「飲食店の退屈と危険」と何やらおそろしげな今回の内容を予告してました。
ようわからんかったと思いますが、独りとか夫婦でやってるような小さな飲食店の日常は単調になりがちで、それに耐えられなくなると、アブナイ落とし穴にはまることもある、という話です。
うちの父は勤め人時代、賭け事が大好きで、競馬場の近くに住んでたりもしました。麻雀もほぼ毎日やって、負けたことがない、と自慢していました。それならもっと小遣いをくれても良かったはずですが。
それが、ラーメン屋を始めてからは、休みがほとんど取れず、競馬も麻雀も楽しむ余裕はなくなりました。
うちのような飲食店に限らず、だいたい自営の小売業は日々同じことの繰り返しでしょう。前回書いたように、おしゃべりなお客さんが豊富な話題で楽しませてくれることもありますが、それもしょせん他人事です。まあ、サラリーマンだってそんな劇的な毎日を送ってないとは思いますが、時々は出張とか新規事業の立ち上げとか多少ワクワク感のあることを経験したりするでしょう。飲食店も大都会の繁盛店とかならちょいちょいテレビや雑誌に取材されるようなこともあるでしょうが、普通の店はそんな機会も限られます。「うどんMAP」のアキラ君なんか来た日にゃ、宝くじが当たったようなもんです。
ラーメン屋は、毎日毎日麺を上げてスープに入れ、「ハイ」とお客さんに出し、お勘定して、時間が来ると、のれんをしまいます。その繰り返しで退屈しないほうが不思議です。
さて、本題です。
時々、繁盛しているようなのに、急に店を閉じたり、休業するような飲食店を見かけませんか。店主の急病やケガ、最近では働き手が見つからないなどのやむを得ない事情だったりもしますが、そうでないケースを私も時々見聞きしてまいりました。
私が勤めていた会社の近くに味自慢で有名、はるか遠くから評判を聞きつけた食いしん坊がやって来るほどの人気飲食店がありました。ジャンルを書くと気づく人がいるかもしれないので、書きません。
そこの大将がしばらくお店を閉めたりするようになって、人づてに聞くと「体調が悪い」とのこと。開けたり閉めたりを繰り返し、結局お店をたたまれました。多くの人が惜しみ、悲しみました。
その後、事情通の人に裏話を聞きました。
昔は両親のラーメン屋の近くにお住まいで、常連客でもあった大将は、ギャンブルにのめり込んでいたのです。体調が悪かったというのは真偽定かではありませんが、そうだとしたら、借金で具合が悪くなってたのかもしれません。温厚で人当たりの良い大将ご夫婦はお客さんから大層好かれていました。再起を助けるべく、お金を貸して応援していた人がいた、とも聞きました。
お店が傾くほど賭け事に入れこまなければ、今もお元気に活躍されてたんじゃないかと思うと、無念でたまりませんが、そうならざるを得なかった気持ちはわかる気がします。やっぱり、日常の繰り返しにたまらなくなって、失礼を承知で言えば、「チープスリル」を求めたんだと思います。
ギャンブルが絶対悪なわけではありません。要は、どこで区切りをつけるか、線引きをするかということでしょう。聖人君子でない限り、息抜きだってしたくなりますが、「きょうはここまで」とか「今月は〇〇円負けたからこれで打ち止め」とか出来ないと、生活を維持していくことが難しくなりますよね。
私は父ほどギャンブル好きではありませんが、時々舟券や馬券買います。気が小さいので、5千円なら5千円だけ用意してなくなったらやめるという、よく言えば堅実、悪く言えばつまんない賭け方をします。「10万も20万もスルぐらいなら、アレもコレも買えたよな」と思っちゃうのが、小市民を続けるには良いようです。
昔大好きだった麻雀も、集中力に欠け負けてばかりなので、とんとやらなくなりました。もっとも今は同好の士もなかなか見つからんでしょうが。
話を戻すと、福岡市東区にあった有名ラーメン店も、店主がギャンブルで散財して閉店を余儀なくされた、と風の便りに聞きました。これも「黒字倒産」的な終わり方です。もう二十年以上前の話ですが。
今の若い人たちは概ね堅実だから心配に及ばないのかもしれませんが、飲食などの自営を志す人は、「退屈との向き合い方」も視野に入れておくことをお勧めします。
うちの親のラーメン屋がなんのかの40年以上続いたのは、商売が低調でギャンブルどころじゃない状態がそこそこ長かったこと、両親も話好きで常連のお客さんたちと仲良しグループを作り、夫婦二人だけの世界にならなかったこと、軌道に乗ってから再開した競馬も、預けた限度額以上賭けられないネット投票に絞ったこと、などが勝因かと思います。
一方で昨今は、違法のオンラインカジノとか一瞬でとんでもない額のお金が動く落とし穴も大きく深くなっています。儲かった人もそれまでの苦労を忘れずご用心くださいまし。
続く