだ。
コーヒーを飲まなくてもいい。とにかくコーヒー業界に行きたかった
コーヒーの生豆は、淡い青緑色で味も香ばしさもほとんどない。生豆を炒る加熱作業=焙煎の過程で豆の成分が化学変化を起こし、淡青緑色の豆が茶褐色、黒褐色へと変わり、香りや苦味、酸味、甘味といったコーヒー独特の風味が生まれてくるのだ。
そう、コーヒーの味と香りを引き出すのが焙煎士。重要ながら地道な裏方の仕事を選んだ後藤さんは、もともとイベント会社でビールを売っていたという。
後藤さん: 大学受験に失敗して、夏季アルバイトのつもりがそのままずるずると。コーヒーですか? 飲んでいましたよ。1日5~6本、自販機の缶コーヒーを(笑)。 決してコーヒー通ではなかった後藤さんを目覚めさせたのは、友人に誘われたコーヒーサークル。地元の喫茶店を回る中で「味や香り」ではなく、そこに集まる「人」「空間」の魅力のとりこになった。 後藤さん: 魅力的な店主の下に音楽や映画、バイク、山登りなどいろんな趣味を持つ面白い人たちが集まって。コーヒーを飲まなくてもいいから生活に取り入れたい。コーヒー業界に行きたいと思ったんです。 そんな頃、「生豆を買って自分で焼いた方が安くつく」と教わって焙煎にチャレンジ。その奥深さにはまったが、当時、焙煎士の求人は見当たらなかった。そこで「自分でやるしかない」と2年ほど独学。開業へ向けて、東京の老舗「カフェ・バッハ」が主催する開業セミナーに参加、併せて都心の有名店舗を回る中で愕然とした。 後藤さん : プロの世界との差を思い知らされて。明日にでも開業できると思っていたのが、このままでは10年たっても無理だと自信が粉々に。 会社勤めを続けながら年休を取っては「カフェ・バッハ」の研修センターに通い、改めてイチから学び直し始めた。そして3年。「豆香洞コーヒー」をオープンしたのは2008年、32歳の時だった。
福岡から「コーヒーの世界チャンピオン」が生まれるワケ
その間、福岡のコーヒー界では大きなうねりが起きていた。 2007年、後藤さんと同様、コーヒーの世界を目指す若者たちが「福岡のコーヒーの品質向上」を目指して「COF-FUK(コファック)」という勉強会を立ち上げたのだ。
後藤さん: 「福岡をシアトル、コペンハーゲンに続くコーヒーの街に」と。まだコーヒー屋でも何でもないくせに夢だけは大きくて(笑)。 焙煎や抽出方法について、確かなテキストもなければ、情報も少なかった時代。若者たちは情報や知識に飢えていた。1人が東京のセミナーを受けては、その経験をシェア。別の1人が海外へ視察に出掛けては、最新の動きを伝えた。 後藤さん: ライバル店がひしめく東京では、ちょっと考えられない取り組み。より情報が入手しにくい地方都市・福岡ならではのムーブメントだったかもしれませんね。 「COF-FUK」立ち上げの翌年、後藤さんをはじめ、メンバーが次々と開業した。さらに2013年、フランスで開催された「World Coffee Roasting Championship」で後藤さんが優勝したのを皮切りに、このメンバーの中からコーヒーに関する日本大会優勝者が3人誕生。世界大会でも2位、3位と上位入賞を続け、福岡は「コーヒーの世界チャンピオンがいる街」として全国から注目されるようになったのだ。
なぜ世界一になっても、ひたすら勉強し続けるのか
「豆香洞コーヒー」に話を戻そう。西鉄沿線とはいえ、都心部から離れた住宅街に店を出したのは、焙煎機と煙突が設置できる環境を優先したためだ。名を広めるには厳しい立地。客足は、なかなか伸びなかった。 が、「3年、5年はかかる」と覚悟していた後藤さんに焦りはなく、ひたすら勉強・研究を続けた。 後藤さん: 「自分ができない」いうことさえ知らなかったことの怖さ、開業前に東京で受けた衝撃が忘れられず、勉強し続けないと質を落とすという意識が強迫観念のようにつきまとっていたんです。 きっと、それこそが後藤さんの強みなのだろう。世界一の称号を得て、テキスト執筆者となり、若手を指導する立場に回った今も日々の研鑽に余念がない。
後藤さん: 焙煎士には、“感性型”と“職人型”がいます。私は計画書通りの焙煎をコンスタントに出していく後者。時によって想定外の素晴らしい焙煎をされる感性型の焙煎士には、とてもかなわない。だから今もひたすら勉強を続けなければいけないのです。
「30年後にはコーヒーが飲めないかもしれない」。ブームの影で、生産地は深刻な状況に
空前のカフェブーム、後藤さんの下には全国各地の愛好家やこだわりの喫茶店・レストランから豆の注文が相次ぐ。外出自粛生活を楽しむためか、コロナ禍の中にあっても、コーヒー豆のニーズは高まっている。しかし、生産地は深刻な事態が進んでいるという。 数年前、グアテマラを訪れた後藤さんは、さび病による収穫量の激減とそれに伴う大量失業の実態を知り衝撃を受けた。エチオピアでは麻薬用の植物への転作が進み、しかも農園の案内者が、目を輝かせて語ることに驚嘆した。
後藤さん: 麻薬の葉は短期間で育ち、高値で取引される。収穫までに数年かかる上に単価の低いコーヒーとは対照的なんです。 コーヒーの未来に絶望して帰国した後藤さんの下に舞い込んできたのが、大手家電パナソニックの新規事業。家庭用焙煎機を購入すれば毎月数種の生豆が届くセット販売で、季節ごとに変わる豆の焙煎レシピ作りへの協力依頼だった。
パナソニックの家庭用焙煎機「The Roast」。後藤さんは生豆の状態を見定め、火加減や時間などをコントロールして味をデザイン。焙煎プロファイルを提供することで家庭で極上のコーヒーが楽しめる
家庭用焙煎機が普及すれば、将来、焙煎士はいらなくなるかもしれない。実際、何人もの焙煎士が断り、今も業界で賛否は分かれているとう。 しかし、後藤さんは引き受けた。「技術革新で産地と消費者をつなぐ新しい試みの第一歩」と思ったからだ。 後藤さん ワインをワイナリーから買うように、コーヒー豆も農園から直接生で買う。そんな産地直送の仕組みが出来れば、正当な対価で生産者を守ることができるかもしれません。 「コーヒーの世界は面白そう」。そんな興味から業界に足を踏み入れた後藤さんは今、コーヒーを通して世界の経済格差、地球環境を視野に、技術革新を通じたフェアトレードの試みへと踏み出している。 かつて「食卓から世界を見る」というスローガンがあった。後藤さんの焼いた豆で、「1杯のコーヒーから世界を見る」時を過ごしてみてはいかがだろうか。
豆香洞コーヒー
■創業:2008年 ■住所:福岡県大野城市白木原3-3-1 ■電話:092-502-5033