テキトーな父から学んだ人生の大事な教訓〜NAI・NAI起業のなまはげみきvol.54

♪NAI-NAI-NAIお金ない、NAI-NAI-NAI 場所もない、NAI-NAI-NAI でもとまらない~. お金も人脈も知識もなく起業した太刀山美樹です。   「どうしてこんな時にそんな(アホな)考えが浮かぶの?」 私はたまに聞かれる事があるのですが…   これは、幼い頃からの、父親の影響だと思っています。   高校時代にバスケットをやり、体育会系だった父(私と違い?意外とハンサムでした)は、私たちと一緒にいると、よく笑っていました。そして、私たちもいっぱい笑わせてくれました。

出典:ファンファン福岡

「我が家は、もとはよかとこ。八女でそこそこの家やったと」   と、子どもの頃によく父は話していましたが。 私は「はいはい…」としか聞いていませんでした。 友だちの家のお風呂がガスの時代に、我が家は「焚き木」だったのです。 いま思えばすごく贅沢です。葡萄の木を燃やすといいにおいがしてくるのですが、「貧乏なんだろうな」と思っていました。   どうも「いらないものにお金をかける必要はない。いる時に使わんといかんけん」主義だったようです。(お風呂も小学校のとき、焚き木から一気に太陽熱温水器になりました)少し大人になると、父親の考えがよくわかってきましたが。   我が家は祖父が、他人の借金の保証人になっていて八女市にあった田畑を全部なくしたそうです。父は予定していた大学進学をあきらめ、10人兄弟の8番目にもかかわらず、祖父母を引き取り、弟2人の夢を応援し、筑後市で、裸一貫で果樹園を開いていきます。(このあたりの話をすべて聞くのは、父の葬儀の時でした)   この果樹園を広げていくことが、父の人生の目標でした。   「アメリカ産には負けない、葡萄を、桃をつくり、ちっごの特産にしていく」自分の夢に対しては情熱と、根の真面目さがあるのですが…。   自分の夢にひたむきな反面、自分にとって「さほど問題ではない」「重要ではない」と判断したものに対しては、適当にあしらい、流すこと半端ない父でした。その姿はまるでタレントの高田純次さん!?を彷彿させます。あれほどの洗練されたウイットさはありませんでしたが、テキトーさかげんはそのままでした。

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大雑把。よく言えば、小さな事は気にしない 「まあ、よかやんか」と済ませてしまう性格でした。 当時は、家と離れた熊本県内に苦労して杉山を購入し、その手入れをしに行っていたときのことです。山々も春の装いで、ちょうど新緑が芽吹きはじめた頃でした。   山の中での作業なので、ピクニックな〜んて、おしゃれなものではないですが、 柔らかい緑の草が心地よく、山の斜面の(下り坂)縁のそばで、家族みんなで、輪になって座り、お昼に大きなおにぎりを頬張っていたときのことです。   父はいつものようにばかなこと言って、私たちを楽しませてくれていました。   すると、誰が何を言って、父が大笑いしたかは忘れましたが、 笑った拍子に父はうしろにのけぞり、次の瞬間、私たちの視界から、ぱっと消えてしまったのでした。「え?」   実は、ごろんごろんと 緑の坂を後ろ向きに転げ落ちたのです。 (でんぐり返しの逆回転です) ※父の気持ちを体験しようと転がってみました。再現写真はこちらです↓

出典:ファンファン福岡
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みんな驚いて、 特に(三姉妹の末っ子)一番幼かった私にとっては、特に衝撃的で、今でも、その時の父の様子や表情はっきりと覚えています。   「怪我ばしたとやなかろうか」と心配する私たち家族の事など、そっちのけ。 頭や身体に、木の枝や芝などをつけたまま、坂を上って来ると、 勝ち誇ったような笑顔で、父は私たちに言い放ちました。   「こりゃ〜、オリンピックに出れるやろうか?」   「は?」「へ?」…ナニイッテルノ?   し〜んとした空気から一気に大爆笑へ。 一体、父はナンの種目にでたかったのでしょうか? 

出典:ファンファン福岡

故意か事故なのか、“惨事”の後に そんな事を言うとは思わず、周りは大爆笑。 それを見て、どうだ!“してやったり感” 満載の父でした。   また人が、わ〜〜っと盛り上がるような事も好きでした。   夏休みに家族で楽しむ花火。 「ミニ花火大会」に使う花火で、買いに行く私たちに父が出した注文は、   「一番太かとば(大きなセットのを)買ってこい」と。   子どもの頃、贅沢な暮らしをした事はなかったのですが 楽しむ時は徹底的がポリシーの父、 「どうせするなら、おもしろくせんといかん!!」 母にもったいないと反対されようとも、一番大きなセットを買ってくるのです。(高価なものでした。えっと繰り返しますが、お風呂は「焚き木」時代のことです。W)   また当時は、ロケット花火がはやりだした頃でした。 我が家も初めて買ってきたのですが、父も、ロケット花火を手にするのは、もちろん、打ち上げるのも初めてのことでした。 「お父さん、この花火は危なかけん、瓶にさして火を着けるらしいよ」 「瓶?!なんば、ビビったこと、言いよるとか?!」 「ロケットって言うぐらいやもん…」 「ロケットなんやろ?なら、発射台は空に近いところで打ち上げるぞ〜」

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父はロケットという言葉に冒険心を刺激されたのか、ひとり盛り上がり、笑いながら、農機具小屋の2階に上がって窓を開けて、そこから打ち上げると言い出しました。   そんな問題ではないのに… なにも、そんなことまでしなくていいのに…   「月まで飛ばすぞ〜〜お月さんもビックリやろ〜」 「お父さん、手に持ったらいかんやん」 「月まで、うまくいくごと、しっかり持ってせんといかん(上手に飛ぶように、手にもってコントロールして、しないといけない)」 「……」(コントロールしなくちゃいけないのは他の事のような…)   こんなに、真面目な顔をして、大人のお父さんが言っているから、本当にこのロケットは行けるかなとさえ、思ったのです。   「おまえら、ちっと離れとけ」 父は全く言う事を聞かず、手に持ったまま、そのまま火をつけてしまいました。   ひ、ひえー バン、ババ〜ン!!! 

出典:ファンファン福岡

すごい音がして、あたりには火薬と焦げたにおいが広がっていました。   小屋の中での事です。煙も充満しています。 私たちは、父の事が心配で…心配で…   し〜んとした、静けさの中   父の声がしました   「手が焼き肉。うまいやろうか?」   「は?」「へ?」…ナニイッテルノ? 服も焦げていて、かなりの痛みもあったはずなのに なんて事をこの人は言うんだろう? 心配していたはずなのに、私は思わず   「お父さん、カッコいい」   と言ってしまい、姉たちにどつかれました。 「お父さんがまた調子にのるけん、ダメ!」と   あとでわかるのですが、やはりかなりの怪我はしていたようで、 手のひら、腹部にもやけどが残ります。   あの言葉を発したのは、   月まで飛ばせられなかった無念を、言葉に変えたのか?

出典:ファンファン福岡

子どもにいいとこ見せられなかった悔しさなのか? みんなの心配を笑いに変えようとしたのか?   照れ隠しだったかもしれませんが、 どうも私は、この父親をカッコいいと思って育っていったような気がします。   どんな質問も、何を聞いても答えてくれる父の事を、私は尊敬をしていました。経済や歴史など、よくいろんな本を読んでいて、楽しそうに教えてくれました。   ただ自分の知らない事についても、創作し、アレンジして、適当に教えてくれる父でしたが…。この話はまた次回させてください   何かが起こっても、動じない。 そのハプニングも、はじめから考えていたような顔をして、やり過ごす。 笑いにさえ変えることができる。   NHK福岡の体操の生放送を担当していた時の事、 「さあ、説明は終わりました。次は音楽に合わせて〜」と言うものの、 トラブルで音楽が出ないと分かった瞬間、私は 「いつも音楽が家の中で流れているとは限らないですよね…。今日は鼻歌に合わせて行う鼻歌体操です〜」と鼻歌を歌いながら、体操をした事があります。 現場の笑いを聞きながら、あの時の父の気持ちになっていたかもしれません。 「主婦にもチャンスは来ます。私がNHK体操のお姉さん?に」  「適当」「テキトー」という言葉も、私は悪くないなと思っています。 ちなみに高田純次さん語録に、適当は適材適所という言葉がありました。    アホやなあ〜見たよの方、♡をポチッといただけると嬉しいものです。 【火曜サスペンスMIKI劇場は、毎週火曜日午後10時更新です】

※情報は2015.3.24時点のものです

出典:なまはげみき

※この記事内容は公開日時点での情報です。

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