福岡からスター誕生へ 杉田愛子さん(芸能プロダクション(株)air代表取締役社長)

福岡は芸能人を多く輩出する県として知られていますが、今回インタビューしたのは、中学3年生のときに「スター誕生」に出場し、高校1年生でサンミュージックからデビューをした福岡県出身の杉田愛子さん。現在は、芸能プロダクション「air」の代表取締役社長として自社の所属タレントの発掘、また提携を結ぶサンミュージックの所属タレントの福岡でのプロモーション活動などに尽力する杉田さんに、デビューまでのことや今後の抱負を聞いてみました。

Q)デビューしたきっかけを教えてください。 A)幼いころから歌うことが好きで、小学5年生のころから歌のレッスンに通っていました。中学3年も終わりに近づいたある日、家に帰ったらスター誕生の地区予選のハガキが届いていました。ハガキを見た親からは「何を考えてるんだ」と言われたのですが、私自身、自分で書いた覚えもないし…。ただ、歌謡界にも憧れがあり、思い切って受けてみたところ、全国大会にまで進んでグランプリを受賞しました。

出典:ファンファン福岡

Q)その後、福岡の親元を離れ、上京されたんですね。 A)デビューするにはもう少し歌のレッスンも必要でしたし、高校を卒業するまでは当時の相澤秀禎社長のご自宅でお世話になりました。堀越高等学校に進学したのですが、そこには既に芸能人として活躍している同級生や先輩がいて、田舎から上京してきた私にとってはとても刺激的でした。   Q)不安はありましたか? A)そうですね。上京して数ヶ月は慣れないことばかりで、週1回は実家に電話をかけていました。当時は、携帯電話などありませんから、公衆電話で半泣きになって…(笑)。その際、私のデビューを一番応援してくれていた祖母が「いつでも帰っておいで」と言ってくれて。それが嬉しくて、祖母のためにもデビューしたい、祖母に喜んでもらいたい、という思いで頑張ってきました。

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Q)デビュー曲は「花吹雪」でした。 A)吉岡治先生作詞、市川昭介先生作曲の歌でデビューできたことはとても嬉しかったです。   Q)芸名の由来を教えてください。 A)当時、サンミュージック所属のタレントには「○田○子」という名前が多くありました。桜田淳子さん、松田聖子さん、そして杉田愛子(笑)。「桜」「松」「杉」。男性の先輩には森田健作さんもいらっしゃいます。   Q)新人のころの失敗談などはありますか? A)いろいろありますよ。ステージ衣装の下に私服を着ていて、それがそのままテレビで放映されたり、スポットライトにあたって深々と頭を下げていたら、段差に気がつかなくてステージから客席側に落ちてしまったりとか(笑)

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Q)サンミュージックを退社してからの活動を教えてください。 A)私は15年前にサンミュージックを退社しました。辞めた理由としては、大きなヒット曲に恵まれなかったことなどいろいろありますが、やりきった感はありました。両親も高齢でしたし、1999年に築上町に戻りました。その後は、地元のコミュニティFMのパーソナリティを経て、近年はフリーで福岡を中心にブライダルやイベントのMCなどをしてきました。   Q)今年4月に自身の会社「air」を立ち上げられました。 A)福岡は素晴らしい人材が溢れています。そんな人たちの夢を叶える手伝いができたらと思いました。また退職後も人脈の繋がっていたサンミュージックがこれまでに福岡に拠点を持っていなかったこともあり、サンミュージック所属タレントの福岡での活動も支援させていただくことになりました。「air」という社名は、日本語で「空気」「ラジオ」といった意味を持っています。空気のように人にとって必要なもので、ラジオの電波のように広くみんなにつながっていくものになってほしい、という願いを込めました。

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Q)杉田さんのポリシーは。 A)自分の信じた道を突き進むことです。   Q)未来の自分へのメッセージをお願いします。 A)故・相澤会長は、若手でサングラスをかけるタレントに対し、「みんなに顔を見てもらわなくてどうするの。タレントは夢を売る仕事なんだから、常に夢を与えられる姿勢でいなさい」と話していました。相澤会長の一言一言はいまも私の胸に残っています。相澤会長が私にとって「父」だったように、今後、福岡でどんな新しい原石に出会えるか分かりませんが、私も所属タレントにとって「福岡のお母さん」と呼ばれるような人になりたいです。

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