【福博今昔通り物語】vol.8 筑紫通り編~史跡多くロマン漂う

 福岡都市圏を南北に走る「筑紫通り」。いにしえの歴史にその名は由来し、幹線として物流や人の往来を支えています。沿線には古代や中世をはじめ史跡が多く、歴史ロマンが漂います。今回はこの通りにまつわる物語を振り返ってみましょう。

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市制80年を記念 物流支える幹線

 筑紫通りは、福岡市博多区の博多駅前3丁目交差点から福岡県春日市の境付近までの、市道や県道など7㎞の道路に付けられた愛称です。1969年、福岡市の市制80年を記念して名前が公募され、太宰府(筑紫大宰)に通じる道で、筑紫という歴史的・文化的にも由緒ある言葉が通りのイメージに合致するなどの理由で選ばれました。

出典:ファンファン福岡

 博多駅が現在の場所に移転したのは63年。当時は開発が進まず、67年1月10日付・西日本新聞朝刊は「駅舎周辺に林立するはずのビルがいっこうにできず、空から見ると半分があき地と田畑」と空撮写真を伝えています。

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 75年に山陽新幹線が博多駅に乗り入れ、経済発展が加速。筑紫通りは幹線の一つとして都市の成長を支えました。沿線では現在、青果市場跡地に大複合商業施設を建設する再開発計画も進んでいます。

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福岡平野に広がる 数々の遺跡

 筑紫通りの沿線には、史跡が多数あります。福岡市博物館学芸課の森本幹彦さんによると、福岡平野には阿蘇山の噴火による火山灰が堆積してできた台地があり、旧石器時代から居住適地だったと言います。  弥生時代早期には、板付遺跡(博多区板付、国史跡)で水田稲作農耕が始まったとみられています。弥生時代中期までに、中国の史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に登場する奴国(なこく)が同平野に成立し、須玖岡本遺跡(春日市、国史跡)を中心とし、比恵遺跡(博多区博多駅南、一部国史跡)と那珂遺跡(博多区那珂)も重要集落として勢力を築いていたと考えられています。また、比恵・那珂遺跡群を貫く幹線のような道路状遺構も見つかっています。古墳時代初頭には、同平野最古の前方後円墳「那珂八幡古墳」(同)が築かれました。

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 その後、大宰府が政治の中心となっていきますが、大宰府から水城を通り博多湾側に向かう官道が2本走っていたとされ、その1つ(東門ルート)が比恵・那珂遺跡群の近くを走っていたとみられています。  歴史豊かな筑紫通り。いにしえの世界に思いをはせ、一帯を探訪するのも興味深そうです。

◆~ちょっと寄り道~近くの通り散策◆ 「人参通り」

 JR博多駅の近くに「人参通り」があります。博多区の博多駅前3丁目から同4丁目を走る約1㎞の道路です。  この辺りには江戸時代、藩の薬用人参畑があったといい、以前は人参町などと呼ばれていました。幕末から明治にかけて活躍した女性儒学者、高場乱がこの地に開いたのが私塾「興志塾」(人参畑塾)。多くの人材を育て、「人参畑塾趾」碑が同区に建っています。

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「歴史を学べる施設」

筑紫通り周辺には、歴史について学べる施設があります。その一部を紹介しましょう。

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▼板付弥生のムラ  福岡市博多区板付  板付遺跡弥生館  電話:092-592-4936 ▼福岡市埋蔵文化財センター  福岡市博多区井相田  電話:092-571-2921 ▼春日市奴国の丘歴史資料館  春日市岡本 電話:092-501-1144 ▼大野城心のふるさと館  大野城市曙町 電話:092-558-5000  沿線ではありませんが、福岡市博物館では市の歴史の全体像を学ぶことができます。 ▼福岡市博物館  福岡市早良区百道浜 電話:092-845-5011 企画・制作/西日本新聞社メディアビジネス局

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