野球のバットを持っていたり、ラグビーボールを抱えていたりと斬新なデザインを手掛ける新進気鋭の博多人形師がいる。福岡市中央区桜坂に工房を構える「中村人形」四代目の中村弘峰(ひろみね)さん。独自のスタイルを貫く理由と将来の夢を聞いた。
Q.「人形師になろう」と意識したのはいつですか
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物心がついた時には、すでに意識していました。 祖父や父が楽しそうに仕事をする姿を見ていたので、保育園の卒業文集に「人形師になる」と書いたのを記憶しています。 僕は図工が得意で、絵を描くのが好きでした。その延長にある人形師の職業は、子どもながらに天職と思っていたんです。ただ、そうは言っても苦労はありました。本格的に修業する段階で、伝統とは何かと考えたり、それを理解したりする難しさを味わいました。それでも、ものを作って生きていくという仕事の大筋は、親の背中を見て育ったのでイメージ通りでした。
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今でもよく「四代目としてのプレッシャーが大きいでしょう?」と聞かれますが、そういったことは全くありません。さすがに予想しない依頼が入った時は、緊張感が走りますが、伝統を受け継ぐ家業に対して、また作品を作ることに対してプレッシャーはありません。きっと、もの作りが好きっていう気持ちが勝っているんでしょうね。
Q.人形の魅力を教えてください
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僕は博多人形師の家系に生まれましたが、日本国内の人形すべてに興味があり、特に京都の「御所人形」が好きなんです。御所人形は江戸時代に観賞用として親しまれ、宮中の慶事や出産、結婚などお祝いの際に飾られてきた歴史のある人形です。その特徴は、三頭身であること、丸々としたふくよかな顔つき、透き通るような白い肌にあります。全体からみやびやかな気品が漂い、人間とはちょっと違う真っ白で神聖な生き物のようにも見えます。 御所人形の魅力はたくさんあって、この魂が抜けたようなシュールな表情に愛着がわきます。明治時代から人形の表情がより人間らしくなります。でも僕はそれよりも、江戸時代の方がユーモア満載でほほえましいと思うんです。何ともいえない気の抜けた表情で綱引きをしたり、人形がひな人形を持っていたり、体勢やシチュエーションの一つひとつまで面白いんです。
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もともと御所人形は、赤ちゃんの成長と幸せを祈願して飾られた人形なんです。赤ちゃんに降りかかる病気や災いを、人形が身代わりになって背負うという厄除けの意味もあったので、人形が割れたら代わりに災厄を被った証拠だと言われてきました。ニコニコと愛らしい表情をしているのに切ない宿命を背負っている。このギャップに胸が締めつけられます。一方で、人形をもらった赤ちゃんが年を重ね、おじいちゃんになり、大往生で亡くなったとしても、人形だけは延々と残り続ける。はかなくもあり、永遠の命を持つ。なんだか不思議な存在です。
Q.守り続けている伝統は
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中村家が他の人形師と違うのは、「こだわりを持たない」という姿勢です。「これがうちのやり方です」という特定のルールを持たない。依頼されたものは、本質と品格を重んじながら柔軟に作ります。間口が広いですよね。その背景には、中村家の家訓「おかゆ食ってもいいもん作れ」があり、「人形を作れ」とは限定されていないのです。作るものは問わないけれど、貧しくなってもいいものを作りなさいと、祖父が作った家訓のもと、時代が移り変わってもブレない品格と神髄が守られているのです。 そこから発展させた私たち中村人形の理念が、「人の祈りを形にする仕事」です。例えば、孫のために祖父母が、洋服やおもちゃを買ってあげることが多々ありますよね。けれど、健康に育ってほしいという願いや孫を大切に思う気持ちが、洋服やおもちゃといった物では満たせないから、そんな時に五月人形に行き着くんです。自分たちの願いを見える化することで、孫や家族にも思いが伝わるし、贈った側も気持ちが満たされると言うか折り合いがつくのだと思います。 五月人形だけでなく、会社の発展を願って社名入りの人形をオーダーしたり、新年の験担ぎにえと人形を買ったり、見ると元気になるからかわいい人形を置いたり、いろんなパターンがあります。そこに共通するのが、祈りや願いなんです。どんなに現代の科学が発達しても、験担ぎや祈りは、時代にかかわらず人間が常に持ち続けるものなんです。それらを見える化するのが、中村家の仕事であり、最終的に「人の祈りを形にしたものが人形」だと考えるようになりました。
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大好きな図工の延長にある仕事だと思っていた幼少期から、大人になるにつれ、人形とは何か、日本らしさとは何か、伝統とは何かを考えるようになり、悩みながらも経験を積んで、ようやくこの答えに行き着きました。
Q.なぜスポーツ選手を人形に?
完全なるマイワールドの博多人形を作ろうとしています。これまでの博多人形は、床の間に飾られるようなもので、慶事や時代やニーズに合わせて作られていましたが、今は多様性の時代とあって、ニーズそのものが特定しにくい。だからこそ、僕も自由に自分の強力な個性と世界観を人形に落とし込みたいと思っています。 その象徴的なものとして、「江戸時代の人形師が現代にタイムスリップしたら」というテーマを掲げた人形があります。当時はいなかった、野球やアーチェリー、ラグビーなど現代のスポーツ選手を、江戸時代の人形師のフィルターを通して作り上げるんです。なぜスポーツ選手なのかと言えば、五月人形のモチーフとなった金太郎や桃太郎に代わる現代人にとってのヒーローと思ったからです。今も昔も親が子どもに願う「たくましく育ってほしい」という祈りを、五月人形や兜(かぶと)ではなくスポーツ選手で表現しました。 最初は遊びでやっていたんですが、息子の五月人形のつもりで作った野球選手の作品が、2016年の金沢・世界工芸トリエンナーレ・コンペティションで優秀賞をいただき、多くの人に知ってもらう機会になりました。
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今はスポーツ選手以外に洋犬やゴリラなど動物も作っています。僕が好きな江戸時代の御所人形の技法で、金箔(きんぱく)や伝統の柄、現代のエッセンスを掛け合わせながら表現する。これが今ものすごく夢中になって取り組んでいるチャレンジです。
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Q.今後どんなことに挑戦しますか
今はスポーツ選手をメーンに表現していますが、ゆくゆくは、ショベルカーを運転するおじさんとか、歯医者さんとか、ありとあらゆる人形をこの世界観で表現していきたいです。伝統を重んじながら、時代の移り変わりや人間の普遍性を感じ取ってもらえる作品を作りたい。 博多人形の常識からすると斬新なデザインですが、200年後の未来、伝統工芸の書籍の1ページに僕が作ったアーチェリー選手が載っていたらうれしいなと思います。未来の人たちが見ても、「これ面白いね」「古くないよね」と思ってもらえて、「2000年の初めってこんな格好をしてたんだ!」とか、人形を通して時代の空気感も楽しんでもらえたらと思っています。 伝統とは本気で新しいことをやり続けた結果であり、振り返ってみた時に、それが伝統として刻まれていることに気づくものだと思います。今は斬新な挑戦だとしても、これが人形界の歴史に刻まれるものになると思って、僕もチャレンジを続けています。
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Q.直接販売する狙いは
物ではないのですが、2020年後半を目標に、工房の向かいにギャラリー兼ショップを開こうと思っているので、その準備のためにローンを組みました。ここ5、6年じっくり構想を重ねた中村人形にとっての新しい取り組みです。 これまでは人形や伝統工芸は、問屋を通して百貨店などで販売されることがほとんどでした。しかし、今は直接取り引きが増えいます。時代の流れが背中を押してくれたんです。自前のギャラリーを持つことで、作品を見ながら直接お客さまと話ができるし、気軽に見て触れてもらえる機会があれば喜ばれそうだし、僕らにとっても広がりが持てるんじゃないかと楽しみにしています。
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中村人形 四代目人形師 中村弘峰
1986年、福岡県生まれ。2011年東京芸術大大学院美術研究科彫刻専攻修了。父に弟子入りし人形師となる。2016年に「金沢・世界工芸トリエンナーレ・コンペティション」で優秀賞を獲得。2017年に「伝統工芸創作人形展in金沢」で中村記念美術館賞を受賞した。太宰府天満宮のえと置物のデザインを手掛けている。
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