古くから祝儀袋などを彩ってきた水引。その伝統を打ち破り、だるま、えびす、バッハの肖像画など、今までにないデザインを提案する「水引デザイナー」がいる。福岡市にアトリエを構え、国内外から製作依頼が後を絶たない長浦ちえさん。水引の魅力と、現在の制作スタイルに行き着いたわけを聞いた。
Q. 水引デザイナーになったきっかけは
求人誌で「水引のデザイナー募集」を見て、この世界に入ろうと思いました。ちょうど美術大学を卒業したての頃で、当時は水引の背景にある「日本文化」というキーワードに引かれて応募しました。今でこそ水引デザイナーと言っていますが、当時おそらくそのような職業はありませんでした。私も水引デザイナーという肩書ではなく、商品企画デザイン課に所属していました。 水引には、水引そのもの(生水引)の製造元と、生水引を仕入れ細工を施す加工会社(加工屋)があります。生水引を作る製造元は国内数社あり、産地は長野、愛媛、京都、金沢の一部。私の立ち位置は、イメージを膨らませてデザインに合う生水引を全国の産地から仕入れて加工していますので、加工屋となります。
Q. 商品デザインはうまくいきましたか
会社では水引の飾りや祝儀袋、百貨店のオリジナル商品や専門店の商品をデザインしていました。美術大学では油絵を専攻していて、自分の世界観をいかに表現するかを求められてきました。けれど、会社からは「作品」ではなく「商品」を作れと。当たり前のことだと分かっても、求められるものが正反対なので戸惑いました。 そんな私がとがったものばかり作るので、上司から呼び出されたこともあります。当時は「売れ筋」より自分の好みの方が強くて、王道の商品に比べると私が作るものはやはり人気が薄かったんです。「売れる物と好きな物が違う」と壁にぶち当たりもしましたが、顧客のターゲット層を読んでちょっとだけ攻めてみたり、自分なりのさじ加減を試してみるとだんだん売り上げの数字が付いてきておもしろくなってきました。自分の「読み」が当たった時の快感が、仕事のやりがいにつながりましたね。
Q. 25歳でフランスに渡ったそうですね
パリ市内を歩きながら日本の商品を扱う雑貨屋を調べたり、日本人オーナーの店を紹介してもらったり、情報収集しながらとにかく動き回りました。自分の作品集を持って飛び込み営業をするんです。あの頃は若さだけで突き進んで、ガッツがあったなぁ。提案したのは、クリスマスや新年向けの水引作品。素材を仕入れるだけでも検疫だの税関だの、涙ぐましい悪戦苦闘を繰り広げていましたよ。 パリの人たちは、良くも悪くも「私にも可能性があるかも」と、幸せな勘違いをさせてくれたと思います。当時の日本は肩書で判断される時代でしたが、フランス人はみんな「私があなたの作品が好きかどうかで判断するわ」という見解。また、現地の女性から「なぜ黒を使わないの?」と言われてハッとしたんです。ずっと慶事関係の商品を多くデザインしてきたので、黒を色として認識すらしていませんでした。けれど「黒もきれいな色なのに」と言われて、目からウロコでしたね。
Q. 海外を経験して、何か変化はありましたか
渡仏前は会社で何千万円という売り上げの数字を見ても実感がわきませんでした。それはきっと相手が見えていなかったんですね。文化も慣習も違うフランス人が手に取ってくれたということに、モノが動くリアルさを実感できたのです。世界が動いたという感覚。 また、帰国後に努力が実を結ぶ機会もありました。ヨーロッパテイストの店から依頼を受けたときのことです。「うちらしい祝儀袋をデザインしてください」と言われ、どうやらエッジが効いたものを作ってよさそうだと感じました。そこで消費者の目線に立ち、自分がこの店で買うなら…とシビアに考えた上で、黒やグレーを基調にしたデザインを提案しました。 今までにないデザインでしたが、クライアントから喜ばれて、すごくうれしかったですね。しかも数年後、別の企業から仕事の依頼があったときに、その祝儀袋が参考資料として出されたんです。あのときの新しいテイストが評価されたという手応えを感じました。
Q. 今までにない水引をどうやって作ったのですか
パリに行く前に創作意欲に火が付いて、取りつかれたように新商品の試作を作っていたんです。今まで使ったことのない素材を買い込んで、これまで見たことのないようなものを感性の赴くままに作りました。そしたら社長が褒めてくれて、そこからアーティスティックなシリーズが商品化されることになりました。百貨店限定の少量生産でしたが、次に向かう大きな弾みになりました。
Q. デザインはどうやってひらめくのですか
奇をてらったり、特定の何かからインスピレーションを受けたり、などということは特にないです。すごく斬新なことをしているように見られますが、私としては昔から受け継がれている型を守っているつもりです。 水引には1400年以上脈々と受け継がれてきた歴史があります。時代が変われば、はやりやスタイル、消費者の捉え方も変わりますが、「相手を思うもの」という本質は絶対に変わらない。その本質を重んじ、今のライフスタイルに合わせた表現をしています。デザインは緩めるというよりも、引き算に近い感覚。ひと昔前は盛るデザインが多かったですが、今の時代はミニマムにすっきりさせた方が格好良くて受け入れられます。 「スタンド花輪」は、大人の遊び心をくすぐる商品です。自分がスナックのママになった気持ちで作りました。常連客や仲間がみんなで渡すとお祝いムードが高まって、カウンターにたくさん並ぶ光景もかわいい。「贈る側」も自分たちなりの演出として楽しめます。渡すときも飾っておく期間も、コミュニケーションツールになる新しいお祝いの形です。
Q. 素材にもこだわっているそうですね
自分もそうですが、年を重ねると自分らしさも大事だけど、きちんとしたご祝儀袋を贈りたいなと感じます。そんなときは、スタンダードで上質なものを持ちたい。 「紙漉き(すき)職人・水引職人とつくるご祝儀袋」はびっくりするくらい素材にこだわって作っています。佐賀県の工房に楮(こうぞ)繊維のみを用いて手すきの和紙を作ってもらいました。水引も、長野県の職人にオリジナルの物を手作業で作ってもらってます。宮内庁で使用される水引と同じ手法で作られ、手作りならではのしなやかでふっくらとした風合いです。シンプルだけど存在感があります。 この水引は空気を含んだような柔らかい白の部分と、通常の水引よりも硬い赤の部分があり、結う際の力の入れ方などがとっても難しい。生産数も限られます。
Q. 大切にしていることは
昔は、画材はケチらず気に入った物を買っていました。今も自分の仕事に繋がる物は、いいと思ったら迷わずスパッと買いますね。また、お礼参りも兼ねて全国の神社に足を運びます。私自身、これまでを振り返っても見えない縁でつながっていると感じますし、皆さんが想う「ありがとう」「おめでとう」という形のないものを水引の結びで表現し、それを生業にしているので、神社へ手を合わせに行く習慣はこれからも大事にしたいです。 今後は、自分自身もまだ見たことがない作品を創造してみたいです。今のライフスタイルや時代の許容範囲を見極めながら提案し続け、水引の歴史と文化を絶やさずに、次世代に渡したいですね。
長浦 ちえ
1979年生まれ、福岡県出身。2003年に武蔵野美術大学油絵学科を卒業後、水引の商品企画に携わる。2004年のフランス・パリ滞在中に、日本料理屋や雑貨店、ホテルなどでアートワークを展開。帰国後、有名企業の広告やオリジナル商品を多数手掛ける。2008年に福岡に戻り、2013年に自身のブランド「TIER(タイヤー)」を始動。著書に「手軽につくれる水引アレンジBOOK」(エクスナレッジ刊)、「はじめての水引アレンジ」(世界文化社刊)などがある。