102年の歴史に幕を下ろした福岡市立簀子小学校。 9月14日―。思い出に逢いに、思い出を語りに大勢が集まりました。卒業生も保護者、地域の方々も先生たちも、みんなで簀子小に「ありがとう」。
「簀子(すのこ)」の由来 簀子とは、もともと江戸時代から昭和39年にかけて使われていた町名です。福岡城の北に位置し、東は大工町、西は湊町に連なる地域です。町名の由来は、この地の北の海中にあった大きな石と言われています。これを「簀子石」と呼んでいたことから、簀子町という名がついたそうです。海辺には、藩の年貢米を収蔵する倉庫がありました。廃藩後、その近くの紙役所、炭役所の跡地に誕生したのが簀子小学校です。 平成26年、市内で最も古い学校の一つであった簀子小学校の閉校によって、「簀子」の名を語る歴史がまた一つ姿を消しました。 (簀子公民館資料より) 9月14日、最後のお別れを言いに集まった人たちは、校舎や運動場など思い出の場所を訪ねました。 校長室。当時のソファがそのままに。歴代の校長先生とPTA会長の写真が歴史を物語っています。
教室、廊下、階段は檜作り。湿度が高い日も結露することなく子供たちを守ってくれました。ここでどれだけの子供たちが声をあげ、走り回りながら学校生活を満喫したことか。
飼育小屋は、90周年の記念事業として作られました。何と全てがお父さんたちの手作りなのです。あれから12年も経ったなんて思えないほど生き生きして建っています。
何千人の子供たちを新一年生として迎えた靴箱。10数年前の集中豪雨の時には、この靴箱の高さ半分以上が泥水にさらされました。その時も校区の人たちが総出で、一日も早く学校が元通りになるように大掃除してくれました。
イベント当日は、そうめん流しも振る舞われました。大喜びの子ども達が長蛇の列。
ちょっと久しぶりの子供たち、保護者の皆様と。
校区のみんな総出の手作り灯篭に火を灯すとき、一人一人の心にはどんな思いがあったのでしょう。
秋の日暮れとともに、幻想的に浮かび上がった簀子小学校の校章、校舎、そして102年の歴史を語る赤い灯。
灯篭には、一人一人の願いや思い出が綴られているのです。
今「簀子」の名を残しているのは、「簀子公民館」と「簀子」バス停の二つです。 簀子小学校を真ん中に、人情味あふれる人が集う簀子のまち―、熱き人の意思は健在です。我々はこれからもずっと、この地を「簀子」と呼び続けるでしょう。そして103年目を迎えた「簀子小学校」は、簀子を愛する人々の心の中に在り続けて「簀子のまちに生きるみんな」を見守ってくれるのです。