福岡グルメ小説“N氏の晩餐”/「博多座」で初めての歌舞伎と劇場グルメ

いつものウオーキングコースが特別に見える。そして、何とも言えないこの新緑の香り。 木々から放たれるマイナスイオンを胸いっぱいに吸い込んで帰宅。今日こそはと冬物の整理を始める。

出典:ファンファン福岡

最初に手に取ったコートのポケットを探ると、一枚の紙片が指先に触れた。 取り出してみると、薄いオレンジ色の下地に唐草模様のデザイン。今年の2月、月に一度の美食の友、通称“N氏”からお誘いを受けて観劇した博多座二月花形歌舞伎のチケットだった。

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博多座。その劇場の前は何度も通ったことがあったし、月替わりでいろいろな演目が上演されているのは知っていた。だけど、私にはあまりにも敷居が高すぎる…。何かの会話の流れでそんな話をしたとき、それならよかったらご一緒に、という、まさに天からの声が返ってきたのだった。

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広々としたエントランスホールに入ると、まず目に入る「イヤホンガイド」の貸出コーナー。 1700円を支払って、帰るときに保証金として預けていた1000円が戻ってくるシステム。 ストーリーや台詞、舞台装置・音楽などの演出、舞台に登場する役者名や役名などがオンタイムで解説され、N氏の歌舞伎観劇にはなくてはならない必需品だそうだ。 エスカレーターで2階に上がると、ロビーには土産物や弁当を売る出店が所狭しと並んでいる。 そして、客席内に足を運ぶと、「これぞ歌舞伎!」といった感じの幕が舞台にかかっていて、劇場の上部を提灯がぐるりと囲んでいる。客席内の舞台に向かって左手には花道も設えてあり、雰囲気満点だ。

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舞台にかかっているのは「定式幕(じょうしきまく)」と呼ばれる歌舞伎特有の幕。江戸中期以降、幕府から歌舞伎興行を限定的に許された3つの芝居小屋、森田座・市村座・中村座は「江戸三座」と呼ばれ、それぞれに異なった定式幕を使用。黒・柿色・萌黄(もえぎ)色の配列は森田座の定式幕で、東京の歌舞伎座、京都の南座、そしてここ博多座が使用している。 また、東京の国立劇場や大阪の新歌舞伎座は黒・萌黄色・柿色の市村座の定式幕を、18代目中村勘三郎が5代目勘九郎時代の平成12年(2000年)に立ち上げた平成中村座は、もちろん中村座の定式幕を使用。中村座の定式幕は、黒・白・柿色と、白が入るので、初めて見るとかなり新鮮でスタイリッシュに感じる…。 N氏の超マニアックな解説が入り、初めて観る歌舞伎への期待がいっそう高まる。 **************************** 一幕目の幕が閉じると、観客たちがいっせいに動き始める。 N氏と私も早々に席を立つ。この30分の休憩時間が、お食事タイムになるのだ。 あらかじめ購入してロッカーに入れておいたお弁当を取り出し、売店ロビーの隅にある飲食コーナーへ。

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私は中洲の日本料理店「石田」の海老弁当。まさに海老尽くしのお弁当で、上品で優しい味わいに思わず頬がゆるむ。 N氏は、いつもの定番だという博多座内のレストラン「花幸」の箱寿司。 幕と幕の間の休憩時間に食べるから「幕の内弁当」。自分の座席で食べる人も多いので、一箸でつまめ、一口で食べられることが必須条件。駅弁などの幕の内弁当でご飯の部分が俵型に区切ってあるのは江戸時代から続く幕の内弁当の定番スタイル。さらには、短時間で食べられるよう、味付けや食材の柔らかさ、消化の良さも不可欠。そしてなんといっても彩り。蓋をとった瞬間の華やかさが芝居見物の高揚感をいっそう引き立ててくれる…。

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もはや “歩くイヤホンガイド”と化したN氏に、観劇中に気になった、客席から飛ぶ「よっ!○○屋!」という掛け声について尋ねてみる。 芝居中に屋号を呼ぶのは「大向(おおむ)こう」という歌舞伎の演出の一つ。「大向こう」とは「一番遠いところ」という意味で、三階席の上の方から舞台に向けて声を投げかけるのは専門のボランティアさんたち。 「大向こう」は歌舞伎には不可欠といえるもので、ボランティアさんたちが都合で来られないときは、若手の役者が代役を務めることもある。市川海老蔵は「成田屋」、市川猿之助は「澤瀉(おもだか)屋」、片岡愛之助は「松嶋屋」、中村獅童は「萬(よろず)屋」というように役者によって屋号が決まっている。江戸時代、歌舞伎役者の身分は低く、苗字を持たなかったため、観客たちは贔屓の役者にエールを送る際、その役者が副業として経営したり勤めたりしていた商店の屋号を呼んだ。「私はこの役者さんのことをよく知っているんですよ」という江戸っ子の見栄も多分に含まれていたのだろう…。 立て板に水とはこのことで、よどみないお答え。私の知的好奇心が次から次へと満たされていくのがわかる。知れば知るほど面白くなる、それが歌舞伎の世界なのだ。

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二回目の休憩にはロビーの売店を見て回る。「博多座名物」や「博多座限定」がフロア中にあふれていて、大いに迷う。 昔から、「観劇・食事・お土産の三つ揃えが芝居見物の醍醐味」と言われているそう。 私も職場の同僚や友人に“幸せのおすそ分け”を購入。さすが、博多座名物だけあってパッケージが「森田座」スタイルだわ…。と、さっそく仕入れた知識を引き出して一人で悦に入る。

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初めての歌舞伎を大満喫して外に出ると、すでに夜のとばりが下りていた。劇場の熱気で火照った頬に冷たい夜風が気持ちいい。 4時間近く劇場内にいたのに、なんだかあっという間に時間が過ぎた感じ。次は和服で来てみようかな…。そんなことを考えながら、私は大人の階段を一段上がった、新しい世界に触れた、という満足感と高揚感に包まれていた。

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■ファンファン福岡の博多座関連情報■ 【公演情報】六月博多座大歌舞伎―芝翫親子 4人同時襲名 震災復興・公演成功祈願でお練り https://fanfunfukuoka.com/town/82796/ 【まちネタ】床にアンモナイト、照明にシンボルマーク…博多座のトリビア発見! https://fanfunfukuoka.com/town/45402/ 【小説】博多の街を舞台に繰り広げられるヒューマンドラマ『博多座日和』 https://fanfunfukuoka.com/hakatabiyori/

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