ことしも〝えつ〟が美味しい季節がやって参りました。佐賀県内でも〝知る人ぞ知る〟味、賞味できる時期も、場所も、ごく限られた貴重な魚です。
佐賀市諸富(もろどみ)町のえつ料理を提供する飲食店団体「佐賀市もろどみin 食の会」では、7月20日まで「えつ銀色祭り」を開催中。期間中は登録店にて、いろいろな「えつ料理」が味わえます(詳しくは添付のちらしをご覧ください)。
加盟の11店舗は割烹、すし店、お菓子やさんとさまざま、いちおしメニューもお手軽なランチ、えつのフルコース、霊薬「フロフキ」の粉末入りのえつサブレなど価格帯も幅広いので、ご家族と、友達と、ビジネス会食にといろいろ楽しめます。 えつの体は、お腹から尾にかけてビューッと切れ上がったナイフの刃のような形をしています。これには古くから伝わるお話が……
――紀元前200年頃、中国大陸で初めて国家統一を成し遂げた秦(しん)の始皇帝が、自らの老いの苦しみから行く末を案じ、神仙の術をあやつる徐福(じょふく)に、不老不死の妙薬を探して持ち帰るよう命じた。 徐福は、船20艘に少年少女や供(とも)の者、数百人を乗せて、「蓬莱(ほうらい)の島」を目指して船出した。その蓬莱の島こそが、日本だったのです。 ようやくたどり着いたものの、うまく岸に船を付けられなかった徐福一行、困って、徐福が「上陸できる土地を指し示すように」と大きな盃(さかずき)を川に流すと、流れ流れて、いまの筑後川の下流に流れ着いた。 そこから陸(おか)に上がる際、あたりに葦(あし)の葉が生い茂っていたのを、徐福一行は手でかき分けながら、進んでいった。このとき、地面に落ちた葦の葉の片側が転じて、えつという魚になったと言われています。 このほか、徐福が葦の葉を川に投げ入れると、えつに変わったという話もあります。 実際、諸富町には「浮盃(ぶばい)」という地名が残っており、片方にしか葉の付いていない「片葉の葦」が、いまもこの付近に生えています。
ところで、徐福は不老不死の薬を見つけられたのでしょうか? これも、佐賀市金立山で発見したという説が伝わっています。 長い旅の果て、上陸するとき、土地の貧しい様子の漁師が、徐福に快く船を出してくれた、それを恩義に感じて、不思議の力をあやつる徐福が葦の葉を川の中に放って、えつが生まれた。えつが毎年、繫殖して、味も良く、沢山売れれば、あたりの人びとの生活が豊かになるからと……。 古代ロマンと地元の人たちが大事に守ってきたえつの味、ぜひこの機会に楽しまれてはいかがでしょうか。 目で楽しむ「えつ」はこちらから ↓ 佐賀市プロモーションムービー第6弾「佐賀に幻の魚がいた!」