2011年3月11日に発生した東日本大震災。津波に襲われた福島第一原子力発電所内で命を懸けて作業した50人の姿を描く映画「Fukushima 50」が3月6日(金)に公開されます。公開に先がけて2月17日、福岡市内での舞台あいさつに舞台あいさつに主演の佐藤浩市さん、萩原聖人さん、若松節朗監督が登壇しました。
大津波で福島第一原発の発電機が水没し、電源が喪失。原子炉の冷却装置が稼働せず、メルトダウンの危機が迫る中、作業員たちは原子炉格納容器の圧力を下げる操作「ベント」を手動で行うという、命がけの作業に挑む…。 原作は、ジャーナリスト・門田隆将(りゅうしょう)さんが福島第一原発事故の関係者90人超に取材して書き上げたノンフィクション「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」。 佐藤浩市さんは福島第一原発1・2号機当直長・伊崎利夫を、萩原聖人さんは第2班当直副長・井川和夫を演じます。
――ようこそ福岡へ。 佐藤浩市(以下、佐藤) 福岡、寒いですね。ちょっと驚きました。この映画は、楽しんでいってくださいとは言えないのですが、皆さんの心に何かを持って帰っていただければと思います。 萩原聖人(以下、萩原) 楽しむ映画ではないかもしれませんが、いろいろ、何かを考えるきっかけになればいいかなと思います。 若松節朗監督(以下、若松) この映画は、5年かけてようやく完成しました。今日は、福岡の皆さんにこの映画をお見せできることができてうれしいです。いろいろな意見が出るとは思いますが、最後までしっかり見てください。
――この作品を映画化した理由は? 若松 冒頭から緊迫した流れで、これを映像化するのは大変だろうなと思いました。でもこういう事故が起きたことは、語り継いでいかなければいけない。福島の作業員たちが一生懸命頑張ってくれた、その生きざまが素晴らしくて、映画化しようということに決まりました。
――役作りで大切にした点は? 佐藤 僕らの役にはモデルがいます。映画では名前を変えて、あくまでも映画上の人物ということで演じています。演じる僕らは実際の事故の結果を知った上で撮影に臨んでいますが、事故当時、そこにいらっしゃった方々は1分1秒先が分からない状態。最悪の事態を想定しながら、そこに立っているという緊張感。僕たちがその緊張感を見ている方にどれくらい伝えられるか、ある種僕らの恐怖はそこにありました。 若松 時系列に沿って撮影しました。3月11日、あの日はすごく寒い日でした。なので、我々の撮影もなるべく役者を寒さに追い込んで撮りたいと。寒い時期に撮らせていただきました。
――緊迫感のある現場で心の支えになったのは? 萩原 この作品に携わった以上、どう出来上がるのか、その期待や楽しみが常にありました。現場は不安しかなかったので。 佐藤 やはり、メンタル的にキツイんですよね。撮影の合間には、軽口もたたきたくなるんですが、ちょっと軽口をたたくと監督がイヤな顔をする(笑)。 若松 佐藤さんがいなければ、この映画はできないんですよ。だから、そんなに甘く見ないでよってね(笑)。俳優皆、佐藤さんの背中を見て進むので。
――最後にメッセージを。 若松 地震、津波、原発事故。辛い場面も出てきますが、最後まで見ていただくと日本の良さ、日本人の良さが感じられると思います。ぜひ最後まで、踏ん張って見ていただけたらうれしいです。 萩原 今日の福岡のように、3月11日のあの日もすごく寒かったのですが、この映画はものすごく熱い作品に仕上がっています。 佐藤 ラストの桜のシーンは、今でも帰還困難区域が残る福島県の富岡町で撮影しました。桜は散らずに僕ら撮影隊を待っていてくれていたんですが、その美しい桜を見たときは、いろんなものが込み上げてきました。その思いを皆さんも感じていただけると思います。負の遺産を、人間が少し前向きになることで、そうじゃない形の未来への遺産に変えて、明日にバトンを渡したいなと思います。ぜひご覧ください。