きょう20周年! 博多リバレインモールの苦難の歩みが分かる連載(上)

 水辺の風景が広がる博多川沿いの歩道。屋外にせり出したカフェテラスは、グラスを片手に語らう客でにぎわい、休日は元気に走り回る子どもの声が響く。6日で開業20年を迎える商業施設「博多リバレインモール by TAKASHIMAYA」(福岡市博多区)。商人の町「博多」復興の期待を背負って生まれたモールは、今もその役目を果たそうと、試行錯誤を続けている。

 水辺の風景が広がる博多川沿いの歩道。屋外にせり出したカフェテラスは、グラスを片手に語らう客でにぎわい、休日は元気に走り回る子どもの声が響く。6日で開業20年を迎える商業施設「博多リバレインモール by TAKASHIMAYA」(福岡市博多区)。商人の町「博多」復興の期待を背負って生まれたモールは、今もその役目を果たそうと、試行錯誤を続けている。

出典:ファンファン福岡

 歩みは苦難の連続だった。1999年、国内外の高級ブランド約店を集めた「スーパーブランドシティ」として開業。看板テナントは正面入口に構えたルイ・ヴィトンとイヴ・サンローラン。一部の客には支持された高級路線だったが、地元住民には「敷居が高い」「気軽に行けない」と敬遠された。  景気悪化のあおりも受けて売り上げは低迷。運営会社はオープンからわずか3年で破綻した。運営を引き継いだ投資法人は、名称を「イニミニマニモ」と変えて再起を図ったが、赤字体質から抜け出せなかった。開業から携わり、イニミニマニモ館長も務めた池田道彦氏は「広い売り場を生かし、同一ブランドでも品揃えを充実させることで、客を奪われていた天神地区の百貨店との差別化を目指したが、地域目線が欠けていた」と分析する。  「正面のテナントを含め、3分の1が空きスペースでした」。そう振り返るのは現在モールを運営する東神開発で2月末まで九州事業部長を務めた、中村好成営業企画部長だ。12年、同社は商業施設の運営権を100%取得。「地元に貢献できる施設」をキーワードに改革に乗り出した。  館内はアールデコ調の装飾に彩られ、通路は欧州の路面店を意識した石畳が広がる。中村氏には「上質な空間を生かせば、やり方次第で復活できる」と確信があった。  気軽に足を運んでもらえるよう、博多川沿いに面したスペースに飲食店を誘致。有名ブランドの看板を掲げていた2階の壁はガラス張りにして、施設内の雰囲気や人の動きを外から見えるようにした。周辺に多いオフィスの需要を見込み、高級ブランドとは正反対の100円ショップもテナントに加えた。  14年度以降、それまで利用が少なかった「家族連れ」を中心に、来館者数は回復基調に転じた。同年度には念願の黒字化を達成し、5期連続(18年度は見込み)の黒字を果たす。

出典:ファンファン福岡

 けん引したのは14年にオープンした「福岡アンパンマンこどもミュージアムinモール」だ。累計来館者数は2月で250万人を突破。モールを祖父母、親、子の「3世代」が利用するようになり、顧客ターゲットも複層化した。来場者は九州一円にとどまらず、東は広島、アンパンマンのテレビ放送がある台湾からも訪れる。  天神と博多駅という、九州の2大商業集積地に挟まれる中、「福岡都市圏での勝負はしない」と中村氏。飛躍に向けた次の一手は、魅力ある博多、福岡の文化を、海外を含め広域に発信する拠点への「進化」だ。    開業20周年の博多リバレイン。中核商業施設「リバレインモール」は、高級路線で苦難の道を歩んだ後、「地元に貢献する」施設へと転換を図り、福岡や博多の文化を発信する拠点へと変化を進める。20年の軌跡と今後の展望を追った。 <㊦に続く>  博多リバレインモール by TAKASHIMAYA:下川端商店街(福岡市博多区)の再開発事業で1999年に建設した「博多リバレイン」の中核商業施設。博多リバレインは、周辺の博多座やホテルオークラなどで構成し、商業施設は当初、高級ブランドを集めた「スーパーブランドシティ」として開業した。 初年度売上高は当初計画の半分以下の115億円と低迷。その後も苦しい経営が続き、福岡市などの第三セクターが出資する運営会社は2002年、負債総額約290億円を抱え、特別清算を申請。融資した銀行団は400億円を超える債権を放棄した。 その後、運営権を買収した三菱商事系の投資法人が、03年に「イニミニマニモ」に改称。現在の管理・運営会社で高島屋グループの東神開発が、15年に「博多リバレインモール by TAKASHIMAYA」に改称した。 =2019/03/05 西日本新聞=

※情報は2019.3.6時点のものです

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