成金饅頭を製造販売する老舗のひとつ「菓舗四宮(しのみや)」の事業と従業員を引き継ぎ、昨年5月末に店舗を開いた「まとや」。今回は、ライターの山内 亜紀子さんが、もともと設計事務所営む浅野雅晴さんが、飲食業として「菓舗四宮」の事業継承に至った経緯や思い、これからのことを伺いました。
福岡県直方市の銘菓「成金饅頭」と「菓舗四宮(しのみや)」とは?
――まずはじめに、成金饅頭は、どんな饅頭でどういう歴史があるのでしょうか?調べてみました。
成金饅頭とは、どら焼きに似たモチモチとした生地に、白いうずら餡を挟んだ福岡県直方市 (のおがた)の銘菓。 日露戦争のさなか、石炭景気に沸く直方で大量のうずら豆を買い付けた青年がいざ豆を売る前に戦争が終わってしまい、切羽詰まって作った饅頭が大ヒットしたことが成金饅頭のはじまりと言われています。最盛期(1950年代)に10軒ほどの店で作られていたが、炭鉱の衰退とともに4軒まで減少。 そのうちのひとつが「菓舗四宮(しのみや)」で、100年以上の歴史を持つ成金饅頭の老舗でした。
“衣食住”を会社の中で体現する為、2012年にスタートしたプロダクト事業部
――成金饅頭の「菓舗四宮」を受け継いだ「まとや」代表浅野さんの本職は建築士とデザイナー。北九州出身の浅野さんは、家具職人を経て空間づくりに魅せられ、やがて内装を手掛けるように。現在は「次世代につながる創造」をビジョンに、商・住空間を手がける建築設計事務所を主催しています。
浅野 「20歳ぐらいから、ものづくりが好きだったので家具職人を経て、“自分のつくった家具がどんなところで使われるんだろう”と空間づくりに興味を持ちました。その後、飛び込みで工房に修行に行ったり、知り合いの店舗の内装を手掛けたりと経験を積み、独学で図面も描けるようになったので建築士の試験を受けたんです。 そして、30歳の時に北九州から福岡に拠点を移しました。福岡は生活の起点としても過ごしやすいし、仕事の幅も広がりました。交友関係も広がり、県外の仕事も増えましたね。」
↑浅野藝術株式会社が手掛けた、大分県由布院温泉の名旅館「山荘わらび野」。全面建て替えによる建築計画の監修と設計を行う
浅野藝術株式会社は「建築設計を軸に衣食住の種を蒔き耕し育てていく術をもって新たな価値を創造し 街をより豊かにしたい」というミッションのもと立ち上げた会社ですが、“衣食住”を会社の中で体現する為、2012年にプロダクト事業部を設立しました。
オリジナルブランド「eNproduct」から、日本の色彩をイメージした色鮮やかな一輪挿しjapan tone (ジャパントーン) “衣食住”の中で設計事務所として“住”の次にまず“衣”を手掛ける為に、全国各地の職人さんと共に、“ありそうでないもの”をつくるオリジナルブランド「eNproduct」を立ち上げ、木の雑貨や生活雑貨などを手掛けました。
“食”事業を探していた頃に、北九州と福岡の中間、直方とつながった縁
――手掛ける建築設計は全国各地の旅館や飲食店、クリニックや工場など多岐に渡る浅野藝術株式会社ですが、はじめての“食”という事業に「成金饅頭の四宮の事業継承」を選ぶまで、どのような経緯があったのでしょう?
背景やルーツは継承し、店舗も味を変えて再スタートを切った「まとや」の成金饅頭 浅野 「いつ“食”をやろうかと考えていてはいたのですが、何もピンとくるものがなくて手を出せずにいました。そんな時、成金饅頭の事業継承の話があると紹介を受け、興味を持ったんです。 ものづくりの世界でも、全国の工芸メーカーが衰退している現実があり、それをデザインの力、販売する力でどうにかしたいとはじめたのがオリジナルブランドの「eNproduct」です。成金饅頭も、製造メーカーが4社に減り、今のままでは残らないかもしれない、だから次の世代に成金饅頭を残すために何かできないかと思いました。 直方に遊びにきたことはありましたが、住んだことはありません。ですが、自分の出身地北九州市と、拠点を置いている福岡市の中間にある土地だということもあり、直方という地は、自分が何かを橋渡しできる土地なのではと考えたんです。」
――その後、成金饅頭の四宮を事業継承することになった浅野さんですが、“四宮”という商標の使用が使えないことがわかったりと、大変なことが続いたとのことですが、成金饅頭を通して実現したい夢があるそうです。
浅野 「初めて本店を見た時は“これはまずいな”と思いました。饅頭屋かどうかもわからない外観で、シャッター商店街の中にある・・・。内部の事情を知れば知るほど問題を抱えていることがわかりました。 引き継ぎたいと名乗り出た会社は10社以上あったそうですが、成金饅頭の味を地元の子どもたちにも受け継いでもらいたいという思いや施策を、提案書や資料でご理解いただき、四宮さんからは「今までの四宮、また他メーカーの成金饅頭とは違う売り方をしてくれるんじゃないかと思った」と言っていただき、事業を継承することになったんです。 ですが、事業譲渡するタイミングで商標登録である「四宮の成金饅頭」の名前が使えないということがわかったんです。当初の話と違いますし、四宮の100年の歴史が途絶えてしまうことになると思い、頭を抱えました。 事業継承する時につくった会社名の「まとや」という名前は、“纏う”という元来衣類を巻きつける意味がある字を使っており、時代を纏う、自分が培っていった人脈絡み合わせていきたいという思いからつけました。 ですから、今となっては四宮の名前を使わず、「まとや」という新しい名前を使うことで、新しい時代を纏い、四宮の名前をきちんと史実として伝えていくことができると考えるようになりました。 まず直方の菓子文化の再現をしたいと考えました。直方の子どもたちに、地元の銘菓として成金饅頭を知ってもらいたい、その後は県内と県外へ向けて成金饅頭を知ってもらえるように主に東京や大阪、名古屋など百貨店の催事へ参加しています。 「まとや」が出ていくことで、直方を知ってもらうことになると思っていますし、率先してうちが直方の成金饅頭を広めていくことができればと思っています。」
変化を恐れずに、時代に合わせて変化しながら伝統を守っていく
――“成金饅頭の四宮”を受け継ぎスタートラインに立った「まとや」。100年続いた老舗和菓子メーカーを残す為に必要なことは、変わり続けること。浅野さんが思い描くこれからの「まとや」、そしてこの事業継承で得たものは?
浅野 「12月に福岡三越の催事に出た時に、お客様の3人に1人は成金饅頭を懐かしいと言って買っていただきました。お客様が口々にかつて福岡市中央区の新天町に四宮の店があったことをおしえてくださったんです。 その時に四宮が築いてきた歴史を感じました。結果として名称を受け継ぐことにはなりませんでしたが、僕たちが四宮を残したいと思った意義がカタチになったことを実感して嬉しかったです。 今後は、企業の焼印をつくって祝賀会などで配ってもらったり、成金饅頭を通して直方市の遠賀川や福知山のロケーションも伝えられたらと思っています。 今回の事業継承で、各地方でどこも同じような問題を抱えているんだなと感じました。事業継承することによって代替わりし、変わっていく様もお客様に見ていただいて喜んでもらうことが大事だと思っています。 「まとや」が継承してから成金饅頭が美味しくなったと評価していただいています。昔、子どもの頃に食べていた成金饅頭は “もさもさして美味しくなかった”という声もあり、ルーツは守りながら、時代に合わせた味に変えたんです。 ひとつは糖度を控えめにしてもう1個食べたいと思わせる原材料、配合なども研究し、餡も上品になりうずら豆の食感も残して現代の食べやすい和菓子にしました。ふたつめは手焼きに変えたこと。洋菓子のようなもちもちとした皮で、皮だけも販売しているのですが、気に入って購入してくださるお客様も多いんですよ。 よい意味で菓子業界にいなかったので、何を残し何を捨てるべきか、新しい発想ができているのだと思っています。変わり続けないと残らない、結果として50年100年残ればよいと思っているので、変化を恐れずに、時代に合わせて変化しながら伝統を守っていきたいですね。 今回の事業継承が、設計事業では得られなかった“直接お客様の喜びを感じること、直に声を聞かせてもらうこと”ができていて、これが喜びの原点かなと思っています。 “衣食住”が揃ったことで、事業的にも強くなるし、お客様に対しても店に立って自分で体感していることを伝えられると思っています。 成金饅頭は、ピンチをチャンスに変えた青年がつくった饅頭が起源だと言われています。だからこの史実を元に“お福分け菓子”として、みなさんに福を受け取っていただけるように、広めていきたいと思っています。」
— 100年続いた老舗菓子店を引き継いだ「まとや」が、継承後にまず始めたことは“伝統の味を変えること”。代替わりするお客様に合わせ、変わり続けることが“成金饅頭の四宮”という名前を立派に継承していくことなんだなぁと思いました。 成金饅頭を懐かしいと思う世代も、初めての世代もどちらも魅了する、直方の伝統和菓子として、これから新しい「まとや」としての歴史を紡いでいくのではないでしょうか。 文=山内 亜紀子
まとやの成金饅頭・本店
■ 福岡県直方市古町9-28(ふるまち商店街) ■TEL: 0949-25-0001 ■営: 9:00-16:00 ■休: 不定休