明治生まれの祖母のちょっと怖くて不思議な思い出をまとめた連載「祖母が語った不思議な話」終了時に多くの方からいただいた「続きが読みたい」の声にお応えした第2シリーズです。
小学三年生の六月、ザリガニを釣るのが流行っていた。
学校から帰るなりランドセルを放り投げ、釣り場である溜池に出かけた。
既に友達五、六人が来ていた。
「調子はどう?」
「ダメダメ。全然かからないよ」
「エサは何?」
「この前と同じ魚肉ソーセージなんだけどなぁ…」
こんなやり取りの後、しばらく並んで糸を垂らしたがピクリともしない。
そのうち飽きてしまった友達の一人が靴を脱ぐと池に入って行く。
「冷たくて気持ちいいや!」
その日はとても暑かったので、その声につられて皆、池に入った。
水が綺麗ではなかったので泳ぐ者はいなかったが、確かに冷たく気持ちが良かった。
「あ痛!」
突然友人Tが叫び、池から上がった。
見ると足の裏から血が流れ出ている。
どうやら沈んでいた割れたガラス瓶で切れたらしい。
ザリガニどころじゃなくなり、Tを家まで送り届けると解散となった。
その夜、昼間の出来事を話すと祖母は真面目な顔になった。
「あの溜池は危ないよ。すり鉢みたいな形で急に深くなっているんだけど濁っていて見えないし、何が沈んでいるか分からないから」
「…は〜い」
「もう入らないと約束できるなら私のお父さんから聞いた池の話を聞かせてあげるけど」
「約束する! 聞かせて!」
それではと、祖母は話し始めた。
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時代が明治になって数年経った初夏、祖母の父はH県の山中にいた。
仕事を終え、山道を下っていくと美しい池があった。
どこまでも澄んでいる水があんまり綺麗だったので、思わず手ですくって飲んだ。
池を渡る風も心地よく、しばらく休んでいると一人の老婆がやって来た。
見れば手に百合を持っている。
老婆はそれを池のほとりにある小さな祠(ほこら)に供えた。
祠の中にはよく磨かれた手鏡が祀られていた。
「おばあさん、その祠には誰が祀られとるんかな?」
「この池の主さまじゃよ」
「主とは何じゃ?」
「昔々この池はこんなに美しゅうはなかった。甲羅を経たおとろしい大蛇(おろち)が主として住んどったんじゃが、気に入らんことがあると川を氾濫させたり、子どもを池に引き込んだりと手がつけられんで村人はびくびくしながら暮らしとった。そんなある日、村に立ち寄った美しい白拍子がこの話を聞いて『私が退治するから一つ用意してもらいたいもんがある』と言いだしたんじゃ」
「何を用意しろと?」
「大けなふくべ(瓢箪)に針を千本さしてくれっちゅうんじゃ。皆不思議に思うたがその通りにした。白拍子はそれを風呂敷に包み持つと池に向かったので村人も後を追った。池に着くと静かに、じゃがよく通る澄んだ声で『私と勝負をせんか? 主が勝てばこの命やろう。これを沈めてみろ』と言うとふくべを投げ込んだ。すると見る見る池の水が盛り上がり主が姿を見せた。主は高笑いして『お前だけではすまさん。村も丸ごと流してやるで、待ってろ!』と言うなりふくべを沈め始めた」
「それで、どうなった?」
「何遍やってもふくべは沈まん。腹を立てた主はかぶりついて引き込もうとしたがそれでも沈まん。そのうち全身を針に刺され金物の毒に当てられて死んでしもうた。そして白拍子は喜んどる村人たちに『私がこの池の主となり、ここを守ります』と言うと池の中に消えたそうな」
「新しい主に! それがここに祀られとるのか…しかし、この鏡は?」
「それからひと月ほど経ったころ、村人全員の夢枕に白拍子が立っての『ひとつ頼みがある。池に祠を作り、鏡を供えてくれ』と言う。それで村で一番立派な手鏡をここに据えたんじゃと。わしの婆様から聞いた話よ」
「なんで鏡が欲しかったのかのう?」
「お前さん、女心を分かっとらんの。主になっても綺麗でいたかったんじゃよ」
一本取られたと父が池に目を移すと、鏡のようだった水面にさざ波が立った。
チョコ太郎より
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