脱サラで始めた父親のラーメン屋は、”小商い”のまんまで終わりましたが、常連さんに愛され、43年間も営業できたことは誇りに思います。10年続くお店ってほとんどないらしいですから。
私の妹が中学生の頃だったでしょうか、家族団らんの場で父が、「ラーメン屋で何とか食っていけるようになってからはストレスがほとんど無い。台風が来て看板が飛ばされんかいな、とか心配ごとはそれぐらい」としみじみ言いました。そして、「会社を辞めて良かったけど、〇〇(妹の名前)の結婚式のときにラーメン屋の親父と紹介されるのは、ちょっといやだなあ」と、続けました。
* * * * * * * * * *
この話、いまの若い人たちには理解できんでしょうね。当時、ラーメン屋は少なくとも憧れの仕事ではなかった。それが、いつのまにか「ラーメン屋を目指します」という若者も少なくない世の中に変わっていました。
ラーメン屋を人気職業にした立役者は言うまでもなく、「世界一有名なラーメン屋」であろう一風堂です。
私が会社に入って間もない頃、先輩の女性が、「こんどシゲミちゃんがラーメン屋始めるっちゃん」と言いました。後の(株)力の源ホールディングスの河原成美社長ですね。友人だったようです。
私の記憶では、当時そのシゲミちゃんは、国体道路沿いでダイニングバー的なお店を経営されてました。両親の苦労する姿を知っているラーメン屋の息子としては、「せっかく洒落た店しよるのに、なんで泥臭いラーメン屋やらするんやろか」と思った次第です。
それが、あれよあれよとお店はお客さんであふれ返る人気になり、他にもお店を出すようになりました。実際は創業時の苦労が色々あったのかもしれませんが、私の目には順風満帆で伸びていったように映りました。
私は、郊外にあった「爽風亭」という系列店によく行ってました。「さっぷうてい」と読んでましたが、合ってるでしょうか。
今調べたら、大名に一号店を出した翌年には有限会社化してるんですね。その後東京はおろかニューヨークはじめ海外にも出店していく快進撃はみなさんご存じの通りです。
飲食店なので、味が好かれたことが一番でしょうが、古いラーメン店のイメージを一新したことが若者を惹きつけたんでしょう。ジャズの流れる薄暗くおしゃれな店内、揃いのロゴ入りTシャツを着た若い店員、「白丸」「赤丸」など斬新なネーミングのメニュー・・・、ラーメンの新時代を切り開きました。
一蘭も超有名になりました。
30年ほど前、営業で久留米に行ったときに地元の人から初めてその屋号を聞きました。仕事を終えたのが昼前で、その方から「小郡に会員しか入れん、旨いラーメンがあるけん行きませんか」と誘われたんですが、急ぎで会社に戻らないかんやったので、後ろ髪を引かれる思いで断念しました。
それから行く機会無いまま何年か経ち、「元会員制の店」として、福岡都市圏のあちこちに一蘭が出来始めました。最初に誘ってもらった人は「じいさんばあさんが二人でやってる」と言われてたので、不思議に思っていたら、常連だった人が店を引き継いで成功した、という話を後で聞きました。私が初めて食べたのは、一人ひとりに仕切りがあり、麺の固さなどを紙に書いて渡す今のスタイルになってからです。当時は「不思議やなあ」と思ったもんですが、当時からコロナ禍の今の状況を先取りしていたとも言えます。
以前博多座に公演に来てた海老蔵さんもラーメン好きで、中洲の本店に食べに行って、「おいしかった」と言ってました。
未確認情報ですがうちの父の話では、元々夫婦でされていた一蘭は早良区の室住団地あたりで営業してて、その後小郡市に移ったとのことです。ご夫婦ものれんを譲ったとき、まさかこんなに有名になるとは思わなかったでしょう。
博多一幸舎もすごいですね。こちらの幹部の方のどなたかはうちの親のラーメン屋にも常連で来ていただいてたそうです。で、やはり常連の若者はインドネシアだったか海外進出の際、その立ち上げに行ったと聞きました。お元気にお過ごしでしょうか。
こちらは、国内も多数展開してますが、今や海外のほうがお店の数多いみたいですね。
うちの父は、せいぜい出身地の県庁所在地に店を出すと意気込んでた(それもかないませんでしたが)くらいでスケールが小さかったと言えます。でも、40年前はそんな発想が精一杯だったと思います。多店舗展開のチェーンはみそラーメンの「どさんこ」とかありましたが、経営者がマスコミで着目されるようなことはありませんでした。
「老夫婦が割烹着着て、有線放送で演歌のかかる店でくわえタバコでスポーツ新聞読みながら待つお客さん相手に切り盛りする」
そんなイメージの「家業」ラーメン店を、きびきびした若者が多様なメニューを提供する外食産業に押し上げた、河原成美さんをはじめとする起業家のみなさんに感謝です。私も臆することなく、「ラーメン屋のせがれです」と名乗れる世の中になりましたからね。
ありがとうございました。
それにしても、前も書きましたが、福岡の有名とんこつラーメンの屋号って、漢数字の「一」が付いて、真ん中からタテに割ると、左右対称に近い名前ばかりだと思いませんか。今回挙げた三店のほかにも、「一双」「一楽」「一心亭」「一番山」。他にもあるかな。繁盛の秘訣でしょうか。
(次回につづく)