東京新宿の伊勢丹で行列ができる「鈴懸」は、博多の老舗和菓子屋の“実験”から始まった。

名店ひしめく東京・伊勢丹新宿店の地下フロアで、休日ともなると長蛇の列をなす和菓子店「鈴懸」。パリやシンガポール、ダボス会議でのイベントを通じて海外からも熱い視線を注がれています。福岡の小さな老舗の和菓子が、いつの間にか全国区となり、日本を代表するようになりました。そんな「鈴懸」を、フリーライターの永島 順子さんが取材しています。

出典:フクリパ
目次

スタイリッシュな空間で、日本の四季を感じさせる和菓子

伊勢丹新宿店では1日に1000個売れるという「鈴乃〇餅」(すずのえんもち)に、鈴の形が愛らしい「鈴乃最中」。ひとくちサイズの二つの定番商品をはじめ、見た目にも美しい和菓子の数々に心奪われる。

出典:フクリパ:鈴乃〇餅(左)と鈴乃最中

福岡市博多区上川端、博多座の向かい。今年はコロナ禍のためにいずれも中止・延期となったが、春には博多どんたくのパレードが繰り出し、夏には博多祇園山笠の集団山見せのコースとなる博多のど真ん中、明治通り沿いに「鈴懸本店」はある。 さりげなく「鈴懸」の文字が染め抜かれた5色の暖簾をくぐると、中央に下げられた小さな金色の鈴がちりんとかすかに響く。毎週生け替えられるという季節の花に出迎えられて右手に進むと菓舗、左手が茶舗。 菓舗に足を踏み入れた途端、思わず背筋を伸ばしてしまった。黒の漆喰磨の壁に9メートルほどもあるディスプレーケース。販売スタッフの白衣を目にしなければ、ホテルのロビーか宝飾店かと見まがうほどスタイリッシュな空間は、確かに高級感を漂わせる。

出典:フクリパ
出典:フクリパ:博多区上川端の鈴懸本店。右奥の小窓から製造風景を見ることができる

が、決して格式張っているわけではない。ケースの中に並ぶ数々の和菓子の美しさ、奥の小窓から見える菓子職人の姿、「菓」の文字が印象的な紙袋や包装紙……過度な主張、余計な情報を排した心地よさとでも言うのだろうか。凛とした気の流れを感じた体の自然な反応だったようだ。(ああ、これが“鈴懸ワールド”なのか……)。そう、勝手に納得してしまった。

出典:フクリパ
出典:フクリパ: 川面を涼しげに泳ぐ鮎の姿を表現した若鮎(右)には求肥餅が1本入っている。やぶれ饅頭(左)金鍔(右)は昔ながらの味が懐かしい定番商品

「朝作って、その日のうちに食べる」。和菓子本来の当たり前の姿にこだわって

鈴懸は1923年(大正12)、現社長である中岡生公さんの祖父にあたる三郎氏が創業。後に現代の名工として表彰される三郎氏の技術と味が脈々と受け継がれている……と言ってしまえば、それで終わりそうだが、物語はそう簡単なものではなかった。 中岡さんは学校卒業後、自分の生きる道を探しあぐねていたとき、ふと、幼い頃、自宅続きの敷地内にあった工房でつまみ食いした大福の味、温かな感触を思いだした。そして、懐かしさに導かれるように故郷に戻り、鈴懸入りした。

出典:フクリパ

しかし、導いてくれた思い出の味は……。何か、違和感を抱いた。 中岡さん: 良くも悪くも製造現場が非常に効率化されて、かつての祖父の味、手作りの和菓子とは違うものになっていたんですよ。 たとえば大好物だった大福の味が違う。なぜか。日持ちがするよう餅に砂糖を加えていたのだ。1990年代初頭、土産品・贈答品市場の拡大に合わせるためには「日持ち」がするよう商品を“改良”し、生産性を上げていくのが当たり前の時代だった。 それでは和菓子本来のおいしさ、よさが失われてしまうと思った中岡さんは、あえて時代の針を逆に巻き戻した。朝作って店頭に並べ、その日のうちに売り切る手作りの「朝生菓子」にこだわったのだ。

中岡さん: 機械化して大量生産、大量消費をという時代に、単位の違う真逆の話。「イマドキ何やってんだ?」とあきれられ反対も大きかったですね。 しかし、時代に逆行する試みは業界内で徐々に注目された。98年には、地元百貨店・岩田屋内に実験店「鈴(りん)」を出店。両手を広げれば届くくらいの小さなショーケース1本に朝生菓子8品を並べ、職人長と2人で切り盛りした。 中岡さん: その日の朝作って、その日のうちに売る昔ながらのスタイル。時間をさかのぼって非効率を求めていくというような作業でした(笑)。 覚悟はしていたが、クレームもきた。「大福が硬くなった」と。 中岡さん: 餅が一日経てば硬くなるのは当たり前。なのに、日持ちさせるために糖分を加えた大福が広く出回るようになって「大福は硬くならずに日持ちするのが当たり前」と皆さん勘違いされていた。それを“本来の当たり前”に戻したわけです。

当時、ありそうでなかった「本来の当たり前」の店舗。小さな店の大いなる挑戦はクレームと同時にスタートしながら多大な評価を受け、各地からバイヤーたちが視察に訪れた。 それが2002年の初の県外進出、伊勢丹新宿店への出店につながっていった。

出典:フクリパ
出典:フクリパ

好きな世界を楽しむことが、いつしかブランドイメージに!

現在、県外店舗は伊勢丹新宿店、東京ミッドタウン日比谷店、JR名古屋高島屋店の3店。いずれも、福岡の本店と同様、朝生菓子を中心に店の奥で職人が手作りして店先に並べる店内厨房スタイルを貫いている。 菓子へのこだわりのみならず店作りの統一感など、周到に計算されたブランディング戦略のようにも映る。 中岡さん: いやいや、ブランディングとか後付けの話で。単に私が好きなんですよ。書も好きですし絵画もお花も陶芸も。それが広がったというだけです。

出典:フクリパ

包装紙や掛け紙は、懇意にしている日本画家、神戸智行氏。店舗設計は、無名の頃から鈴懸に出入りしていたという二俣公一氏。さらに佐賀の陶芸家、金沢の漆芸家などなど、地元の若手や新進クリエイターから全国各地の作家まで、さまざまな人たちが中岡さんのもとに集う。そこで交わされるとりとめのない会話から生まれたものが形となり、結果的に鈴懸の世界を構築している。 たとえば包装紙。「古くから大陸とつながりの深い博多の土地柄、その空気感を1枚の紙の中に落としていくとどんな感じになるだろう」という話から「ああだこうだ」と言いながら2年くらいかけてできあがったものだ。

出典:フクリパ

⬆︎包装紙、掛け紙は日本画家の神戸智行氏、紙袋の「菓」の書は桑原呂翁氏の筆。竹籠とあわせて今や鈴懸のアイコンとなっている

中岡さん: もともとブランドって、それぞれの商店の主人の好みによって形成されてきたものだと思うんですよ。特にブランドデザイナーを立てたわけじゃあない。何も特別に勉強したわけではない私自身の好きな世界だから、独特の世界観などと言われるのかもしれませんね(笑)。

出典:フクリパ

⬆︎どうせ捨てられるだけの贈答品用の貼り箱に経費をかけるくらいなら、籠代をいただいてその後も有効活用できるようにしたら……との発想から始まった籠包装。再利用しやすいよう「鈴懸」の文字は一切入れていない

「より自由に新しいものを採り入れて」。伝統を超えた先に広がる世界

県外進出から18年。今や全国にその名を知られる存在となり、百貨店、商業施設からの引き合いも絶えない。しかし、今後、多店舗展開を押し進めることは考えていない。あくまで手作りにこだわるため物理的に難しいし、「それが理想ではない」からだ。 一方、ルーブル美術館の「ジャパンウイーク」に招聘されて講演と実演を行ったのを皮切りに、「羊羹コレクション in Paris」、三越伊勢丹パリ店「The Japan Store ISETAN MITSUKOSHI Paris」オープニングレセプションなどパリには毎年のように出掛け、スイス「ダボス会議」のジャパンナイトにも参加。近年、海外で鈴懸の味を紹介する機会が増えてきた。

出典:フクリパ:「The Japan Store ISETAN MITSUKOSHI Paris」オープニングレセプション(2016年)

果たして、和菓子は世界に通用するのだろうか。 中岡さん: 文化的には非常に関心深く、感性も相通ずるものがあります。ただ、あんこをそのまま持っていってもどうなのか。現地の素材を使い、現地のライフスタイルに合わせるなどアレンジを工夫しながら提案、紹介しています。 抹茶ではなくシャンパンに合わせた和菓子があってもいいと思うんです。 日本の食文化を紹介するイベントやレセプションなどがあれば、ヨーロッパだろうが、アジアだろうが、アフリカだろうが、どこへでも出掛けていく。

中岡さん: 目の前の方々においしいと満足いただくのが我々にとっての最高の喜び。ものづくりをやっている者としては、海外だとか日本だとかの境目はまったくないですから。

出典:フクリパ

 7月初旬の取材時に茶舗でいただいた「葛桜」。ほどよい甘さになめらかな口あたり。塩漬けの桜葉とあわせていただくと疲れが吹き飛んでしまった

先に「時計の針を戻し」て、和菓子本来の姿に立ち返ったと記した。が、もちろん戻しただけではない。 中岡さん: 菓子屋に生まれ、製造現場の近くで育ってきて、門前の小僧として知らず知らずのうちに本当の和菓子のおいしい食べ方、楽しみ方を身に付けてきた。それをもっと自由に表現してきたんです。 そう、伝統に立ち返ると同時に、「自由に新しいものを採り入れて」常に進化しているのだ。 一口、二口つまむだけでホッと心和ませられる和菓子。鈴懸はきっと、世界中に幸せの種を蒔き続けることだろう。

出典:フクリパ

 昨夏からオンラインショップで冷凍便配送を始めた「麩乃餅」。急速冷凍技術を活用、2年がかりの試行錯誤を経てようやく「麩乃餅」に限り、手作りの生菓子の風合いそのままに届けられるようになった。生菓子の冷凍便は1種のみだが、鈴懸ファンがさらに広がることは間違いない。 文=永島 順子

株式会社 鈴懸

■創業 1923年 ■本社・工房 〒812-0034 福岡市博多区下呉服町4-5 ■電話番号 092-291-2867

元記事はコチラ

※この記事内容は公開日時点での情報です。

著者情報

成長する地方都市 #福岡 のリアルな姿を届けます。福岡のまちやひと、ビジネス、経済に焦点をあて、多彩なライター陣が独自の視点で深掘り。 「フクリパ」は「FUKUOKA leap up」の略。 福岡で起こっている、現象を知り、未来を想像し、思いをめぐらせる。 飛躍するまちの姿を感じることができると思います。 https://fukuoka-leapup.jp

目次