私、乳がんかもしれなかった③

こんにちは、女性の幸せな生き方について取材・執筆をしている、ライターの尾越です。

小林麻央さんの乳がん報道が注目を集めていますが、今は12人に1人が乳がんになるともいわれています。 乳がんは女性なら誰でもなる可能性のある、身近な病気です。 2013年、私にも「乳がんの疑い」がありました。 これは、そんな私が経験した54日間の記録です。

■苦しかった、検査までの1ヵ月

出典:ファンファン福岡

しかし、この日から検査までの約1ヵ月。私の体と心は今までにない窮地に立たされることになる。 腰痛、風邪からノドの違和感、生理不順、耳鳴り……。次々と不調が私の体を襲う。すべて精神的なものだと思うのだが、自分ではどうしようもなかった。 見てもらっている乳がんよりも、調べていないところの方が怖かった。 今まで考えたことのなかった、「自分が癌になるかもしれない」という事実。 すでに私の体には癌が巣食っていて、進行しているのではないか。 腰痛は卵巣がんや腎臓がんだし、ノドの違和感は食道がんと咽頭がん、生理不順は子宮がん、耳鳴りは脳腫瘍……。 体に起こる症状をネットで調べると、だいたい「癌」に行き着くことを、このとき悟った。 東京に大雪が積もった翌日、近所の神社へ少し遅い初詣に出かけた。本厄が終わる節分まで、あと2週間。 まだ雪が残る神社で、人もまばらな平日のお昼に、一生懸命ひとりで祈った。 ――癌ではありませんように。この先も生きていけますように。 しかし、家族や大事な人の幸せより、我先にと自分のことを祈る自分が恥ずかしくなり、こんな私のことなんか神様は守ってくれないかもしれない、などと考える。 ――でも、でも、お願い、今だけは許して。 お詣りをしながら涙が出たのは、生まれて初めてのことだった。 この頃、私は癌や、病気、死についての本ばかり読んでいた。 もしものときのための心づもりをしておきたかったのだ。 それが良くなかったのかもしれない。そもそもまだ、癌だと決まったわけではないし、どれだけ本を読んでも、覚悟なんてできるわけがない。それらの情報から少し離れた方がいい、と思って、今度は一切病気のことを考えないようにと切り替えた。 それもまた、無理があったのだろう。 娘を心配して電話口で健康について話す親に向かって、「今はそんな話聞きたくない!」などと強い口調で言ってしまったこともある。ただならぬ娘の気配を感じ取り「今すぐ東京に行こうか」などと両親が心配してしまうのも、無理のないことだった。

20代、私は毎日のように飲み歩き、外食中心、常に睡眠不足でストレスの多い仕事をしていた。 細く長く生きるよりは、短くても充実した毎日を送りたいと思っていた。 好きなものを食べ、好きな仕事をしている。それで死んでも本望だ、と。 しかし一方で、おばあちゃんになった自分もどこかでしっかり想像していたのである。 自分がこんな状況になって思ったことがいくつかある。 なぜ、当たり前のように、誰もが「おばあちゃん」になれると思うのか。 そして、「明日死んでもいい生き方を」とよく言うが、明日死ぬかもしれない人は、そんなことは到底思えない、ということ。どんなに素晴らしい生き方をしてきても、いくつになっても、悔いは残るし、やりたいことは尽きないものだ。未練たらたらで、それでもやむを得ず諦め、受け入れて人生は終わるのではないか。 起こることすべてに意味がある、というのが私の信条だ。 だとすると、いま、私は一体、何を試されているのだろう。 しぶしぶ、この試練と向き合う覚悟を決めるに従って、体調も少しずつ落ち着いてきた。 そして、2月8日、私はマンモートーム生検へとのぞんだ。 ※この記事は、乳がん検査を受けたことにより不安や葛藤を自身で体験したライターの体験記であり、乳がんをなかなか身近に感じることのない、またはライターと同じような不安を経験している方への啓蒙の一助となることを目的として掲載しています。

私、乳がんかもしれなかった④

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